へりくつのような哲学のような真理のようなただのへそ曲がりな話。
真理だと思ったけどやっぱりへりくつだなと思った話を書きます。
1食で卵の白身だけ5個分くらい欲しいときがある。
筋トレをしていると、毎度の食事にタンパク質がどのくらいあるかはけっこう気になります。
うっかりササミや胸肉を切らしてしまうと、卵の白身でタンパク質を補おうと目論みます。白身のタンパク質ってまったくもってバカにできないんですよ。とってもありがたい存在。
でも、同時に黄身も5個分食べるとなると、黄身って実はヘルシーそうで意外とカロリーが高いんですよね。筋トレする人にとっては敬遠しがちな食品でもある。
じゃあ黄身をどうするのかというと、奥さんが欲しがっていれば譲る。でも5個分もいらないので、2個分は譲って、あとは、捨てる。
捨てる、のだ。
これを読んで「ええ!もったいない!」「非常識!」と思った人。
それはいたって普通の感覚だと思います。
わたしも、まったく同感です。なんなら、なにかに謝りながら捨てるときもある。
隣で奥さんも言う。「えーもったいなーい」。
ある日、同意見ながらどこか罪悪感があるわたしは、まるで自分に言い聞かせるように、咄嗟に言い訳が出ました。
「でも、食べものの食べられる部分って人それぞれじゃない?」
今回は、卵というメジャーな食品だから、黄身を捨てる行為はおそろしく違和感を感じる。
でもエビフライを食べるときに、尻尾まで食べる人は少ないよね。さんまの腹わたまで食べる人も少数派だと思う。わたしもそっち派。
だけど、わたしがまだ小さい頃、親父がよくエビフライを尻尾まで食べて、得意げに「尻尾も食べられるんだよ。おいしいよ。もったいない」と言ってた。さんまの腹わたを食べて、得意げに「このほろ苦いのがおいしいんじゃん。もったいなーい」と言ってた。
エビフライの尻尾もさんまの腹わたも食べている人がいる以上、それはりっぱな食べもの。
でも、世の中ではそれらを食べ残す人が多いから、多数派においてそれは罪ではないように扱われてる。けど、食べものを捨てていることに違いはない。
それはひとつの真実ではあると思う。でも同時に、エビフライの尻尾を勧められるたびに「知らねーよ」とムスっと不機嫌になった自分も思いだした。
だって食べられないものは食べられないじゃないですか。強要されると、受けいれがたいですよね。
だから、自分が普段は食べているものを、誰かが食べ残しているからといって安易に「もったいない」と批判してはいけないんだ、と急に自戒しました、というのが本題。
でも、やっぱりヘリクツかな。いやせめて食えるものは残さず食えよって話ですよね。
ただひとつ言えるのは、ニワトリは白身だの黄身だの言う前にカラも残さず食べんかい、と怒っているかもしれないということです。
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