初めて買ったCDの話。西洋思想との接触。
イントロ
テレビで、アーティストや芸能人が初めて購入したCDについての話をしていることがある。僕もそれに倣って、小学生の時に自分のお小遣いで初めて買ったCDについて書いてみようと思う。「初めてのCD」といっても、ほどなくしてストリーミングサービスの嵐がやってきたので、手持ちのCDの枚数がそもそも一桁しかないのだけれど。
出会い
小学生の時、スマップスマップという番組を毎週見ていた。アイドルグループのスマップがコントをしたり料理をしたり様々な企画に挑戦したりする番組で、週毎に内容は異なるのだが、番組の最後に曲を歌うのだけは固定だった。当時小学生だった僕はコントやショートドラマのような企画を楽しみにしており、正直言って番組の最後の曲の演奏は蛇足のように感じてしまい、最期まで見ずにチャンネルを変えることがしばしばあった。(スマップの本業は歌を歌うことではあるのだが...) しかしある回で僕はこの最後の曲の演奏の枠に釘付けになる。その週は、海外からゲストを呼ぶ回だった。その「海外の歌姫」の名はレディーガガである。日本文化が好きという彼女は、神輿を模した乗物を降りて登場し、大きく開いた背中には当て字で「我我」と書かれていた。海外から来た、異様な格好の女性アーティストに僕は曲を聴く前からひきつけられてしまった。レディーガガは、日本の小学生男子がそれまでに遭遇するはずもない何かの塊だった。
Born This Way の衝撃
肝心の曲は何だったかというと、「Born This Way」。その曲名、そして彼女の背中に描かれた「我」の字の通りに、その曲ではひたすらに個性の礼賛がされる。 例えばサビではこんな調子である。 「I’m beautiful in my way. ‘Cause God makes no mistakes I’m on the right track, baby I was born this way」 奇抜なパフォーマンス以上に、私は画面に表示される日本語訳を食い入るように見つめた。これほどまでにド直球で力強い個性の礼賛に当時の私は初めて出会った。より衝撃だったことはさらに2つある。1つは上記の歌詞の中にも見える「神」の存在である。神の存在を当然のように前提としていることはさることながら、神が人間を創造したことを根拠に、神の被造物である人間の尊厳を認めようと唱えるこの歌詞で、私は西洋の素朴なキリスト教的価値観と出会うこととなったのだ。それまでの神のイメージとは、妖精や仏に近いような、得体のしれない超越的なものとか、怪しい宗教団体の唱えるもの、くらいのイメージだったから、創造者としての神という考え方と、その全ての超越と我々人間個人を直接に結びつけてしまうという一神教的な思想はあまりに衝撃だった。 2点目に衝撃だったことは、個性の礼賛としての多様性の尊重の姿勢である。2番以降の歌詞では、LGBTへの賛意が評されている。私は、この曲で初めて総性愛者の存在を知った。
CDの購入
こうして私は、パフォーマンスやメロディーもさることながら、キリスト教的価値観やリベラリズムの思想を私にもたらした歌詞に大いに惹かれた。番組も録画してあったので毎晩見ていたし、YouTubeでもミュージックビデオを繰り返し見た。「Born this way」の訳を親にだずねて、そのニュアンスの訳出で困らせた記憶がある。 Youtubeやネットでレディーガガの楽曲や彼女自身について調べるようになった私は、そのとりこになり、CDを買う決意をした。皿洗いや風呂掃除などの家事の手伝いで10円ずつコツコツためたお金を握りしめ、母の働くホームセンターの二階にある小さなレコードショップでアルバム「Born This Way」を購入した。 家族で出かけるときは必ず車で流してもらい、家でも何度も聞いた。幸い、このアルバムはなかなかの名盤で、1年間くらいは飽きることなく隅々まで聴くことができた記憶がある。
アウトロ
今私はもっぱら洋楽ばかり聞くが、思えばこの曲、アルバムがその入り口であったし、西洋の思想に触れたのもこの曲を通してである。
今はストリーミングサービスで音楽を聴く時代である。これは聞き手側だけの話ではなく、アーチストの側にも変化が起こっていて、昔のように数年に一度渾身のアルバムを発売するのではなく、数か月おきに1曲ずつリリースするやり方が主流となりつつたる。こうしないとリスナーに忘れられてしまったり、はやりを取り入れた音楽を作ったりできないからである。しかしそんな時代だからこそ、消費するように音楽を聞くだけではなく、名盤と呼ばれるようなアルバムを、その収録順なんかにも思考を巡らせながら、丁寧に聴くのもたまにはいいのではないかなと思う。