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三浦綾子著『嵐吹く時も』 読んでみた 〜ちょっと小学館さん💢〜
この度、久しぶりに新型コロナに感染いたしまして。
数日を床に伏していたのですが症状も比較的軽い上に、幸か不幸か在宅ワークできない職場環境なおかげでずいぶん休養させていただきました(全部あとから我が身に降りかかってきますが)。
おかげさまで気になっていた『極悪女王』(2024-Netflix)もコンプリート。そして三浦綾子文学ファン認定の最高峰「ゴールドミウラー」獲得のための最後の砦、『嵐吹く時も』にようやく取り掛かります!
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というわけで、読み進めてちょうど半分に到達したわけですが、ちょっと待ってください。
ちょっと小学館さん(電子版の販売元)。
ちょっと一言いいですかね💢
私今回、『嵐吹く時も』はKindleの電子書籍で読ませていただきました。私のポリシーは「いつも手元に三浦文学を」。紙の本ももちろん愛していますがその手軽さゆえに電子書籍も併用しております。積ん読が視界に入って心を蝕むこともありませんし。
ただ不満があるとすれば、ちょっと長編になると単行本・文庫本では一冊なのに電子では上下巻に割りがちなこと。氷点なんか正続×上下で4冊です。愛する三浦文学に数百円をケチる気は毛頭ありませんが(ありますが)電子版なのに紙本より高上がりになるとかちくしょうめこのやろう。
いや、でもそれは電子書籍全般に対する不満であって、今回私が小学館さんに物申したいのは別の話です。『嵐吹く時も(電子版・上)』の「あとがき(付録)」です。
私、上巻を読み終えたところなんですけどもね、この作品、終始不穏な空気が流れ続けておりまして、電子版の上巻もとにかく不穏なまま<下巻につづく>を迎えるわけですよ。だって
「舞台は道北・オロロンライン」
「ようやく結ばれそうな主人公カップル」
「ヒロインが寡黙でクソ真面目」
「ヒロインへの執着を匂わせる優秀だが腹黒そうな男」
こんなの揃ってて『天北原野』読んでたらもう平穏な気持ちではいられないですよ。
それでもまあ私、映画はエンドロールまで、本はあと書きまで読む方ですのでいつもどおり、昭和作品の定番「作中に差別っぽい表現あるかも知れんけど時代ですよ、差別意図ではないですよ」という注釈にも「御意」と小さく返事をして次のページを繰るわけですが、なんと「付録」のふた文字が。これはワクワクさせてくれますよ!
もうひと繰りすると、お馴染み「三浦綾子記念文学館初代館長・高野斗志美」の文字が!(実際には「高”橋”斗志美」と書かれており誰やねんと思いながらも堪えてスルー)。しかもタイトルに「登場人物を読む〜」と。
ちょ、これすごい企画じゃないですか?作品の途中で登場人物評するって斬新ですよ!さすが高野さん!
そうかつまり、私てっきり元々一冊だった本を電子化で上下分冊したのかと思ったら違ったのね。ネタバレさせずにここまでの情報で登場人物を評価分析して、物語の振り返り、相関の確認、不穏の煽りを加えて後半への楽しみに繋げる。めちゃハイレベルな計らいです。
─と、そのとき私はそう信じて疑いませんでした─
では期待して最初の一行を読んでみましょう。
「お姉ちゃん、お姉ちゃんは子供を三人も持っていて、男と女のことはちっともわかっちゃいないんだなあ」
「・・・・・・」
「俺ね、商売が商売だから・・・(以下混濁)」
ガッデム!!やりやがったな小学館!!これ絶対下巻の巻末に載せるやつじゃないすか!!こんなやりとり上巻に無かったから!絶対上下に分割するとき付録をつけ間違えましたよね!しかもたった数行でどえらい量のネタバレしやがって!(号泣)
誰のセリフなのか明かされる前に指で目を突いて防いだものの、高野氏が登場人物評で冒頭にもってくるなんて主要人物にきまってるし、「お姉ちゃん」立場のキャラはヒロイン・志津代だけ(母・ふじ乃と佐渡に残した弟(いるのか知らんけど)の会話&ふじ乃がまさかの3人目出産済みという可能性も微粒子レベルで存在するけど、弟の口調が若いしふじ乃が「男と女をわかっていない」は無理筋なので除外)なんだから姉は志津代、弟は当然新太郎で確定ですよ。
そして志津代には子供が三人!てことはこの時点で一番の懸念は志津代が三郎に手込めにされてしまうことなんだけど(三浦作品ですので手込めにされたら妊娠出産がデフォルトです)「結婚間際に他の男に手込めにされてそっちと結婚、そのまま三人の子もうける」なんて『天北原野』(本作の10年前に書かれた三浦綾子の代表作の一つ)トレースを綾子さんがやらかすわけないし、何らかの理由で主人公・文治を諦め嫌々三郎と結婚するなんてのも似たようなものです。あとは一人目か二人目は三郎の子、それ以外は文治の子、なんていう鬱展開も三浦ワールド的にありそうですが、そんな修羅の如き人生を歩んでいる姉へ「男と女をちっともわかっちゃいないんだなぁ」なんて言葉は向けないでしょうから、この時点で「志津代は文治と無事に結婚して子を三人もうけている」までは予想できちゃうんですよね。
で、何より問題なのは新太郎の「俺ね、商売が商売だから、、、」というセリフ。「商売が商売だから」と姉に語るということは姉とは違う商売、かつ姉の「男女の機微に疎い」ということに対する発言なので志津代が経験していない商売、つまり志津代にも経験のある雑貨屋経営のことではない、イコール新ちゃんは「かね中」を継いでいないってことなんすよ奥さん!
これは母・ふじ乃が納得の上で新太郎を外に出したか、あるいはふじ乃に何かあったか。暖簾分けもしていないわけですからね。で、志津代(と文治)がかね中を継いでるのかというとこれまた微妙になってきます。三郎の存在です。上巻の終わりにはっきり宣言していますんでね、わしゃこの店が欲しいんじゃ、と。三浦作品でこういうキャラのこういう欲求が描かれたらただでは済みません。三郎がかね中を手に入れるには、志津代の婿になるか、シンプルに乗っ取るか。前者がないとすると後者が怪しくなるんですよね(ふじ乃と三郎がくっつく!?)。
もちろん内容を知った上で何度読み返したって楽しめるのも三浦文学の特長ですけれども、節が変わったら突然主要人物が死んでいたり十年経っていたりが茶飯事なのもまた魅力。せめて初読は先が見えない状態で読みたいじゃないっすか。とりあえず志津代が三人産むまでは志津代も新太郎も死なないとか、会話のトーンから子供を失うこともなさそう、新ちゃんは案外まともに育ちそう、てなところが見えちゃうだけでもね・・・。
いや通常はね、そこまで大したことじゃないんですけど、せっかく綾子さんが金太郎飴のように絶え間なく、本当に隙間なく不穏粒子を埋め込んでくれていたのに、そして後半ではさらに不穏が追加されるのか回収フェーズに入るのかわかりませんがそれでも、たったそれだけの不安要素を取り除かれるだけでも仕掛けが崩れちゃうんすよ!
途中で「えっまさかこの後!」という不穏ポイントにあたっても「いやいやこの後も志津代は無事だしな」とか絶対いちいち冷まされちゃうのよ小学館さん!絶対上巻と下巻の「付録」、つけ間違ってるから!「高橋」斗志美さんの修正も併せてなんとかお願いしますよ!(激情)
(本編の感想は下巻を読んでからあらためて)
#三浦綾子 #嵐吹く時も #綾活 #読書感想文