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4:「ママ」

レーズンとオウムとミイラのワルツ_



 神経の細やかさと集中力にこそ自信はあれど過保護に育ちすぎたため火傷への耐性はなく、最初のころは巨大なオーブンからパンを出し入れするたびに手首や手の甲を負傷し涙目になっていた。
 私は精神的苦痛には人一倍鈍磨だったけれど、残念ながら肉体的苦痛はその限りでない。痛いものは痛いし、重いものは重いし、疲れるものは疲れるのだ。有り難いことに店主もその奥さんも、他のアルバイトやパートの人たちすら皆心から優しく、慣れない仕事でたくさんの失敗を犯す私へも丁重に言葉を選び、正しく指導してくれる。私にはこのパン屋で働くことが幸福だった。
 それでもやはり日々少しずつ、疲労は肉体、そして精神へと蓄積されていく。
 それがピークに達した夜、私はいつも同じ夢を見た。その夢は、幼い私が父と向き合い浴槽に小ぢんまりと収まっているところから始まる。始まる、といっても、別にその夢の中では何も事件など起こらない。父は絶対に私の乳頭を舐めないし、私をママと呼ぶこともないし、私の身体にも触れない。そもそも父の目は私を捉えてはいない。彼の黒目は両方とも外側を向いていて、そこからぴくりとも動かない。子どもの私はその狭い浴槽で、じっと左右に開いたままの眼球の父を見ている。ときどき、天井からぽたっと雫が落ちては浴槽の湯へ沈み、わずかに水面が揺れる。それだけの夢だった。


 あまりにも火傷が多い私を憐れに思ったのだろう、ある日店主は、
「茜さん、今日はパンにレーズンを載せる係をお願いできるかな」
 そう言って、銀色の巨大なトレイに載せられた発酵済みの生地を作業台いっぱいに並べた。このパンの元は、これから私に眼球代わりのレーズンを二粒ずつ載せられた後こんがりと焼かれ、溶かしたチョコレートでUの字を描かれると『にっこりパン』という名前で店頭に並ぶ。にっこりパンはその見た目の愛らしさに加え、手加減なく配合されたバターと卵の濃厚な味わいで長くこの店の売り上げ一位の座をキープしているらしかった。
「これはねえ、ぼく達の子どもが幼稚園のときに描いた、ぼくの似顔絵を元にしたパンなんだよ。その子も今では二十五なんだけどね。パソコンのソフトのプログラムを作ってるとかなんとか言ってるんだけど、どれだけ説明してもらってもさっぱりわからない。若さってすごいよ。なんでも、あっという間に吸収していく」
 店主はにっこりパンについて説明しながら、さり気なく息子の自慢と、私への激励を付け足した。じゃ、がんばってね。そう言われ、私は頷きながら銀色のボウルを手に取ると、中の乾燥レーズンを一つの生地に対して二粒ずつ丁寧に埋め込んでいく。
 にっこりパンは、何と言っても表情が命だ。彼の息子が描いた絵を想像しながら、それに従って適切な位置にレーズンを配置する。
 ぎゅ、ぎゅ、と、その全てが同じ形をした丸いパン生地の上へ、全て同じになるようレーズンを置く。作業に没頭していくうち、次第に私は少しずつレーズンを“レーズン”だと認識できなくなっていく。私は今、薄肌色のもちもちとした何かに、しわしわの、二センチメートルほどの何かの粒を二つずつ載せている。ええと、これは何だろう。どこかで見たことがある気がする。いつ、どこでだろうか。ああそうだ、子どものころの話だ。私の肉体には小さいころから、ちょうどこれによく似た、丸い二つの突起があった。父はよくそれにむしゃぶりついて、そのたび私のことをママと呼んでいて――
 ばたあん、という騒音が激痛と共に体中に響く。続いて、ぐわあああん、と金属が固いものに叩きつけられる音。ああ、ボウルからこぼれたレーズンが床に転がっている。そして、どうやら私自身も転がっているらしい。
 頭上では店主が、茜さん、茜さん、大丈夫、ぼくの声聞こえてる、ねえ返事できる、誰か、救急車呼んで早く、などと大声で叫び散らしている。けれどその声も急激に遠くなっていく。目蓋が重い。死にそうだ。
 きっと私はこのあと病院に担ぎ込まれ、眠っている間にあらゆる検査を受けるのだろう。病院代どうしよう。労災は使えるのかな。バイト、クビにならないといいんだけど。ゆっくりと暗転していく世界を受け入れながら、私はそんなことを思っていた。



(続く)

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