アンガールズ山根と存在と無
アメトーークでの人気企画、芸人ドラフト会議が放送されて話題になっていましたね。
有吉さんをはじめ、タカアンドトシのトシさん、麒麟川島さん、アンガールズ田中さんなどのメンバーが集い、「自分の冠番組がスタートするならどういったキャスティングをするのか?」という設定でそれぞれトークをしていくという企画です。
その人選や個人個人の共演者に対する評価、またどういった順番で指名していくのかによって組み立てが変わるというゲーム性、架空と言えどリアリティのある番組のイメージ共有、などの見所が随所にあり現代のテレビバラエティの方法論や現場の空気感を視聴者も擬似体験できるような非常に構造的な作りになっていて、今回も面白く興味深いなぁと思いながら視聴しました。
そして観ていて思ったのはこの企画のキャスティング自体も現代バラエティ的な批評性を帯びているという点です。
この企画の第一回目のキャスティングは、有吉さん、ロンブー亮さん、出川哲朗さん、ダチョウ倶楽部上島さん、という今回と様相の違う並びになっていました。
つまりこれは普段MCをするイメージでは無い人が集められていて、そのメンバーにあえてキャスティング権を握らせてみたらどうなるか?という意図があったわけです。しかしながら今回の顔ぶれを見てわかるようにむしろMCイメージの人の方が多くなっています。10年以上前から行われている企画なので有吉さんはそこから実際にMCタレントまで上り詰めているというドキュメンタリー性もあります。(ちなみにこの企画自体が有吉さんがプレゼン大会で提示したものです。加えて有吉さんがパネラーとして最多出演しているのですが、歴代の架空番組タイトル並べて見てみるだけでもその時有吉さんはどういったポジションを意識しているのかも何となく感じ取れて時代性への批評芸になっていて面白いです。)そのような変化も楽しめますし、そしてそれは回を重ねる程にそういったバラエティルールみたいなものを視聴者もどんどん把握していくという事なのでその視点もどんどん現役感が増してくるという事だと思います。
重要なポイントは1回目の上島さんの位置に来ていたのが今回はアンガールズの田中さんだったという事です。
発表順が4人中4番目。オチ的な意味合いもありますし、全体のまとめ的な役割もあります。このポジションは1回目から見ていくと、上島さん、狩野英孝さん、有吉さん、ブラマヨ小杉さん、カズレーザーさん、陣内智則さん、といった並びになっていて「いじられリアクション系→どちらもこなせるユーティリティープレイヤー」というように段階を踏んで変容していっているように感じます。(個人的に3回目の有吉さんが一度ここに入っているところが方向調整的な意味合いがあって面白いです)
その流れの中で今回は田中さんだったわけです。これはけっこう仕事の重量として大きいと感じます。ある程度の信頼感のある批評性と自らのプレイヤー性を両方求められるバランスを取りながら1ブロックずつ成立させる責務を任せられているという事になります。要するに田中さんは実はいつのまにかただのキモチワルイ芸人の枠からは出ているのです。気付かせないようにいじられキャラ的なものを維持しつつ。
田中さんのこの諸行は語られているようで実は決定的にはその部分を捉えさせずに今まで遂行されてきたと感じます。そもそもキモカワ芸人的なカテゴライズからいつのまにか完全にキモチワルイ芸人としてギアを入れインパクトを残し、そして今はさらにそこからネタやテレビバラエティなどのお笑いの分析やワイドショーのコメンテーターまで様々な事柄について知的に語れる論客芸人としてじわじわ領域展開をさせている最中です。そしてそれらは全て同業者である共演している他の芸人達からいじられるという体制を伴ったまま変容させているのです。いじられに対応していますが同時にいじらせているニュアンスがありそれによって公衆の面前で表面的にキャラクター認知をさせる事で堂々とマイナーチェンジをゆっくりと進行させるという感じでしょうか。皆に見られているという事は誰にも見られていないという事である。その真理に気付いている者のコントロールのし方だと思います。
