サンタクロースのはじまり
冷たい夜だった。一段と寒い夜になると、朝のラジオが言っていたのを思い出す。
今日もお花は一本も売れない。一本も売れないまま家に帰っても、お父さんとお母さんはいつも私を笑顔で迎えてくれる。
「寒かったでしょう?お疲れ様、いま温かいスープを入れてあげるからね」
そう言って、私の身体も心も、温かくしてくれる。でも私は、それに後ろめたさを感じずにはいられない。お花を一本も売れなかったのに。お金を一円も稼げなかったのに。
いつも花を売りに夜の町へ出て行って、一本も売らずに帰ってくる私にくれる、温かいスープ。それは二人が自分たちの分の食費を削って、そのお金で材料を買って作ってくれたものだと私は知っていた。お父さんとお母さんは、毎日パンと水しか食べていないことも知っていた。もっとも、二人は隠していたようだけど。
罵られたほうがまだよかった。なんで一本も売らなかったんだと、怒鳴られたほうがよかった。お父さんとお母さんは、心から私を労ってくれる。それはとても嬉しい。けれど自分はそんな二人に何もできていない。
今日はクリスマス。キリストの誕生日。その聖なるお祝いの席に、私の売る花が似つかわしくないことくらい、分かっていた。
私の売る花は、道端で拾った惨めで情けない花だ。華やかな食卓を彩るのには似合わない。玄関先に飾るにしても、犬小屋を飾るにしても。それすら認められないような、そんな花だ。お金がないから、道端にひっそりと咲いている花を摘み取ってそれを売るしかない。
そんな花はもちろん、誰も買わない。
けれど私はそんな花たちが好きだ。みんなには気づかれないけれど。目を引くような美しく華やかな花ではないけれど。でも、可愛らしい。ふとしたとき、私には花の声が聞こえるような気がする。
『わたしに気づいて。わたしを見て』
『あたし、こんなに綺麗な花を咲かせたのよ』
『ひかえめで可愛いでしょ?』
花たちは、私にそうやって語りかけてくる。
でも、忙しそうに早足で歩く、貧しさとは無縁の人たちには聞こえていないみたい。
夜の冷たさと暗さに追われて人はみんな家に帰って行ったのだろう、町は静かになっていた。
気づけば、私と、籠に入った花たちと街灯だけが通りに残されていた。毎日、道を歩く人がいなくなったら家に帰ることにしていた。摘み取った数と全く同じ数のままの花たちを持って、帰り道を歩いた。
数分歩くと、靴下の絵が描かれた看板を掲げた家が見えてきた。私の家だ。お母さんが靴下を作って、お父さんが売る。それが我が家の唯一の収入だ。
お店は繁盛していなくてその日暮らしの生活で、稼ぎはその日のパンと少しの野菜を買えば、塵のように消えてしまう。
「ただいまー!」
「おかえりなさい」
「スープ飲むか?作ったばかりだから温かいぞ」
「うん!ありがとう」
いつもどおり、お父さんとお母さんは私に温かいスープをくれる。二人が頑張ってやっと稼いだお金を、何もしていない私なんかが消費している。
「そういえば、今日はクリスマスね」
「そうだね」
「スープ、うまいか?」
「うん!」
二人が笑顔で見つめてくる。
「どうしたの、二人とも」
「うふふ」
「え?何?」
「まあまあ」
なんだろうと不思議に思いながら、スープをすくう。
「ん?」
淡いピンク色をした固形のものがスプーンに乗っている。二人は笑みを深くして、私を見ている。
「なに?これ?・・・・・・えっ?!」
それは、お肉だった。
「食べて食べてっ!」
お肉なんて超がつくほどの高級食材だ。
「え!なに!どうしたの?!このお肉!」
「たまたま、安く売っていたのよ」
嘘だ。一番安いものでも、私たち家族三人分のパンと野菜を十分に買ったとして、一週間分の食費に当たるはずだ。毎日花を売りに町へ出ているからよく知っている。
「それに今日はクリスマスだろ」
「今日くらい、贅沢しましょうって、お父さんと相談したのよ」
きっと、二人はお肉なんて食べていない。いつもスープすら食べていないのに、お肉なんて食べているはずがない。
「じゃあ、みんなで食べようよ!」
「え?いいのよ、私たちは」
「そうだぞ?」
「ううん。三人で食べようよ」
頑なに拒む私に慌てるお母さん。
お父さんは、私の目をまっすぐ見てくる。私は目をそらさず、じっと見つめ返した。
「・・・・・・そうだなぁ、じゃあ、そうしようか」
「え、ちょっとあなた」
「いいじゃないか」
「そうしようよ、お母さん!」
お母さんは少し迷うそぶりを見せたけど、「そうね」と納得したようだった。
それから私たちは、少ししか入っていないお肉を三人で分け合った。もともと小さかったお肉を三等分したので、さらに小さくなってしまった。
でも。
「うまいなぁ」
「おいしい!」
「おいしいわね~!」
三人で分け合った小さなお肉は、とてもとても美味しくて、優しい味がした。
「おやすみなさい」
「ぐっすり寝るのよ」
「また明日な」
すっかり夜も更け、寝る時間となった。
