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メンタルの死、白菜と豚肉をミルフィーユ(日記:2022/03/22)
メンタルが死んだので、白菜と豚を日本酒で煮込んで食べた
人は突然、心が死ぬ。まあそれはわかりきったことだけれど、兎も角、僕はこの日かなり嫌な出来事があったので、朝から心が死んでいた。
それは結構どうでも良くて、重要なのはそのあと何をしたか、という話。
見出しの通り、メンタルが死んだ僕は白菜と豚肉を食べることにした。
仕事が終わり次第、即スーパーで白菜(1/4)と豚肉(200g)を買う。ざっくばらんに切り刻んだ白菜と、豚肉を適当にお鍋に突っ込んだら、溢れ出すんじゃないか、という勢いだった。
そこに、とっておきの日本酒を一合、全部入れる。いや、嘘をついた。一口だけ残して、自分で飲んだ。
あとは蓋をして30分煮込んで、食べるだけ。
ポン酢を掛けたり、柚子胡椒をつけたり、食べラーを添えたりして食べていると、一瞬でなくなってしまう。というか、火を止めて蓋を開けた時点で2/3くらいの量に減っているので、思う程量はない。
食べ終わった後の僕は、無敵だった。多分、ボブ・サップにも勝てた。
それだけの話。
今日の1語
『寂寞』
せきばく、若しくはじゃくまく。コトバンクに依れば、
ひっそりとしてものさびしいさま。寂歴。じゃくまく。
とある。寂、寞、それぞれ音読みするとじゃく、まく、ということらしい。例文には梁塵秘抄(りょうじんひしょう)や奥の細道、島村藤村が挙げられているから、少なくとも平安後期~明治時代ごろまでは使われていた言葉、と考えていい気がする。
勿論、現代でも使われないということでもないとは思うが、かなり教養の要る言葉だと思う。
同じように寂しさを表す言葉で比較的ポピュラーなのは、『寂寥』だろう。寂寥を覚えた…という表現は、物語の中でも時々見かける。
実はこの言葉はとある物語を読んでいて知った言葉なのだけれど、なぜ疑問に思ったかと言えば、なぜ『寂寥』を選ばなかったのだろう、と思ったからだった。コトバンクの解説を見ると、どうもほぼ同じ意味と思っていいらしい。それでも『寥』でなく『寞』を選んだのは、何か意味があったのだろうか…と思いを馳せてしまった。
『寞』には『寥』と違い、『ひろい』という意味がない。寂しく、そしてひろくなく、そしてしずかでさびしい、ということかもしれない。