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やっぱり君には赤が似合う

ある男が死んだように眠る女の隣で手紙を書いていた。
男は時折女の顔を愛おしそうに見つめ、ほほ笑んだ。
世界が終わる3時間前のことだった。

僕から君へ
今僕は隣で眠る君に手紙を書いています。
君は僕らが生きるこの世界が明日終わってしまうことを知っていますか。
きっと君のことだから知っていても僕には教えてくれないだろうけど。
君に出会うまで僕にとってこの世界はなんとも生きづらい場所でした。
息苦しくて面白いほどつまらない。目に映る人はみんな、僕も含めて汚れていました。
そんなことを心で思いながら、生き続けることしか僕には価値がないと、ただ毎日を過ごしていました。
映画の主人公が呟く「愛してる」も、アニメのヒーローが叫ぶ「諦めない」もひねくれ者の僕にはわかりませんでした。
真夜中の散歩が僕の趣味でした。
いや世界から僕以外みんな消えてしまったと錯覚することが僕の趣味でした。
ロマンチストだと笑うのはよしてくださいね。
いつもの夜に僕は君に出会いました。
いつもと違う散歩道を歩いた日、商店街の裏路地に君はいました。
僕に気づいた君の目に光はありませんでした。
君の目に光はなかったけれど、僕の目に君はとても光って映りました。
その時の君は世間的に見たら汚らしい、いや、恐怖すら感じるほど赤に染まっていました。
日に当たったことがないかのような白すぎる肌に手に持ったナイフ、滴る血。
シャネルの470番をのせたような唇。
理由は今も知りません。
何故女性もののルージュの品番がわかるのかは聞かないでください。
君は最初で最期の美しい女(ひと)でした。

似たもの同士の僕らはその日から真夜中の散歩を一緒にしました。
ひとりぼっちだった世界が君とふたりぼっちに変わりました。
あの日僕が見た出来事はもう忘れていました。
君と歩けるのなら、君が何者であろうと僕には関係なかったのです。
いつからだったでしょうか。
肩を並べて歩いていたのが、手をつなぐようになり、別れ際に抱きしめるようになり、「帰りたくない」とキスをするようになったのは。
僕たちは散歩の後、二人同じ部屋に帰るようになりました。
ワンルームのシングルベッドで肩を寄せ合って眠りました。
狭かったけれど寂しい僕たちにはちょうど良かったんだと思います。
はじめてセックスをした日のこと僕は今でも鮮明に覚えています。
柔らかな肌も妖艶な声も潤んだ瞳も。
僕の中に閉じ込めておきたい君の姿は誰にも教えたくないのでここらへんでやめておきます。
ベランダで煙草を吸いながら、相変わらず世界も僕も汚れていると思い出しました。
君に出会って毎日考えていたことすらどうでもよくなっていました。
僕の世界で唯一綺麗な君に僕は問いかけました。
「あの日何をしていたの。」
返事が返ってこないことなどわかっていました。
僕は臆病な人間ですから、君の口から聞くのが怖かったのです。
朝になれば、君の眠る場所はもぬけの殻になっています。それにももう慣れてしまいました。
二人が帰る場所はいつも僕の部屋でした。
僕は君が帰るもうひとつの場所を知りません。
何度散歩をしても、何度身体を重ねても、僕が知っているのは真夜中の君だけなのです。
僕はそれ以外の君を知らずにこの世界とともに消えてしまいます。
あの日の理由も知ることができずに終わってしまうのです。
なんて悲しいことでしょうか。

僕たちは恋人同士ではありません。
寂しい似た者同士だっただけで、寂しさを埋めなければ生きていけなかった、この世界には向いていなかったのです。
君があの日殺した相手はきっと、僕と同じように寂しさを埋める相手でしょう。
キスをして身体を重ねるだけじゃ君の深い孤独は埋まらなかった。いや、埋まらなくなってしまったんだと思います。
すべて僕の妄想にすぎませんが、君はその相手に「自分を殺してくれ」と懇願し、相手はそれを承諾しなかったんでしょう、それはもちろん相手が普通だったのですから当たり前です。
その時すでに光のなかった君は、半狂乱でした。ただ生きていることを実感したかったがためにそいつを刺した。何度も何度も。
その時噛み締めた唇が僕が見た真っ赤なルージュです。
君はその口から流れる血と自分が浴びた返り血が同じ色をしていることに幸福を覚えたことでしょう。
「自分は人間で、生きている」と。
そこに偶然通りかかった僕を君は新しいヒトにしようと考えたんだと思います。
しかし、僕は「普通」ではなかったはずです。
驚くこともなく、ただ綺麗と呟いたのですから。
僕が君のすべてを知らないように、君も僕のすべては知りえていないのです。

