青春18きっぷで仙台へ⑤
前日爆速で滋賀→茨城まで移動したわたくし
気づくと朝の8時を回っていましたもう少し早く起きたかった
本日の目的地は福島県双葉町にある原子力災害継承館
ホテルを後にし、日立駅に向かいます
そういえば日立駅は日本で最も美しい駅として有名でした
前日来た時は真っ暗で気づかなかった、、
海に迫り出す様なガラス張りの駅舎から見る太平洋はとても綺麗でした。
起きたのが遅かった為、双葉駅まで直通の列車を逃したので一旦いわき駅を目指します
8:50 日立駅を出発
1時間ほどでいわき駅(福島県いわき市)に到着
商業施設もあり、活気がある街でした
次の電車が2時間強待たないといけなかったので一旦ステイ
商業施設があると言っても日用品や雑貨屋、飲食店が入る九州で言うイオン的な場所で、周辺にも居酒屋などの繁華街がある程度で身ひとつで乗り込んできた私にとっては観光的な事をする場所はなかったです。
お腹も空いておらず特にやることもなかったため、きれいな図書館を見つけてそこで休憩がてら本を読むことに
いわき市立いわき総合図書館
長旅の疲れからか本を読みながら爆睡してしまい、職員に心配される始末。本当にごめんなさい
そうこうしているうちにいい時間になり駅へ
電車に乗ります
双葉駅までは12駅で約1時間程です。
この日は3月10日
この時この日が3.11の前日である事を実感した最初の出来事がありました。
日本人女性と欧米人らしき男性の二人組が正面の席に座ってきました。
英語で話している2人、首掛けには「PRESS」の文字。
話を聞く感じ震災の話をしていて、海外から取材をしに来た記者の方みたいでした。
そして双葉駅に着く直前
前の駅を発車してすぐ地図を見ると、自分が座っていた背中側約1.8キロに福島第一原子力発電所がある場所を通っていました。
窓を見ると、拓けた景色ではなく木々や土手が視界を阻む中、一瞬だけですが廃炉作業中のクレーンが見え、あの福島第一原子力発電所事故の現場が見えました。
遂にここまで来たかと、
旅行観光気分でいた気持ちが引き締まる感じがしました。
双葉駅到着
東日本大震災・原子力災害伝承館の最寄駅
今日の目的地です。
さっきの2人組もここがてっきり目的地かと思ってましたが、まだ先まで行くようです。
電車が止まる直前にドアの前に立っていると、女性から
「イチエフが直接見える場所はどこかありますか?」
と聞かれました。
地元の人間ではないので特に見当もつかず、電車から一瞬見えた事と、このあと行く伝承館の事を話しました。
原発そのものもが高台にある為、見れる場所は限られてるようです。
震災で建て替わってるのか、建物はきれいでした。元々複線であった跡が残ってましたが、線路は完全に撤去されてます。
双葉駅は目の前に双葉町役場があり、その前にロータリーがあり綺麗に整備されていました。
ふれあいセンター的なものが駅の建物に併設されてて人が集まれそうな場所でした。
駅前は綺麗に整備されていましたが若干更地がまだ残っていました。
ここからバスで目的地の東日本大震災・原子力災害伝承館へ
そして遂に2番目の目的地となる
東日本大震災・原子力災害伝承館に到着
平になった海辺の更地にポツンと綺麗な3階建ての建物がある感じでした。
震災前日とはいえ日曜の午後だった為めちゃくちゃ人が多いわけでもなかったですが、報道関係の方がちらほら、そして中学生くらいの団体さんがいました。
最初は大きなシアターで映像を見ます。
そのあと順路で展示を見ていきます
写真で紹介しているのはごく一部で
ここでは紹介しきれないほどの展示物があり、とてつもない情報量でした。正直全部見て回るとめちゃくちゃ疲れます。
震災の時、福島第一原発で何が起こったのかはなんとなく知っていました。
ここに来てわかったのは
その時現場に居合わせた人たちの生々しいくらいの実情でした。
行政の人たちは、情報が錯綜する中で現状を把握し次に何をすべきか結論を出し、それを実行しないといけない。インフラが寸断され刻々と放射線の線量が上がっていく中で、住民を安全な所に避難させないといけないという難しい判断を迫られていたというのが、線量を毎時記録した殴り書きのホワイトボードなどから伝わってきました。