私はいつもどおり、売れ残った花たちを、ベランダに出した。毎日私の目を楽しませてくれる花たちに、ほんの少しでもお返しをしたい。この町のきれいな月を見せてやりたい。そう思って、月が出ている夜は花を外に出してから寝ることにしていた。
ベランダには、お母さんが作ったばかりの靴下たちが洗って干されている。売る前に一度洗うことにしているらしかった。
今夜は月が明るい。聖なる日を、月も祝っているようだった。
私は花たちにおやすみを言ってから、窓を閉め、布団に入った。
三人で分けたあのお肉の美味しさと、スープの温かさと、お父さんとお母さんの優しさを思いながら、私は眠りについたのだった。
「ねぇ!!お父さん!ちょっと起きて!早く!!」
悲鳴に近いお母さんのその言葉で目が覚めた。眠い目をこすり、枕元の時計を見る。私が起きるいつもの時間より、二時間も早かった。二度寝をしようとしたけれど、やけに騒がしい。お母さんだけでなく、お父さんも騒ぎ出したようだ。仕方なく布団から這い出た。
「なに?どうしたの?」
リビングに行くと、そこには、涙を流して喜ぶお母さんと、金色に光る物を手にしているお父さんがいた。
「どうしたの?」
「朝起きて、いつものように、昨晩干しておいた靴下を取り込んだのよ。そうしたら、一足だけ、何かジャラジャラしたものが入っていたの!それを靴下から出してみたら」
「ほら!これだよ!!」
そう言って、お父さんは、手にしていた金色に光る物を私に見せた。
「えっ!?お金!?」
金色のそれは、金貨だった。十枚はあった。
「一体だれがこんなお恵みを!」
「神様だよ!きっと!」
「これがあれば一年は過ごせるぞ!」
それから私も混ざってひとしきり大騒ぎした後。お金を稼ぐために年中無休で開けていたお店の扉に、臨時休業の紙を貼りつけて、3人で町へ出かけた。今夜からお父さんとお母さんもスープが飲める。私はただただそれが嬉しくて、金貨をくれた誰だか分からない人に心から感謝をしたのだった。
✝ ✝ ✝
そんな家族を、空から見ている者がいた。顔には優しい笑みが浮かんでいる。
それは、靴下屋の少女に恋をした神であった。貧しい家庭に生まれたのに、とても優しい心を持ったその少女に、神は恋をしたのだ。
金貨を入れたのも、その神であった。月のある夜に少女がベランダに出していた花たち。それを見て楽しんでいたのは、少女だけではなかったのだ。神は、誰にも気づかれないような惨めな花を可愛がる無垢な少女に、いつの間にか恋心を抱いていたのだった。
しかし、神は皆に平等でなければならない。一人の人間に恋をするなど、決してあってはならないことだった。
そしてついにある日、神の恋心が他の神に知られてしまう事件が起こった。
少女に恋をした神は、少女の貧しさをどうにかしてやりたいと思い、干してあった靴下に天空から金貨を投げ入れたのだ。
一人のみに対して施しを与えることは、神の世界ではタブーとされていたのにも関わらず。
神のその行為はすぐに知られてしまい、罰として、神の地位を追放されることになった。
その神が追放された後、追放された神と仲の良かった神たちは抗議した。純粋な愛を責めるのならば、それはイエスを冒涜するに等しいことだと主張をした。イエスは愛を説いているではないかと反論をしたのだ。イエスは、全ての神の上に立つ先導者だ。神より高い地位をもつ。
追放を取り消すことはできないと、大神は言った。けれどその代わり、世にその名を広め、祝われ崇められる存在としよう。大神はそう言った。
人間には発音不可能な神の名を人間界に広めるため、少女に恋をし追放された神の名を、大神は改めた。
「かの神の名を人間界に広めよ。その名は“サンタクロース”とする」
そしてすぐに人間界にサンタクロースの名が、幻の存在として知れ渡った。伝説という形でその神のエピソードは伝えられた。
すると、靴下屋の娘に恋をしたサンタクロースが自分の家にも恵みをもたらしてくれることを願う人々が大勢現れた。そして、12月25日、つまりその神が追放された日に、軒先に靴下をかける風習が出来始めた。それが時の流れと共に世界中に広まり、それぞれの文化と合わさり、少しずつ形を変えながら世界中に伝わった。
軒先にかけられていた靴下は、いつの間にか、もみの木にかけられるようになっていた。そしてクリスマスの日にもみの木にかけられた靴下には、サンタクロースがプレゼントを入れてくれる。そういう迷信が浸透した。
クリスマスツリーには、さまざまな飾り付けがされている。
丸い玉の飾りは、アダムとイヴが蛇に唆されて林檎を食べたことから始まった人間の罪を忘れぬように、林檎の代わりとして。杖は、人々を導いたというモーセの杖。ベルは、イエスの誕生を祝う鐘。綿は、雪の代わり。
それぞれの飾りには、それぞれ意味がある。
そしてクリスマスツリーに靴下を飾るのは、靴下屋の少女に恋をした神、サンタクロースを祝うために。
あの靴下屋の家のように、自分の家にも恵みがもたらされるように。
そんな願いが込められて、クリスマスツリーには靴下の飾り付けがされている。