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ル・コルビュジエ①

モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエについてご存知でしょうか?
コルビュジエが提案した装飾のない建物は、近代建築に大きな影響を与え、彼の作品がモダニズム建築の発展に大きく貢献しました。
今回はコルビュジエの作品や構想を振り返りつつ、彼の建築思想を見ていきます。

ファレ邸(1908年)

ル・コルビュジエは1887年、スイスに生まれます。
スイスの美術学校在学中の1907年に、コルビュジエの才能を見いだした校長の勧めで、建築家のルネ・シャパラと共に最初の住宅「ファレ邸」の設計を手がけました。

ドミノシステム(1914年)

ファレ邸の設計後、1908年にパリに移住し、鉄筋コンクリート建築の先駆者であるオーギュスト・ペレの事務所など各地で建築を学んでいきます。その後、スイスの美術学校で教鞭を執った後、1914年に鉄筋コンクリートによる住宅建設方法である「ドミノシステム」を発表します。ドミノシステムとは、鉄筋コンクリート造の床とそれらを支える柱、そして上下階を結ぶ階段という最小限の要素で構成された構造骨組み部材によって、住宅を大量生産するために考案されたシステムのことです。

エスプリ・ヌーヴォー(1920〜1925年)

パリに出てまもなく出会った画家のアメデ・オザンファン、詩人のポール・デルメとともに出版社をつくり、1920年から1925年にかけて総合文化雑誌「エスプリ・ヌーヴォー」を発刊しました。
1922年には、オーギュスト・ペレの下で働いていた従弟のピエール・ジャンヌレと共に事務所を構えます。1923年にエスプリ・ヌーヴォーに掲載された自らの記事をまとめた著作「建築をめざして」を発表し、世界中の建築家から注目を集めました。この著作での「住宅は住むための機械である」という言葉は、コルビュジエの建築思想を表しています。

エスプリ・ヌーヴォー館(1925年)

1925年のパリ万国博覧会では装飾のない「エスプリ・ヌーヴォー館」を設計し、アール・デコ建築が並ぶ中、異彩を放ちました。それまでの建築であった様々な建築意匠を否定し、建築や装飾美術の標準化・規格化を目指すものであったため、このプランは博覧会の委員会で物議を醸します。

輝く都市(1930年)

ル・コルビュジエは、人口過密で環境の悪化する近代都市を批判し、1922年に「300万人の現代都市」、1925年に「パリのヴォアザン計画」、1930年に「輝く都市」の計画案を発表しました。
これらは低層過密な都市よりも、超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的であるとするものです。日本においても、森ビルの開発コンセプトは、輝く都市の影響を大きく受けています。

ここまで振り返ってきましたが、さすがに収まりそうにないので、続きは「ル・コルビュジエ②」に書いていこうと思います。笑

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