それでも「中国と戦う」などと考えてはいけない理由/そして、なぜ少数民族を弾圧するのかを知る
確か先週あたりだったと思うが、購読している新聞の国際面に、「中国と本気で戦う覚悟を」というような見出しの署名記事があった。それは「台湾有事に備えよ」という内容で、私はそれこそ「本気で言っているの?」と驚いた。
中国が悪くないとは思わないし、「『戦狼外交』も『中国の夢』もいい加減にせよ」と私も思っている。でも、それが「中国と本気で戦う」につながるかというと、そうはならない。
こういう署名記事が堂々と掲載されるようでは、岸田政権がウクライナ戦争の先頭に立ち、台湾有事に飛び込んでいくのを止めることができないはずだ。中国との関係悪化が近代日本に何をもたらしたか、もう忘れるなんて。日本は火消しに全力を上げるべきなのに。
で、犬の次に馬が好きな私は今、『馬の世界史』(中央文庫)という本を読んでいる。ずっと前に出た本だが、馬を中心にして見たユニークな世界史なのである。これを読んで産業革命以前、馬を上手に扱えることが大国の条件だったことがよくわかった。古来、馬産と調教技術は最先端技術だったのだ。
そしてもう一つ、日本人のアジア史観が、あまりにも中国の王朝中心に偏っているのではないかと感じた。たとえば、歴代王朝は絶えず、北方異民族の襲撃に悩まされてきたと学校で習う。
だが、この本の「馬中心史観」によると、匈奴もウィグルも度々襲ってくる北方の少数民族などではなく、時の中国王朝と拮抗する騎馬遊牧民の大国だったそうである。何しろ彼らは、当時の最先端技術を持っていたのだ。
例えば、トルコ系やイラン系の血を引く安禄山と史思明による「安史の乱」で弱体化した唐を救ったのは、モンゴル高原に台頭してきたウィグルだった。以後ウィグルはしばらくの間、弱体した唐を実質的に庇護しつつ中央アジアにも手を伸ばし、東トルキスタンまでを支配する最強国家になったのである。
11世紀になると、内モンゴル西部に住むチベット系の遊牧民タングートが台頭、西夏を建国して東西交易の要衝を押さえる。そのため、宋は西夏に金や銀、絹や茶を贈って講和せざるを得なかった。
「騎馬遊牧民は草原世界を超えて農耕世界をも包み込み(中略)、その中から、全てを吸い込むようかのようにモンゴルの勢力が現れるのである」(P217 8章モンゴル帝国とユーラシアの動揺) わぁ、そうだったのか。初めて知った。
だからこそ、中国はあれほどまでにウィグルやチベット、モンゴルなどの民族を弾圧するのではないか。おそらく恐怖なのだろう。これらの民族は中国を脅かすどころか、それ以上の大国だったわけで。実際、モンゴルに支配されたし。
特にウィグルの強大さについては、『東西文明の十字路 中央アジアの歴史』(講談社学術文庫)にも書かれていたので、決して大袈裟ではないと思う。
私はもともとコーカサスや中央アジアの文化が好きで、6年前、念願かなってコーカサス旅行に出かた。アゼルバイジャンの首都バクー郊外にあるゾロアスター教の寺院跡など、とても興味深かった。私たち以外には誰も観光客はいなかったが。
円安で大変だが、中央アジアにも行きたいと思う。シルクロードの要衝、青の都サマルカンドを見ずに死ねるか。