少し僕の昔話を書き留めておきます。
僕も初めから汚れていたわけではありません。未来に希望を持ったごく普通の少年でした。
僕の目に映る景色も鮮やかで、人はみな綺麗なものだと思っていました。
しかし、僕は変わってしまいました。
きっかけは両親の秘密でした。
僕の両親は、優しく愛情深く僕を育ててくれていました。僕の知る両親はいつも笑っていました。赤いルージュをのせた母の子守歌は忘れることができませんし、父は僕にたくさんのことを教えてくれました。宇宙の始まり、海の底、女性のなだめ方。本当にたくさんです。
僕は両親が大好きでした。
朝は必ずおいしい朝ごはんを用意してくれる母と新聞を読む父。
そんな日常を疑わなかった僕は、毎晩出かけていく父のことも知らないふりをしていました。
先に言っておきましょう。僕が知らなった父の本当の姿を。
僕の父の職業は、殺し屋でした。

父は裏の世界では割と名の知れた人間だったそうです。
母が残した手紙で、僕はこの事実を知りました。

いつも通りの夕飯時のことでした。
仕事から帰った父はどこか焦点が合わない目をして、突然母を切りつけたのです。
「すまない」と何度も言いながら。
母は父が殺し屋だということを知っていたようでした。そしてその標的が自分になってしまったこともすべてわかっていたのです。
かすれた声で母は「大丈夫よ。」と一言残して息絶えました。
凄惨な光景が目の前に広がっていました。
そのあと父は僕に、母からの手紙があること、普通の会社員ではないこと、今まで僕が想像もできないことを淡々と述べて最後に「こんな姿を見せてすまない。お前は普通に生きていけ。」
そう言って、家を出ていきました。
知らない黒服の男たちが父と入れ違いでやってきてその場を何事もなかったかのように処理をして家には僕一人だけになりました。
ここまでものの15分の出来事です。
しばらく放心状態だった僕が母の手紙に手を伸ばしたときはもう日付は変わっていたと思います。
母からの手紙には、先に言ったように父の職業と母自身も昔は名の知れた情報屋だったこと、こうなることはわかっていて僕を騙してしまったことへの謝罪が綴られていました。
僕が大学を卒業するまでの生活費が振り込まれたキャッシュカードと通帳が一緒に入っていました。
僕が18になったらこうなることは僕が生まれる前から決まっていたそうです。
手紙を読み終わって、僕はやっと母が父に殺されたことを思い返しました。
今思えば僕はあの瞬間から変わってしまったのかもしれません。
だって母から流れる赤黒い血を見たとき、「綺麗だ」と思ったのですから。
それからです。僕の見る世界が、人が綺麗だと思えなくなりました。

僕の昔話はこれで終わりです。

君には僕が普通の人間に見えていたと思います。
人殺しなどとは無縁で、自分が人殺しであることを追及してこないのは恐れているからで、それでいて都合よく寂しさを埋めてくれる人。
しかしそれは少し間違っています。
僕は一度だけ、人を殺めたことがあります。
あの日の母の綺麗さがどうしても忘れられなかったからです。
まあ、適当に選んだ相手が美しいわけもなく、結局それ以来人に手をかけるのはやめていました。
僕が君を恐れていた、これは間違ってはいません。
僕は確かに恐れていました。君の美しさを、です。
どこかで書いたように、君が人殺しだろうが僕には関係ありません。
もし僕が真実を突き止めれば、君は僕を殺すだろうし僕の前から消えるでしょう。
それを避けるために僕は今の今まで君に何かを聞こうとしなかったのです。

世界は明日終わります。
僕も君も、あの近所の猫だって、みんな消えてしまうのです。
僕は君に感謝を伝えたい。
あの日あの場所にいてくれて本当にありがとう。
僕と生きてくれてありがとう。
真夜中の刹那の関係だったけれど、君のおかげで僕の世界に色がついたよ。
今、君の白い肌は青白くなっているけど、それでも君は何より美しいよ。 相変わらず君には赤いルージュが似合う。

僕の世界を終わらせるのは、顔も姿かたちもわからないなにかだけど、
君の世界を終わらせるのは誰でもない僕であってほしい。
そんな我儘を聞いてくれてありがとう。
僕のために死んでくれてありがとう。

僕は今日、君を殺しました。
僕の身体に父親の血が流れているのは関係ありません。母の美しさもきっと関係ないでしょう。

君の命を奪ったこと。
しかしそれは誰にも知られることなく、この世界ごと消えてしまいます。
君の昼の姿を知ることもないのです。
君に残る最期の記憶は、狭いシングルベッドと煙草と血の匂い。

また次の世界で会えたなら、僕は君と日の当たる道を歩きたい。


僕より

男が手紙を綴り終わったちょうど27時。

世界の空は夜明けのように白み始め、直視できないほど眩しさを増した。

男が目を細めた瞬間。

世界は音もなく、消えた。

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