教育という社会問題解決手法の課題
議論系のコンテンツを見ていると、よく課題解決の結論として教育があげられることがあります。
例えば先日のSNSにおける誹謗中傷行為の問題だと、「SNSの正しい扱い方についての教育が必要である」という有識者の主張を多々目にしました。
他にも、「差別をなくすために教育が重要である」「日本に起業家が少ないのは教育に問題がある。」などなど。環境破壊や犯罪まで。世の中のありとあらゆる議論でしばしば持ち出される解決策が教育です。
個人的には、課題解決策を提示しているだけ素晴らしい。ただ、その一方で思うのです。
「で、教育でどうやって解決するんだろう?」と。
それは教育か?しつけか?
社会課題の解決手段として、教育を挙げることは間違いではないと思います。むしろ、教育はあらゆる社会課題の解決に繋がる可能性があると思っていますし、だからこそ私自身教育業界に身を置いています。レバレッジも効きますし、本質的な課題解決に繋がることも多くある。
一方で…
例えば「差別がだめであることを教育で伝える必要がある」という主張をしている人の教育のイメージが、仮に、先生が生徒の前に立って、
「差別は決していけません。みなさん差別はやめましょう。」
とお話することをイメージしているのだとしたら…。
子どもからすると、そんなメッセージ、1日経ったら忘れるのがほとんどでしょうし、下手すると、自分に身に覚えのないことに対して説教されるようなものです。
結局その教育は何の社会課題の解決にも繋がっていません。むしろ、大事さを説くような教育は、大人からのただの押し付けです。
教育というよりしつけという言葉の方が適切でしょう。
その教育にブラックボックスはないか
さすがに実際の教育現場で、上記のような単純な説教は行われていないとは思いますが、上記の例から、学びの面白さをデザインすることがいかに大事かがお分かりになると思います。
単にキャッチーにしろとか、面白おかしくしろという話ではありません。
例えば、先ほどの差別はいけないことを教育することを、面白おかしく伝えるべきではない。むしろ、問題の根深さや差別の怖さをいかに学問や社会課題として興味深く伝達できるかという意味での面白さです。
以前から書いているようにその手段は体験型の学習かもしれないし、経験者の体験談を聞くことかもしれません。仕組みが難しいのであれば、熱量をもって伝えるだけでも十分のケースもあると思います。
肝心なのは、決して価値観を押し付けるような形にせず、自発的に興味が生まれ、知識として記憶に残り、その結果行動に変化が出るように設計することです。
そうです。めちゃくちゃ難しいんです。
誰が誰にどう教育するか。
本当にその課題を解決したいのなら、教育を魔法の解決策のように提言するのはやめて、その過程や仕組みまで考える必要があるのではないでしょうか。
(僕も気を抜いたらすぐやっちゃうけど。そしてここまで考えるのは本当に大変なことんなんだけど。)
課題解決にも、ブラックボックスはありませんから。