さて、ここまで語ってきてやっと本題に辿り着きます。今回はそれほどその実態を丁寧に説明しなければ捉える事の困難な対象についてです。アンガールズの田中さんのそのタレントとしてのハイブリットな能力とパブリックイメージの変容はその語られてきているようで実はあまり語られていない、気付かせないように少しずついじられながら変容させてきたという把握のし方である程度説明できると思います(さらっとしてしまいましたがそれも充分に凄い事なのですが)。しかしではなぜその難しい変容のさせ方をここまで一人の人間があまり語られないように気付かせないようにその目的を遂行させる事が今まで出来てきたのか?という疑問にぶつかります。
そこで初めて表れるのが、アンガールズ山根さんという存在です。
田中さんの他ならぬ相方であり、自称アンガールズのリーダーです。
それこそ山根さん程語られていない芸人さんも珍しいと思います。田中さん以上にその核心部分を捉えさせずに、しかしながら芸能界という場所に長く生息しメディアに出演をしその知名度と好感度を維持し続けています。山根さんはアンガールズという名前を聞いた時にその個人名が全く出てこない程の「じゃない方芸人」ではないと思います。
例えばコンビ格差的ないじられ方で紹介されがちなハライチの岩井さんや三四郎相田さん程、その認知がある断層にまで留まり、またそこでの支持が強固になっているという感じではありません。また逆に常にコンビが揃っているイメージのあるタカアンドトシやナイツなどのような状態ではアンガールズはありません。
これはどういう事でしょう?
アンガールズの山根さんという人物は一体どういったポジショニングでどういったタレントイメージでそれを維持して長年芸能界に身を置いているのでしょう?何というか、そもそもそれを判断させる前段階で山根さんは供給され消費されているような感じがあります。そしてその立ち位置に居続ける事の方がタレントとして、芸人として、もっと言えば知ってる他人として、かなり難しい事だと思うのです。
今回はアンガールズ山根さんの面白さについて考えながら
「じゃない方芸人」とは何なのか?という核心に迫っていきたいと思います。
というか前提として山根さんってそもそも「じゃない方芸人」なのか?という所まで掘り下げていければと思います。もちろんそれは相方である田中さんについても考えていく事にもなります。もしよかったらお二人がお好きな方はお付き合いいただけると嬉しいです。
では
アンガールズのネタ
まずそもそもなのですが、アンガールズというコンビはどういった形で出てきて世に認知されたのでしょう?
記憶が正しければそれは2003年TBS系列土曜19時に放送されていた爆笑問題のバク天という番組の1コーナー「恐怖のバク天芸人」という場所から突如現れたという認識です。この企画のコンセプトはエンタの神様に見放されたゴールデン番組には到底出られないであろう芸人をあえて紹介するというもので、ようはあらびき団的なお笑いの観方の先駆け的な内容でした。猫ひろしさんや、ネゴシックスさん、弾丸ジャッキーさんなどが出演していたと言えば空気感は伝わりますでしょうか?つまり既存のお笑いの中で繰り広げられるネタの様式からは大きく外れているような芸人さんを取り揃えていたわけです。
アンガールズももちろん例外でなくその文脈で紹介されていました。このコーナーの最も特徴的な部分はネタのVTRを事前に観客に見せた上で「見たくない」と判断されボタンを押された時点でネタ途中でも強制終了というルールです。「見たくない」と判断された所が笑いのポイントとして核心部分であり、それはある種のセーフティネットであると同時に「見たくない」という前提のもと企画が立脚しているという事です。なので喋りや演技や構成が下手(に見える)もしくは見た目のインパクトが強いなどの素人感のようなものを打ち出した芸人さんが多数出演してネタを途中で強制終了される事込みで笑いを誘い活躍していました。そしてその中でアンガールズは強制終了させられる事なく最後までネタを演じきったのです。
