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冬の電力逼迫に備え、相次ぐ火力発電所の再稼働/国際的イメージに影響か

 寒さが本格化予想されている今冬に向け、火力発電所が再稼働している。火力発電の原材料には主に三つある。石油、石炭、そして液化天然ガス(LNG)である。ガスは石炭や石油と比べると二酸化炭排出量が少ないが、油消費や燃料費は高い。

 また火力発電自体も技術が進んでおり、発電所から黙々と煙が上がっているような発電所は日本にはない。広い土地を必要とせず、安定的な供給ができるのが火力発電の強みだ。とはいえ、他の発電法と比べれば大量の二酸化炭素を排出する。

 いま現在、日本は発電の4分の3を火力発電に依存している。一方で、2050年までに派出量を50%にまで削減すると表明した。その道筋をどうつけたらいいのか。火力発電は使いつづけることはできないが、かと言って今すぐ完全に止めることもできないという、難しい存在なのである。

 一方、資源エネルギー庁は既に昨年秋から、夏と冬の電力需要逼迫を懸念していた。しかし検証の結果、火力発電に使われる燃料の一つである液化天然ガス(LNG)の在庫も充分にあり、冬は乗り切れるという予想だった。

 しかし、11月にガス産出国の供給設備に問題が生じる。加えて関西電力の舞鶴発電所や、電源開発の橘湾火力発電所などの石炭火力発電所で問題が発生した。さらに年明けから「10年に一度」の寒波がやってきた上、他の火力発電所でもトラブルが起きた。

 この時点で稼働していた原発は二基。水力発電も降雨量の少なさなどによって利用率が低下していた。太陽光発電は、もともと冬は発電量が少ない。ガスの調達計画も狂った。そうした様々な要因が重なって、電力事情が逼迫したのである。電力市場も高騰した。

 このような苦い経験から、夏の電力需要に備えて今年6月、経済産業省は原発と火力発電の再稼働を決定した。来年1月には、千葉県市原市にある姉崎火力発電所5号機が再稼働する。今日16日には内部が公開された。

 姉崎発電所は1977年(昭和52年)に運転を開始しており、再稼働にあたって点検したところ、不具合も見つかっている。その後、修理を施して再稼働には問題ないと説明された。

 火力発電に依存しているのは日本だけではない。経済発展を目ざすアジアは、全般に火力発電への依存度が高い。中国は2024年まで、火力発電が増えていくと予想される。世界的な液化天然ガスの不足と価格高騰により、石炭への依存度も高い。

 パキスタンも火力発電所を新規に建設しているし、インドは石炭の需要がどの国より高まると予測されている。東南アジアでも、石炭による火力発電がしばらくは続くだろう。

 しかし、脱炭素の旗を振るEU諸国では、風力は火力などの自然エネルギー発電にかかる経費が、既に石炭火力発電のそれを下回っている。時代の流れは明らかに脱炭素にある。

 ここで思い出すのは、COP26(第26回気候変動枠組条約締約国会議)で行なった、岸田首相の演説である。例によって資金の拠出は表明したが、脱炭素には言及しなかった。そして会場の外では環境保護団体が、ピカチュウの縫いぐるみを着て日本に脱炭素を促した。

 かつて日本は、平成9年1997年に京都で開かれたCOP3で脱炭素の動きを主導し、歴史的な京都議定書が採択されたのである。しかし、今や日本の存在感はすっかり薄くなった。

 私の世代は、捕鯨問題が浮上した時のことを知っている。環境問題が政治問題として浮上したのは70年代だ。1972年に画期的な国連環境会議が開かれた時、最大のテーマとして浮上したのが捕鯨だった。そして日本が標的になった。

 以来、捕鯨は日本の抱える大きな環境問題となって今日に至っている。日本は欧米から非難されながら商業捕鯨を続け、一昨年、ついにIWC国際捕鯨委員会から脱退してしまった。国際協調を掲げてきた、戦後外交の方針から逸脱したのである。この深刻さが日本で理解されているとは言い難い。

 もちろん日本にも言い分がある。捕鯨はかつて多くの国で行われていたし、日本には鯨と共存してきた歴史もある。欧米の極端な鯨への思い入れは、むしろ動物を支配下に置いてきた反動でもある。

 しかし、それならそれで別の対応もあったのに、日本はただただ対立するばかりで、結局は40年間も文化の違いを説明できなかった。そうこうするうちに、日本人の食文化から鯨は消えた。今は意地と利権のため捕鯨を続けているだけだ。

 日本の政治と経済が脱炭素に舵を切れないのには、主に三つの理由があると思う。一つは原発への固執だ。戦後日本の国策だった原発への固執は、権力の中枢にいる支配層や財界に、骨の髄ま染み込んでいる。

 二番目は自動車産業への配慮だ。日本の国力をどん底まで落としつつある無茶な円安誘導も、半ば自動車産業を守るためである。今も自由貿易協定を結んでは、一次産業を犠牲にしてまで自動車の輸出を助けようとしている。

 しかし脱炭素で、その自動車産業自体が危ないのだ。自動車産業は今も財界の中心にいて、強い発言力と政治力を持っている。しかし国が過剰に保護しなければ、自動車も脱炭素に早く舵を切り、業態の転換に取り組んだだろう。

 三番目は、日本では火力発電の技術力が高いという点である。原発事故後、脱原発論に対して「では、どうやって電力を確保するのか」という反論があった。この主張は今も根強い。

 その時に、取り敢えず火力発電を利用しながら、再生エネルギーへの転換を急ぐという意見もあった。その根拠は、日本の火力発電は技術力が高く、今や煙もほとんど出ないというものだった。

  また電気自動車の普及にしても、裏にはヨーロッパの事情もあると思われる。今の状況では日本には勝てない。ここで完全に切り替えてしまうのが、日本に勝てる最良の方法なのだ。

 つまり捕鯨と同じで、こちらにも少しは言い分がある。しかし、ここが大切なのだが、時代を読み違えてはいけない。時代に逆行する愚だけは、絶対に避けなければならないのである。

 日本は衆知を結集して前に進む必要がある。ここで取り残されたら取り返しがつかない。過去を振り払って前に進むのは、日本の苦手分野だ。だがここは乾坤一擲、重切った決断が必要だろう。

 

 

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