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「できる・できない」思考を捨てたらできたこと
こんにちは。天道です。
今回は、「できる・できない」という思考を捨てたら何が起きたかのお話です。
「できるようになるでしょうか?」の意味するもの
気功整体をやっていても空手をやっていてもそうですが、身体がもともと硬い人は硬いんですね。
私ももとはガチガチに硬かったんですが。
そういう身体が硬いと悩んでいる方に、たとえばストレッチについて言及すると、「できるようになるでしょうか?」と尋ねてこられる方もいます。
結論から言うと、身体は年齢に関係なく誰でも柔らかくできます。
ところで、この「できるようになるでしょうか?」の裏には何があるのでしょうか?
こうした場合、往々にしてその言葉に明らかに自分(そのご本人)に対する疑いを含んだ響きがあったりします。
私の経験からすると、「できるようになるでしょうか?」は「私ができるようになるはずがない」という意識(思い込みブロック)の現れであることが多いのです。
「できる・できない」を「やりたいか・やりたくないか」に
そうした方に(実際に口にするかは別として)こちらからお訊きしたいのは・・・
やりたいか、やりたくないか、どっちですか?
ということです。
だって、それがすべてだからです。
かくいう私も、「自分にできるのだろうか」がまずは先に立つ人でした。
子どもの頃から勉強も運動も人づきあいも苦手で、「自分=できない人」という図式が頭の中でできあがっていたのです。
そして、ものごとを「できる・できない」で選ぶようになっていました。
できないものを選んでしまって「やっぱりできない」となるのは嫌ですからね。
当然できることが少ないので、選択肢の幅もその分狭まってしまいます。
しかし、ある時から私は、「できる・できない」でなく、「やりたいか・やりたくないか」で考え、選び、行動するようにしました。
まず「やりたい」から選び、そこで「できることから」始めるようにしたのです。
「やりたい」で取り組んだ結果
私は中学1年生当時、英語が大の苦手で、授業はチンプンカンプンでした。
もちろん成績も壊滅的でした。
しかし、「英語ができるようになりたいな」という思いはありました。
海外の人たちと、自由に英語でやりとりできたらいいな、という憧れもありました。
その「できない」英語を「やりたい」に切り替えて、知り合いの大学生に教わって勉強した結果、英語の成績がグングン伸びていったのです。
大学は最初経済学部に入学したのですが、英語やりたさから転部試験を受けて文学部英文科に転部しました。
転部は困難と聞いていましたが、成功しました。
転部と同時に、アメリカに短期留学もしました。
これも経済的なことを含めて状況的には「できない」だったのですが、「やりたい」で選んで考えて行動した結果、大学からの奨学金とアルバイトで短期留学が叶いました。
その後、ほとんどオールAの成績で大学卒業もできました。
社会人になってからは、難関といわれていた通訳ガイド国家試験に受かるまでにもなりました。
英語は、今は私の一部として役立ってくれています。
空手にしても、学校の体育が苦手で「自分は運動神経ゼロ」と思っていた私なので、やろうかどうしようか二の足を踏みました。
当然「できない」が先に立ちました。
でも、「やりたい」で選び、考え、行動しました。
そして、黒帯もとり、今でも空手を愛好しています。
気功整体もそうですし、WEB関係の仕事もそうです。
「できる・できない」で考えていたら、そのどれも実現していなかったでしょう。
つまり、「できる・できない」でなく「やりたい」を選んで考えて行動していった結果、できなかったことができるようになっていたということです。
まとめ
「できる・できない」で考えるよりも、「やりたいか・やりたくないか」で選び、考え、行動する
「やりたい」で選んだら、「できること」から始める
「やりたい」で選び、考え、行動することで、できなかったことができるように