マジョリティに焦がれて
なんかずっと、どことなく周りに馴染めなかった私は、物心ついたときからずっと普通になりたかった。将来の夢を聞かれるたび、適当に色々話していたけれど、心からの願いは普通になること。血が出るほど心から願っていたけれど、当時言えやしない願いだった。
普通が何かはいつまでもハッキリ掴めないけれど、例えば両親が揃っていて欲しかったとか、毎日家族が喧嘩せず過ごして欲しいとか、怒鳴られたり殴られたり脅されたりしないとか、一度でいいから家族で仲良く出かけたり食卓をみんなで囲んでご飯が食べたいなとか、そういう願いだった。家庭に向けての願いがほとんどだった。
当時は、人生の中で割と辛い時間だったせいか、記憶がもうほとんど薄れてるんだけど、そんな感じだったと思う。
10代、思春期と呼ばれるときに、普通が何か知りたくて、知り合いの色んな人の実家に行きまくって、そこの家族とご飯を食べたりする時間を繰り返していたことがある。
その時に、なにもない家なんてないことと、自分の家庭がわたしの理想を叶えることは無理だと確信した。自分の置かれた場所を愛せたらよかったけど無理だった。落ちた場所で咲けるとも限らない。家族とか言っても他人だし、上手くいかなくても当たり前だと思った。家族が死んだりしたら「仲良くしたかった」ってめちゃくちゃ後悔すると思うし、めちゃくちゃ泣くだろうし、遣る瀬無くなることもわかってるけど、どうしようもない。もう自分の人生を生きるしかなかった。
二年前家族に黙って家を出て来て以来、実家にはほとんど帰っていない。一度帰ったことがあるけど、その時ストレスで駅のトイレで吐きまくってた。べつに合わないところに帰る必要もないなと思った。
そこからは勝手に生きてる。もうどこでのたれ死んでもいいやって覚悟で、写真でお金をもらったりしてる。1番辛かった時気休めになったのが写真で、わたしはもうそれを辞める術すら無い。
わりと活躍してるように見えるかもしれないけど、本当は一度自律神経を壊したせいで食事や睡眠すら上手くいかないのがほとんどの毎日。
前を向いて強くなっていくしかなかったけど、別に強い人間でもないと思う。気力だけで自分を引っ張っていくしかないので、気力だけが肥大してしまってる。
こないだ「君は強い人だから僻まれるんだとおもう。人は自分より弱い人を見て安心するんだよ」って話を受けて、それがすごく腑に落ちたけど同時に悲しくなった。
弱さを受け入れて前を向けない人なんて山ほどいてて、それが嫉妬を招いて、人間関係が壊れたり疎遠になったりすることをもう何度も何度も経験してる。自己肯定感の低さや、自分に正当な評価ができないことってとても罪だとおもう。
私がかつて普通に憧れたように、他人と比べてしまうこともあるとおもうけど、もう大人なんだったらそれぞれが自分の人生を生きられるように強くて有って欲しい。
とはいえ他人に期待も願いも持っている場合でもないので、私は私を叶えるだけ。嫉妬で自爆する人たちみんなそこで勝手に泣き喚いてろよ。