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「書く習慣」1ヶ月チャレンジ21日目:これまでで1番のチャレンジ

(1)小さいときに習っていたこと 

小さい頃に習っていたもの。ピアノ、習字、サッカー、バスケット。
すべて自分からやりたいと親にお願いした。
 
思えば、親から何かをやりなさいと言われたことがない。
正確にはあるのかもしれないが記憶にない。
勉強しなさいと言われたこともおそらく1度もない。自分が親の立場になってみて、改めてありがたかったし、なかなかできることではないと思う。
 
子どもには子どもの人生がある、と思ってくれていたのか。それとも単に何も考えていなかったのか。いずれにしても、自らの意に反してやらされたことがないのだから、習い事は長続きもしたし、やめるときも自分で納得した形で気持ちよく引退していたように覚えている。

と、書いていたらひとつだけ思い出したことがあった。

(2)暗い気持ちで空手道場に通う日々 

かつて父親に半ば強制的にすすめられ、まったくもって気持ちが乗らないまま始めたものがあった。
 
それは、空手だ。
 
「これからの時代、世界に飛び出していく人間にならないと。そのためには、自分の身は自分で守らないといかん」
 
そんなことを言われながら、近所にある空手道場の体験に参加させられ、興味もへったくれもない、思い入れもゼロの状態で空手を始めることになったのだ。
 
ほとんどが年上の、知らない人たちに囲まれて、空気に向かって正拳突きを続ける。訳がわからない。
空手は実力に応じて帯の色が変わる。白→黄色→緑→紫→茶色→黒と進んでいく。黒の人がめちゃめちゃ上手く見える。白の私なんてどうせ下手だし何もできないよ、とすごくみじめな気持ちになったのを覚えている。
 
また、道場の先生は口で教えるよりも体で覚えさせられるようなタイプだったから、とにかく怖かった。構えた足の開きが狭かったなら、「もう少し歩幅を広く取りなさい」と言えばわかるのに、容赦なく無言でくるぶしを蹴られた。
 
そんなこんなですぐに空手が嫌になった。
そして3ヶ月も経つ頃、母親が間に取り持ってくれるような形で父親に話をしてくれ、静かに道場を去った。
 
そんなことがあったのだ。

(3)大学で再び空手を始める

この話には後日談がある。
 
実はその後、大学に入学した私は、再び空手を習い始めたのだ。
しかもサークルではない。体育会でガチの空手部に入部を決めた。
 
なぜだ、と言われると自分でもよくわからない。
 
しかし、心のどこかで、空手は完全に逃げ出したもの、という悔しさと不完全燃焼の気持ちがあったのだろうと思う。長い受験勉強を経て大学生になり、これからは思い切りやりたいことができるぞと考えたときに、あの時つらくて逃げ出してしまった空手もできる気がしたのかもしれない。
 
しかし現実は厳しい。先輩や同期は全国大会でメダルをもらうくらいの実力者だった。その中で、3ヶ月だけ町の道場に通い、くるぶしを蹴られただけで泣きそうになって辞めた人間が敵うはずもない。来る日来る日も空気に向かって正拳突きをするこの競技は、やはり私には向いていなかった。
 
それでも大学2年生で茶色、3年生で初段に合格し黒帯をもらったときは本当に嬉しかった。
小学生だったときのあまりにも女々しい自分と決別できたような気がした。
 
そして結果として、大学生で海外旅行の楽しさに目覚めたとき、一人でどこに行くにもちょっとした自身を身につけることができた。
 
「これからは自分の身は自分で守らないといかん」
 
という父親の言葉が現実になった。

(4)嫌なことから逃げる?or立ち向かう?

嫌だったものからは逃げれば良い。そう思って生きてきたが、嫌だったものをもう一度始めちゃったというのは、私にとって大きな挑戦だった。
 
このようなおかしな経験は後にも先にもない。
 
今は嫌なことや苦手なことよりも、得意なことを伸ばしていきたい。
 
そう思えたのも、一度逃げ出したものに再挑戦した結果なのかもしれないなと考えると面白い。

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