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短編4 過去


幼い頃から誰かと比べられるのがとても嫌いだった。

テストの点数、学校の成績、どこの学校に行った、遊び方、服装などなど。
私の人生なのに何故か比べられてしまうこの世界が嫌いだった。

「あの子はあの高校に行ったのに」

「あの子はきちんと家のことをしているのに」

「皆風邪をひいても塾に行って勉強しているのに」

「おじさんの子供は、近所の子は大人しいのになんであなたは…。」

そんな言葉の数々は私に呪いをかけた。
皆と同じ線に、土俵に立たないと何も認めてくれないんだなと小学生の頃思った。

幼い頃は常に誰かと比べられていた。

小学校の同級生、親族の子供、そして親兄弟。

そして、何故か近所の人が私がどんな事をしてるのかさえ知れ渡ってる感じが24時間監視されているようで息がしずらかった。

「親兄弟が頭のいい学校に行ったんだからあなたもそうしなさい。」
常に言われた言葉だ。

しかし、残念ながら私はそんなに頭も良くなくて勉強も嫌いだったので高校卒業と同時に資格が貰えて手に職が付けられる学校に行った。

それを聞いた祖母は大激怒した。
「なんで頭のいい学校じゃないんだ。私はその高校に行くのを許さない」と。

私の人生だ。
祖母の人生じゃない。

でも過去の呪いは簡単には解けない。

私はこの家系の失敗作だと幼い頃ながら思い泣きながら母親に伝えたこともあった。

取り柄もない。

女子なのに男子が好きな物が好きだった。
読む本も遊びも女子がやらなそうな物ばかり。
祖母はそれが許せなかったのだろう。

女子らしくないから。
だから泣くのも許されなかった。
「女の子なんだから泣くな」
常に言われていた。
だから人前で泣くのは恥じだと陰でひっそり泣いたりもした。

中学に入るとちょっとした反抗心のようなものも芽生え祖母の目に入らないように家にも顔を出さず逃げるのが数年続いた。

しかし、祖父母の良くない話は家の中に情報として耳に入ってくる。
私が感じていたものと違っていた。
そんなものはどうでもよかった。
自分に自由が欲しかった。

就職した時もどこに行ったのかすら伝えなかった。
結果的に父と同じ道を辿ってしまったから。

見栄の対象になりたくなかった。
意見も聞きたくなかった。

話すのも嫌だった。

聞いてくるとしても私の話ではなくて同級生は今どこにいてなんの仕事をしているかの質問攻めだけ。

私より私の同級生が何をしてるのかが重要なんだなと。
私と比べる材料が欲しいのではと内心思っていた。
だから全ての会話は知らないで通した。

自分のために。

そんな中、台風の影響で家が古かったせいで大規模半壊になり私の家に居候していた時期があった。

家の中は最悪の状況だった。

家族全員仕事だから家にいないをいい事に自分の家のように知り合いを上げていた。

夕飯も作るのが遅いと文句を言った。
そんな文句も聞きながら母は黙っていつも通りの生活をしていた。

母は私にとって偉大だ。

けど一緒には住めないと思った。
ストレスも精神的にも限界だった。

そのタイミングで祖父母は家を借りた。
正直ほっとした。

後日聞いた話、祖父母は母と折り合いが悪いから出ていったとまるで私達家族が悪者かのように言っていた。
許せなかった。

何も文句を言わず家の事をしていた母を見て助けていた私からしたら言われる筋合いのない事を言われているとしか思わなかった。

だから今でも許せない。

過去も清算出来てない状態でまた新しく清算出来ないものが増えた。

他人と比べたがり、見栄っ張り、自分たちの思うようにいかないと悪者扱いする感じがとてつもなく気色悪く感じた。

そんな足枷のようにぶらついている過去を引きづりながら今日を生きてる。
許そうなんて思ってもない。
忘れることも無い。
周りの人は知らない過去の話。

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