あのひとは蜘蛛を潰せない(彩瀬まる)
_あのひとは蜘蛛を潰せない(彩瀬まる)
だいじょうぶだ、あってる。
言い聞かせて、それでも文章の語尾を少しいじってからファイルを添付し直す。
一行目から最後の行までをなぞり直す。
だいぎょうぶだ、あってる。
「あんた、言っとくけど、ああいうみっともない女になるんじゃないわよ」
母の言うことはいつも正しい。
正しくて、なにも言えなくなってしまう。
やっぱり私は牛みたいにぼーっとしていて、人より頭が悪いんだろうか。
この子の中には、「恥ずかしい」がない。
三葉くんと話しながら、私ははじめて、自分のことをずいぶんたくさん「恥ずかしい」と思っていたことに気づいた
「私がきらいって感じても、本当はその人の方が正しいかことを言ってるのかもしれない。私になにか、わかってないことがあるのかもしれない。そう思うと、こわくなる」
「本当はって、なに」
「_けど、梨枝さんたちはそういう風にして、相手とぶつからないでいいようにしてきたんだな。そりゃそうだよな、他人を殴るより自分を殴った方が、文句言われねえしずっと簡単だもんな」
「梨枝さんのその、ちゃんとしたの、って口癖ですか」
一瞬、心臓が鋭く跳ねる。
何か、開けたくない箱のふたが浮き上がるような気味の悪さ。
「本当は」、
習慣のように浮かんだ思考に、舌の裏が苦くなる。
私は、この世にないものを欲しがってばかりだ。
洗練とは程遠く、とはいえ、不慣れからくる醜さを恐れていたらなにもできない。
_「うまく」、「もっと」、「本当は」。
出来るだけ取り繕った小綺麗なかたちで、なんとかみじめさを負わずに逃げ切りたいと思っている。
しゃべることは、細い糸の上を渡ることに似ている。
_________言葉の呪い
私は本を綺麗なままにしておけない
ブックカバーをしていても、何故かいつも鞄の中や読んでる途中でくしゃっとしてしまう
私はパスタを綺麗に食べられない
パスタを食べると音を立ててしまうし
ソースが飛んでしまう
だから素敵だなと思う人とパスタを食べられない
そんなところも良いと笑ってくれる人がいるよ、と。
私は梨枝と同じ
"恥ずかしい"が心の中にたくさんいて
"恥ずかしい"をさらけ出せない
私はよわい
私はこわがってる
_本当はって何?
と聞かれた時、その答えはすぐには出てこなかった。
考えて出した答えは、考えて出した答えだ。
じゃあ考えてないのに、"本当"と"本当じゃないもの"を決めつけているということなんだろうか。
考えずに出した言葉も、考えて出した言葉も不安になると、もう言葉が自分とは違う意志を持ってるんじゃないかと疑いたくなる。
読み進めると自分の中の、見たくないもの、気づきたくないもの、触れるような感覚で。
傷つく言葉を言われるとわかっていても、話がしたいと思ってしまう気持ちと似ていると思った。
それは怖いもの見たさとはどこか違くて、
触れるか触れないかぐらいの肌から数ミリのところを、撫でられているような、鳥肌が立つ感覚に近い。
どうせなら触れてくれれば、振り払うこともできるのにと。
体育座りをしそうになる。
まっすぐの姿勢では、この本と向き合えないから。
でも私は体育座りすら、うまくできない
そんな不安と向き合って、向き合うことも疲れた頃にたいてい「そこがいいんだよ」と背中を押してもらえる出来事がある。
そっか、それでいいんだ。
と思って、しゃがんでた姿勢からまた立ち上がる。
そんな繰り返しを一体いつから、そして一体いつまでしていくんだろう。
そして、夜が更けていく
end