これはアンガールズのあのヴィジュアルや2人の滑舌や発声などによる総合的な素人感が企画趣旨にハマっていたなどの様々な要因があると感じるのですが1番の理由は
アンガールズのネタの立脚そのものが「強制終了」で成り立っている点が大きいと思います。
つまりあのジャンガジャンガというブリッジを繰り出すショートコントのシステムがコーナー企画とコンセプトが一緒で二重構造になっているという事です。
アンガールズのショートコントはそのオチがいわゆるお笑いのオチっぽくない所で終わります。その設定は日常のあるある的なシチュエーションからスタートし、そしてその日常の中から大きく外れる事なく「噛む」「言い間違える」「特に何も起こらない」などの日常のあるある的な提示のまま終わっていくのです。これはふかわりょうさんやいつもここからがそれらのあるあるの共感精度を高めてあえて形式的に並べてトリップ状態的に音楽処理させ「一言ネタ」としてジャンル確立させた後にそのパターンを演劇化させたものと言っていいでしょう。
アンガールズはこの設定の妙を上手くコーナーのコンセプトにも当てはめたという事です。
ネタが「日常のグダグダをあるあるとして提示」していて
企画が「ショートコントのグダグダを素人感として提示」しているわけです。
なおかつ、その提示を明確にツッコんだりせずにジャンガジャンガという唐突に両手を2人で広げて締め括る強制終了を自分達で施してしまいます。これによって強制終了自体が笑いどころであるルールを自己内回転させネタを続行してしまうのです。
このシステムハッカー的なやり方でアンガールズはその素人感を番組や芸能界における異物性として面白がられると同時にどんどん受け入れられてブレイクを果たします。そのまま最大沸点として24時間テレビのマラソンランナーに選ばれる所にまで行くので如何にその興味の引き方を強制終了をさせずに持続させたのかが窺い知れて凄みを感じます。
そしてここまではお気付きの通りアンガールズは現在のようにイメージ分離をしていません。前述したタカアンドトシやナイツのようないつもコンビで揃っている印象です。いやむしろもっと一心同体だと思います。似ているヴィジュアルの2人が並んでいる事でそのインパクトが強調されそのままの佇まいが素人感と認識されて異物性を保持しているわけですから。
アンガールズの役割分担
では次はここからアンガールズの2人が如何に役割分担をしていくのかを見ていきましょう。
ポイントは似ているヴィジュアルの2人が揃っている面白さだという点です。
このコンビコンセプト的な物はタレントとしてのポジショニングやブランディングに直結しています。代表的な所で言えばおぎやはぎやトレンディエンジェル、阿佐ヶ谷姉妹、などでしょうか。メガネであるとかハゲキャラだとか、おばさんキャラなど演出も含めてあえて似通わせる事で違和感を生み自分たちの空気やペースにしていく。アンガールズもそういったタイプにカテゴライズされると思います。
そしてこの手のタイプはその表面的なアイコンがある程度浸透してきたらその中で各々のキャラクターを分離するように表明していく事が多いです。そしてそれは大抵ボケとツッコミという役割分担の延長線上に進行させていきます。おぎやはぎで言えば小木さんはボケとして高飛車な態度や毒舌発言が増し、矢作さんはツッコミとしてそのフォローや立ち回りの上手さが特化されていきます。トレンディエンジェルもたかしさんはアイドル好きな面やサイコパス気味ないじられしろの提示や、斉藤さんはあえてカッコいい側面や真面目な部分を見せたりしていきます。阿佐ヶ谷姉妹も最近徐々に分離してきました。ではアンガールズはどうだったのでしょう?
