自分のことが好きと言うこと
タイで暮らしていて面白いというかすごいなと思う事がみんなが自分のことを大好きということ。
例えば、写真のキメ顔は当たり前のようにみんな持ってるし、ちょっとした映えスポットでは老若男女、美醜とか太ってるとか痩せてるとかまったく関係なくポーズしまくり。どうみても50を超えたかなりふくよかなおばちゃんが大はしゃぎで自撮りを電車の中で撮りまくってたりします。
日本人だとこうはいかない。写真スポット来ても、さっと集まって、さっといなくなる。というか帰ってきてびっくりしたのは、映えスポットで写真を撮る人がほとんどいないということ。
日本に帰ってきて、写真スポットが空いていて待たずに撮れるから非常に良いんだけど、写真撮ってるの自分たちだけで妙に恥ずかしかったり、そこを気にする自分は日本人、、、とか思ってました。
で、ちょっとずれましたが何がいいたいかというと、どっちが幸せかと言う事。
自分が撮りたいから撮るタイ人。のと周りにどうみられるかを気にして写真を撮らない日本人。
人の目を気にせず自分のやりたい事をやる。それでよほどの迷惑がない限り、そこは個人の自由として尊重する。暑いからかタイの宮廷文化の影響かはわからないけど角刈りのおっさんみたいなおばちゃんがいっぱいいるし、中年過ぎててもドラえもんのTシャツを来てたりしても、誰も気にしない。
本人が良いなら、良いじゃん。
僕は人の目が気になってちょっと勇気がでないときは「踊る阿呆に観る阿呆、どうせアホならおどらにゃそん損。」とおまじないを唱えて、とりあえずやるよう心がけています。
ちなみに日本の痛車に精神はこれに近そうだけど、実は周りの冷ややかな目を痛いほど気にしつつ、それに耐えることで逆に推しへの愛を表明するという、キリスト教的な神への愛への表明に近い精神のような気がするのでちょっと違うような気がしますがどうなんでしょう。