本当に大切なものは記憶にしか残せない
note191日目。
今日は本当に大切なものは記憶にしか残せないという話し。
昨日、夕食後の散歩にスマホを持っていくのを忘れた。
散歩中は基本的にデジタルオフの時間だから、スマホはなくてもよいのだが、途中で倒れたりとか何かあった時のために持ち歩くようにしている。
けど、スマホ持っているとどうしても美しい景色を写真に収めたくなる。
ニュージーランドの空は美しいし、自然の中での発見も沢山ある。
だから、それを収めておきたい。
昨日は散歩の途中で、美しい景色に出会ってスマホを出そうとして忘れてきたことに気がついた。
その時にスマホで撮れないならそれは撮らなくてもいいものだと捉え直した。
それから残りの散歩は、あっ!写真撮っとこ!と止まることなく、景色と空気を味わった。
ただただ、感じることを味わう。
すごく贅沢な時間だった。
空の色、ちょっと変な形の雲、沈みかけている太陽から溢れる光。
特別なことをしなくても、特別な人でなくても、当たり前に手に入るもの。
それをゆっくり味わった。
と同時に、私は普段それを味わう時間と心の余裕がないのだなと思った。
時間はあってもスマホに中断されてしまうから、心というかメンタル的な余裕がないのだろう。
私は本当は写真なんて撮らなくてもいいと思っている。
日常の写真なんてSNSにあげるために撮っていると言ってもおかしくない。
でも、子どものことや旅行のことは記念と記録のために写真を撮る。
その瞬間をカメラを通してでなく見る方がよいのだが、後から見返せるものがあると、思い出話しも出来る。だから、全く撮らないというのも出来ない…。
そんな矛盾した世界に私たちは生きている。
でも、本来に大切なことは記憶に残すのがいいと私は思う。
たとえ忘れたとしても、事実と違うように記憶されたとしても。