これは個人的な印象になってしまうのですが、コンビとして分離を先に表明していたのは実は山根さんからだったという記憶があります。まず髪型をアシンメトリーにしていた時期があるのです。
またアニメ好きだというプロフィール提示も早かった気がします。それでアメトーークのエヴァンゲリオン芸人に出ていたりけいおん!のTシャツを着て番組出演をしていたり、あと大喜利も独特で面白かったイメージもあります。山根さんは当時の深夜番組虎の門しりとり竜王戦で決勝には上がらないもののあの何とも言えない雰囲気をそのまま言語変換させる能力に長けていたと思います。それが今のラジオなどで時たま見せる毒舌芸に通じている部分があります。
そしてむしろ田中さんの方がそのアンガールズの初期の頃に漂わせていた素人感のようなものを長く温存させていた感触です。トーク番組に出た時のアンガールズ全体を包むグダグダ感をそのまま共演者にイジられる事で笑いに変える要素は最初2人セットだったものがバランスとして田中さんの方が徐々に担っていたと感じます。これはやはりアンガールズもボケツッコミの延長線上に分離していると言えるのではないでしょうか。
ただ特徴としてアンガールズはそのボケツッコミの役割を明確に分担しているわけではありません。上記したようなお笑いのオチっぽくないショートコントを持ちネタとしていたのでそこまで決まりきったボケツッコミの概念では無いのです。ですがその中でもうっすらと山根さんがフリや雰囲気をボケ的に差し出し、田中さんがそれを受けリアクション的に反応する、という何となくの振り分けはありました。これは田中さんがネタを書いているというのもありますし2人の声質の違いで田中さんが声を出した方がウケやすいなどの点があると思います。
なので田中さんはうっすらツッコミでありながらアンガールズのグダグダ笑いについてはイメージを請け負うという役割になっていったため「いじられてリアクションしていく」側面が強くなっていきます。
ちなみにですがこのフォーメーション自体を現代的な組み立てでネタとして一番成立させているのはオズワルドだと個人的には思います。
畠中さんを山根さん、伊藤さんを田中さんだと思って観るとそのバランスと2人から醸し出される雰囲気は近いと感じます。コントと漫才の違いは大きいですが今後この2組がどのように変容してゆくか楽しみです。話をアンガールズの役割分担に戻しましょう。
決定的だなと思ったのは2005年12月に放送されたロンドンハーツ「格付けしあう若手芸人たち」でのキスが下手そうな男というテーマで田中さんが一位を取った時です。そこから周囲のいじりが「アンガールズのキモカワイイの”キモ”は田中で”カワイイ”は山根だったんだ」というノリを生んだのです。山根さんをフリにして田中さんをリアクションさせるという力学になったという事です。
もともと一緒のパブリックイメージがうっすらとしたボケツッコミの中で静かに分離してゆきそれがついに山根さんの存在ごとフリにして田中さんをいじるという地点に到達した瞬間でした。これはアンガールズという佇みの異物性はむしろ山根さんの方が維持したまま田中さんの方がグダグダ笑いを含む素人感の温存をキモチワルイ芸人として供給させる事に変容させたという事でもあります。山根さんが先行して分離していた事により田中さんの方がその影響を受けて外側のイメージを固定させたという感じでしょうか。ここで個人的にある人物を思い出します。
それは実存主義で有名なフランスの哲学者ジャン=ポール・サルトルです。
アンガールズと実存主義
サルトルは「実存は本質に先立つ」という言葉を残しています。
これは哲学において存在には本質が無いとする考え方を表しています。
この事を人間性を例に上げこう説明しています。
これらはアンガールズにも当てはめられないでしょうか?
