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桐野夏生「柔らかな頬」犯人がわからなくてガッカリする必要はない。


「OUT」に続いて手にとったのは直木賞受賞作「柔らかな頬」だが。結局カスミの真相がわからないままのエンディングで、ええって声がでてしまった。
夢の中でのストーリーとして、殺されたり、誘拐されたり、を読まされて気がはやり、疲れて最後のあたりは、それでホントは誰が? どうなる? って味あうことができずちょっと飛ばしたりしてて速読。
でも書かれてない、え、なんで?

で、いま何時か経って思った。
ああそうか桐野夏生はミステリー小説を書いたんじゃないんだ。犯人探ししながら読んで最後の結末を楽しもうとしたのが間違いなんだと。
憤怒、業、欲といったものに駆られた人間の卑劣さ、残酷さを描いた。
夢物語として語られた殺した、誘拐した人物にはそれぞれやった理由がある。その悍ましさ、醜さ、悪魔性は、実は多くの人間に、わたしたち読者の中にも潜むものなのだ。
誰は犯人でもいい。ありうるのだから。

だから犯人がわからないからと、書かれていないからとがっかりする必要はないのだろう。
人間に潜む悪魔のような心理、或いはその果ての残酷な行動に、恐怖すればいいのだ。
と思ったのだが、はて映画はどんなことになっているのだろう。

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