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4日目:大切にする覚悟

今回の文章には暴力を想起させる文章が含まれるので、苦手な方やトラウマのある方、メンタルの調子が良くない方はご注意ください。

フェネック文章力向上月間
Day4 大切なものについて


昨年6月に私達夫婦は結婚した。
「病めるときも、健やかなるときも」というお決まりの常套句に、私達はごく当たり前だと言わんばかりに「誓います」と力強く返事をした。

だから、私達はどんなときでも互いを大切にしなければならない。
それが健やかなるときでも、病めるときであっても。


数日前に夫を殴ってしまった。
それも、手加減なしのかなり強い力で、何度も何度も。

きっかけは正直覚えていない。直後は覚えていたはずなんだけど、それも2~3日経てば、すとん、と抜け落ちてしまった。
けれどおそらくそのきっかけはほんの些細なもので、夫のせいではなかったのだと思う。

辛うじて覚えているのは、「どうして私は甘えさせてもらえないの?」という圧倒的な飢餓感。
他の人たちは当たり前のように「全面的に甘えられる」時期があったのに、どうして私にはそれが許されないのだろうか。
あまりに不公平じゃないか。私だって、皆みたいに甘い海に守られて生きてみたい。何の心配もない状態で生きてみたい。

気付いたら、訳もわからずその場でわんわん泣いていた。
夫は一切泣かなかった。私以上に泣きたかったはずなのに。


幸い、夫に怪我はなかった。
とはいえ、直後は耳に違和感があったとのことなので、一歩間違えていたら怪我を負わせていたかもしれない。

今回の件は、間違いなく私が悪い。
この歳にもなって誰かに全力で甘えたいだなんて不可能なんだから、さっさと諦め折り合いをつけて生きていくべきだ。そんなこと、普段だったら十二分にわかってるのに。
それなのに、罪悪感を覚えるどころか、なぜか未だに夫を殴った実感がない。心から反省すべきことなのに、その出来事がすっかり頭から消え落ちてしまっている。

主治医からは「暴力的になってしまったのはすべて病気が引き起こしたことで、覚えていないのも病気のせいだから気にするな」と言われた。
確かに、主治医の言うとおりなのだろう。でもそこで私がそう割り切ってしまったら、夫の気持ちは一体どこに向かわせればいい?


病めるときも、健やかなるときも。
私は、夫を大切にし続けられるだろうか。

本当は今すぐ彼を解放したい気持ちもある。
それでも彼が私を必要としてくれている間は、彼を大切にすることを諦めたくはない。

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