つまり素人感を面白がられた(しかもそれは番組の企画を本人達が利用した意図的な部分のある演出で)アンガールズはそれを「キモカワイイ」と形容されてからそこの需要に本人たちが乗っかりまたその中で「キモ」と「カワイイ」が分離する事で特に田中さんが加速度的にその「キモ」の部分に乗っかっていってるという運動をしています。これらの一連の流れは本質より先に実存が規定される事で成立していってると感じます。そしてそれらは素人感にしろキモカワイイにしろ田中さんのいじられの加速度にしろ、全てきっかけやフリとして空洞化した山根さんの存在がもれなく関与しているというわけです。山根さんが居なければ田中さん単体もといアンガールズのパブリックイメージは印象がここまで膨らんでは居ないはずです。ショートコントのうっすらとしたボケツッコミの提示やキモカワイイという形容からの分離によって増すキャラの加速度は起きる事はなかったと思います。
ただここで重要なのは山根さんは全くの空洞なのかと言われるとそういうわけでもありません。先程言った通り先行して変容を始めるのはむしろ山根さんの方なのです。今もイクメンキャラや筋トレキャラ、ラジオ好きキャラと実は現在進行形で常にうっすらと何かを仕掛けてはいます。しかしそれの波及効果は最小単位に抑えられるようなニュアンスがあります。そしてその変容の一番の影響はやはり田中さんが受けるという仕組みです。結婚出来ないキャラや紅茶や囲碁やヴァイオリンなどの文化系の趣味、テレビタレントを指南するキャラ、うっすらとですが山根さんと反比例するような提示がそこにはあります。最近内村さまぁ~ずという番組で田中さんが「実は山根は昔遅刻ばっかりしてたし多額の借金もあってクズキャラだった」という側面も打ち出していました。これもまた現在の田中さんの優踏生キャラとの乖離と方向性を定めるきっかけに繋がっているのを感じます。ですがやはりこれらは完全に分離しているとは言い切れない程の微妙な違いです。この相反関係にアンガールズの魅力はあります。
サルトルは「即自存在」と「対自存在」という概念で人間の意識を説明します。
「即自存在」とは本質(目的)が存在と同時に規定されている事物です。例えばコップは飲み物を入れる器として本質と存在が同時に規定されています。
「対自存在」とは本質(自己)が存在と同時に規定されていません。なので本質を後から獲得していきます。人間は生まれた時には本質を有していないので生きていく中でそれを選択してゆくのです。さらにこの時「対他存在」という他者の視線や想定される意識によって本質を規定されてしまう(ように感じる)意識もあります。
これをアンガールズに当てはめるのなら
「即自存在」的に、ゴールデン番組には出られない芸人とか、キモカワイイ芸人とか本質と存在を同時に規定されているアンガールズというグループの中で
「対自存在」的に本質を獲得していこうとする(筋トレ等で)山根さんと
「対他存在」的に他者の意識によって本質を規定されてしまう(キモ芸人といじられる事で)田中さんとのせめぎ合いをしている様な状態です。
この即自と対自の乖離が開くほどにその接合点である対他存在的な田中さんのキャラは誇張されたり湾曲されたりします。しかしそれは山根さんが変容しようとする事で引き起こるアンガールズというコンビのパブリックイメージとの摩擦熱が無ければそもそも田中さんという存在はここまで目立たないのです。山根さんの空洞化は既存のアンガールズというイメージに対する静かなる脱却によってそう見えるだけであり、その僅かなる変容との落差を大きくする事で田中さんはあまり語られずに大胆な領域展開を進行させてきたというわけです。
その一番の象徴的な現象は田中さんのモノマネをする時に皆
「や〜ま〜ね〜!」
という事です。
田中さんの特徴を最も表す形態模写が相方である山根さんの名前を叫んでいる瞬間である。という事実はその関係性の最大公約数を表している様で、ほほえましさと同時にこのコンビバランスから織りなされる美しきグダグダ感の黄金比を感じてしまいませんでしょうか。
さて、それらを踏まえると果たして山根さんはいわゆる「じゃない方芸人」に当てはまるのでしょうか?
