運動会のふり返り
この時期、運動会というところも多いのではないでしょうか?
我が家の三女の小学校でも今日は運動会でした。そして、娘にとっても、我が家にとっても、小学校最後の運動会となりました。
今日はここで場面緘黙症をもつ三女のこれまでの運動会について振り返ってみようと思います。
1年生。入学早々で初めての運動会。緊張してはいたものの、この当時は3年生、5年生に姉たちも居たし、周りの1年生のみんなのはしゃぐ姿に、控えめながらも一緒に便乗出来ていた。もちろん、競技全般に参加も出来ていた。
2年生。場面緘黙症と診断されてからの運動会。この頃には運動会の練習中に動きが止まってしまうことが出てきたり、大人数での走り出す音や、沢山の人が行き交う場所で足がすくんでしまうことが見られるようになりました。それでも徒競走や競技には担任の先生の協力もあって出れていました。
3年生。少しずつ場面緘黙症の症状が強くなってきた時期でもあります。担任の先生が一生懸命で、クラスメイト達も段々と娘の特性を理解しだした感じです。ただ、この頃より娘も段々と周りとの違いを意識し始めてきた感じでした。それでも、皆と同じように頑張ろう、皆について行こうと必死でした。それがまた苦しそうでした。でも頑張りが形となり、皆と同じように『よさこいソーラン』を踊ることが出来ました。徒競走にも出場し、走りきりました。娘が徒競走に参加出来たのはこの年までとなりました。
4年生。学校にようやく支援級が出来て、支援級在籍となりました。年齢的にも周りの目が気になりだしてきたのか、集団生活における過度な緊張や不安感は増して身体が思うように動かせなくなってきました。学校行事全般、集団参加等がいよいよ難しくなり、運動会では徒競走でスタートラインまで連れて行ってもらっても、そこから走り出す事が出来ず、スタートラインで身体が固まって動けなくなりました。(緘動)
それでも集団演技では、二演目あるうちの一演目、昨年同様のよさこいソーランは、先生の協力もありその場まで連れて行ってもらい、ぎこちないながらも少し踊ることが出来ました。
5年生。場面緘黙症の症状は思春期に入った事でより一層強くなってきたように思われました。運動会の練習にも参加が難しくなり、見学が続くようになりました。集団演技でのダンスは全然出来なくなり、練習用にと先生がダンスの振り付けをDVDにしてくれたりしましたが、家で練習が出来たとしても集団に入れば動けずに参加は難しくなりました。運動会の練習日の度に登校渋りや早退、緘動も増えてきました。運動会当日には校内に入ることも出来なくなり、先生からも辛いなら帰っていいよ、一旦帰って見学に来れたらおいで、と言われました。本人は出ようともしており、葛藤がみられましたが『帰っていいよ』という一言は安堵と共にショックでもあり、心中複雑だった事と思います。
以上が5年間の運動会の振り返りです。
今日は小学校生活最後の運動会となりましたが、前年度のこともあり色々と悩みましたが、結論から言えば応援見学のみとしました。また今日のことに関しては後程記録しておきたいと思います。ひとまず最大イベントのひとつがようやく終わり、今夜はぐっすり眠れそうです!
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