小説 介護士・柴田涼の日常 47 センリさんの摘便

 おやつの提供が終わると、ハットリさんが「何かやることないの?」と訊いてきた。このユニットのご利用者たちはよくお手伝いをしてくれる。少し手が空くとこうして何か手伝うことはないかと訊いてきてくれるので、とても助かっている。

「そうねえ、じゃあ清拭巻をお願いしようかな」と間宮さんが言う。

「はいはい。了解しました」

 間宮さんは四つ折りにした清拭を水で濡らし絞ってゆく。くるくると丸めてもらった清拭はタオルウォーマーで温めて下拭きタオルとして使う。僕はご利用者が飲み終えたコップを洗ってゆく。

「先生」とハットリさんの呼ぶ声がする。「センリさんがズボン下ろしてるよ」

 センリさんのもとに行くとズボンを下ろしリハパンまでずり下ろしていた。

「センリさん、どうしたんですか? おトイレですか?」

「おトイレに連れてってくれますか? まあありがたい」

「はい、じゃあ行きますよ」

 その場で一度立ち上がってもらいリハパンとズボンを引き上げてからトイレに向かう。センリさんの車椅子を押してハットリさんの脇を通ったとき、ハットリさんは「困ったもんだね」と半ば呆れた表情をされていた。トイレの扉を開け、センリさんの手を誘導して手すりを握ってもらい立ち上がってもらう。

「センリさん、立ってください」

 立ち上がったセンリさんの陰部をパッドで押さえつつ便座に誘導する。

「ああ、おしっこが出る」

 手で押さえているパッドがだんだん盛り上がってくるのを感じる。急いでセンリさんを便座に座らせるが、パッドから尿が漏れてしまい、床が汚れてしまった。

「センリさん、終わったらまた来ますからね」と言ってトイレを出て手を洗い、床拭き用の乾いた清拭と下拭き用の温かい清拭と新しいパッドを用意する。

「センリさん、終わりましたか?」

「はい。立ちますか?」

「せーの」と言って立ち上がってもらい、お尻を拭くと、肛門のあたりが硬く重みが感じられた。これは便が下りてきているかもしれない。とりあえず新しいパッドを当ててリハパン、ズボンを引き上げ、車椅子に座らせる。

 リビングに出るとハットリさんにお礼を言う。

「どうもありがとうございました。この方はちょっと目を離すとこれですからね」

「アハハハ、先生たちが忙しいときは私が見てるから、いつでも言ってちょうだい」

「ほんとうに助かります」

 僕は医務室にセンリさんの状況を報告しに行く。

「じゃあ、摘便して座薬を入れましょうか」と看護主任の新倉さんは言った。

 摘便とは、直腸に指を入れて便を排出させるケアのことを言う。

 センリさんは便秘がちの人だ。毎食後下剤を服用しているが、それも効果はうすいようだ。排便がない日が四日も五日も続くと、摘便し座薬を挿入するというサイクルが続いている。

「じゃあセンリさん、お腹の調子を良くするためにお部屋で横になってもらってもいいですか?」

 センリさんは無言のままだ。センリさんをベッドにトランスして横になってもらい、看護師の高橋さんに摘便してもらう。センリさんのお尻の下にはオムツカバーを敷いておく。

「イタイ」とセンリさんは大きな声で怒って言う。「なんで人の穴に指つっこむの? やるんなら自分のでやんな」

「ごめんね」と言いながら高橋さんは摘便を続ける。僕は動くセンリさんの体を押さえている。

 コロコロとした兎の糞のような硬い便が四、五個出てくる。

「あとは座薬を入れますから、また三十分後くらいにおトイレに座らせてみてください」と高橋さんが言う。

 便失禁があるといけないのでオムツを着けておく。

「センリさん、おつかれさまでした。終わりましたよ」と声かけするが、センリさんは言葉を発することなく、静かに横になっている。

「じゃあ、このまま少し休んでてくださいね」と言って布団をかけ、低床にして部屋を出る。センリさんは起き出してしまうことがあるため、ベッドからの転落による怪我防止のため臥床時は低床にしている。

 三十分経ったのでセンリさんを起こしトイレに座らせる。センリさんは縦型の手すりを持ったまま不動の姿勢を取っている。

「うう、大が出る」

 センリさんはお腹に力を入れている。僕は排便を促すようにお腹を「の」の字にマッサージする。大腸の蠕動運動の方向に沿って、手のひらで、時計回りに、少しお腹が沈むくらいの力加減でマッサージすることにより排便を促すことができると初任者研修で教わった。

「センリさん、がんばってくださいね」と言って僕はトイレを離れる。

 少し時間を置いてからトイレに入り、便器の中をのぞくとしっかりした便が三本出ていた。

「センリさん、良かったですね」と声をかける。

「立ちますか?」とセンリさんが言うので立ってもらい排泄を終わりにする。

 おやつ後のトイレ誘導がひととおり終わりケースも入力したので、あとは申し送りをして退勤するだけだ。この一日のやるべき仕事をやり終えたときの爽快感がまたいい。

「おつかれさまでした」と僕は間宮さんに挨拶をする。

「おつかれさま。柴田くん、明日は?」

「明日は夜勤です」

「そう。がんばってね」

「はい、がんばります。じゃあ、よろしくお願いします」

 明日の夜勤が始まるまでは丸一日以上の時間がある。


参照

・ナース専科「摘便とは」

https://knowledge.nurse-senka.jp/226492

・排泄ケアナビ「高齢者のための排便体操」

https://www.carenavi.jp/ja/jissen/ben_care/taisou/exercise_gai.html


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