そして消防や自衛隊、東電の人がどんな危険な状況で作業していたのか、最悪の状況でそれでも被害を最小限に留めようと最後まで戦った人たちの装備などがありました。
有料展示場の他に無料の展示場があり読売新聞の写真の展示がありそこには、
ぐちゃぐちゃになった学校の教室で当時亡くなった同級生への花束を抱えて立ち尽くす女性の後ろ姿の写真
瓦礫の中で不安そうな面持ちで安否不明の息子を探す母親の写真
遺体の前で泣き尽くす男性の写真
亡くなった方のお葬式でまだ理解ができず、大人の足の間でポカンとした顔で立ち合掌をする男の子の写真
自衛隊に68時間ぶりに救助された赤ちゃんと、2年後その子が七五三で元気に走り回る写真
あの日どれだけの悲しみが生まれたのか、その一部を写真でではありますがこの目で見て胸が引き裂かれるような想いでした。
そして、それと同時にここに来てよかったと思えました。
震災によって沢山の方が亡くなりそれより多くの方が悲しみに暮れたこの東北の地で、自分も手を合わせて想いを馳せる。震災当時小学生で何もできることがなかった自分が13年経って大人になった今、唯一自分が出来ることがこれだと思っていました。これが私がこの旅をした理由です。
前々から東日本大震災の被災地に行きたいとは思っていました。
当時小学生ながら強烈に脳裏に焼き付いているニュースの映像の下では、自分が今目にしたことが実際に起こっていた。
当時の現実を見て知り、その人たちの痛みを感じ、そして今自分はその場所で、その人たちを想いながら手を合わせることができるのは今自分が出来る最大限の追悼だと思いました。それが出来たことが、ここに来て本当に良かったと思った理由です。
福島第一原発から3キロほどしか離れていない双葉町は事故により町内のほぼ全域が帰還困難区域となり事故から10年以上誰も住めない状況でした。
2022年8月にやっと人が避難指示が解除され人が住めるようになりました。しかし、まだ住民の9割以上が町外で生活を送っており元の生活とは程遠い状況が続いています。
伝承館の最後にはこれからの被災地の構想が解説されていました。正直夢物語に感じどれだけのお金と年月がかかるんだろうと途方もなく感じました。
しかし現在双葉町には企業誘致で実際に企業が進出したりと着実に前へ進み出しているのをこの目で見ました。
今後双葉町がどのような歩みを進んでいくのか気にかけていきたいと思いました。
気づいたら3時間以上経っていました。
双葉駅へ戻ると人が集まっていました。
見覚えのある人が何か喋っていました
しきりに「キャンドル」という言葉を連呼しているのでピンと来てこの人がキャンドル・ジュンさんであることがわかりました。社会活動家としても活躍してるみたいです。
皆それぞれの想いを書いていました。
中には自分の就職祈願してる人も、、笑
青春旅終着駅 仙台へ
あまりイベントを楽しんでると仙台へ行けなくなるので途中で切り上げて電車に乗りました。
原ノ町行きに乗り20分ほどで到着。
そこから仙台行きへ乗り換えて約1時間半の長旅でした。
東北は九州に比べて日が暮れるのが早く真っ暗で景色を楽しむこともできず気づいたら仙台に着いていました。
青春18きっぷで熊本から在来線を乗り継ぎ4日目
遂に目的地の仙台に到着しました
さっきまで長閑な田舎にいたのでギャップがすごい
人がいる安心感さえ感じた
仙台駅に着いて、一旦ホテルに行って、駅に戻って牛タンを食べに行って、帰ってまたさらに炒飯食べて酒飲んで風呂入って寝る。めちゃくちゃ幸せ😃
今日もかなり肉体的に疲れ、メンタルも筋肉痛になりましたが、明日もやりたいことがてんこ盛りだったのでさっさと寝ました。
盛りだくさんの第5弾でした。最後まで読んだ方はお疲れ様です。🙇🏻♂️そしてありがとうございます
今日も双葉でやりましたが、明日が本命の日です。
したがって、また次回もヘビーな内容でお送りするかもしれませんので今回はここらへんで
ご覧いただきありがとうございました。また次回👋