サルトルは即自存在について「それがあらぬところのものであり、あるところのものであらぬ」と言っています。それを拝借するならば山根さんはすなわち「じゃないほう芸人である芸人であり、じゃない方芸人じゃない方じゃない芸人」といった存在になります。わけわかりませんね。
端的に言えばゴールデン番組には出られ「ない」、キモカワイイと言われてたけどよく見るとカワイく「ない」、アンガールズの田中の方じゃ「ない」などのそもそも全てがある対象に対して自分とそれらが違う事を表明する事で成り立っている存在なのです。山根さんはつまり
「アンガールズ山根じゃない方じゃない方芸人」
という対森羅万象の本質から規定をされないオンリーワンの自己を持つ芸人という事です。
しかしそれは何も無い無の状態というわけではありません。山根さんは田中さんとの対比によりそれを規定されているわけではなく自らそれを選択する事によって本質を獲得しそれによって田中さんを対他的に規定するというボケ方だからです。それに田中さんがリアクション的にツッコむ事で田中さんの方も対自的に規定されます。その点に置いては田中さんの方が「じゃない方芸人」的な運動があります。
アンガールズ山根と「じゃない方芸人」という実存
いかがでしょうか?
ここまでアンガールズ山根さんについて考えてみましたがその掴みどころのない魅力が何となくわかってきたと思います。そうです。山根さんは掴みどころのなさそのものが魅力なのです。あらゆる規定を逃れ続けるアンガールズ山根という存在そのものが山根さんの芸の根幹です。(ちなみにサルトルによると自由な選択によって現在の状態から自己開放をしてゆく事を「アンガージュマン」と言うそうです。「アンガールズ山根さん」と響きが似てますね。)アンガールズ山根はアンガールズ山根という本質のそれ以上でもそれ以下でも無い。そしてそれを芸能界という場所でここまで成立させてきた事そのものに超絶技巧性があります。もしよかったらアンガールズの単独ライブを納めたDVD、88の「はじめての海外旅行」とチェルニー「はじめてのバス釣り」を観ていただきたいです。そこでの山根さんの天然とも毒舌とも計算とも雰囲気ともどれとも言えないなんとも表現しづらい緩い言動行動からくる面白さが充満しています。これらを田中さんにツッコまれてお笑い的なものに還元されるのですが、そもそもこのどこにも自分を規定させないかのようなスタンス、低音火傷や亜脱臼のようなじんわりと来るおかしみ、これらは既存の芸人さんには醸し出せない山根さん独自の面白味だと思います。
神の存在を否定し、ノーベル賞の受賞を拒否し、個人の選択の自由を尊重したサルトルと何処か重なる点がある気がします。そもそもアンガールズというコンビ名自体が、2人ともナヨナヨしていて女性っぽいという事から田中さんが「ガールズ」と名付けようとしたところ山根さんがそれを反対し否定する意味の「アン(un)」を付け加えた事によるものだそうです。そこからすでに規定させない事で自己規定をしてゆく選択を山根さんはしています。
ちなみにですが、それによって名は体を表すためかアンガールズの数あるコントの中には意外にも自らの男性性を社会の中でどう位置付けるかというテーマが設定として盛り込まれているものがいくつかあります。「ナンパ」「合コン」「社内恋愛」「火事がもたらしたもの」「レンタル彼女」「追跡」「友達の彼女」ここら辺が個人的に好きです。これらのネタは特に田中さんがキモチワルイ芸人として振る舞っているので観客や視聴者はあまり気付かずスルーしている部分が大きいと思いますが日常の中で無意識的に飽和している最小単位の差別みたいなものを被害者として代弁する様な面白味が密室芸として披露されていると思います。性差という対自と対他をはかるものとして普遍性の高い要素をあるあるとして描きながら自己を「女性ではない」という規定する事で本質を構築してゆくアンガールズのお笑いとしてのあり方がそこに存在しています。
では最後に、サルトルの妻シモーヌ・ド・ボードォワールの残した言葉を置いて終わりにしたいと思います。
アンガールズはアンガールズに生まれるのではなく、
アンガールズになるのです。
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