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10年来のがんじがらめの思いを手放したら身軽になって、また新たに動き始めたよ

この記事は、コーチングスクールTHE COACH ICPの企画「アドベントカレンダー冬2024」に寄せて書きました。
テーマは「これまでとこれから」。そして日ごとにランダムにお題が振られています。

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『あなたの思う超絶景ってなんですか?』

この問いを見たとき、浮かんできたのは何も大きな大志などではなく、誰かの、それも特定の誰かではないのだけれど、人と人との間で生まれるあたたかな温もり、ただそれだけだった。

photo AC

そして、そこにある笑顔。

photo AC

国籍とか年齢、性別を超えてつながっていること。
この地球で、世界中でみんなが手を取り合っていること。
それはさすがにユートピアすぎるにしても、学校で、友人間で、家族で。様々なコミュニティの中で、誰一人取り残されることなくそこにいるみんなが一つにまとまる瞬間は、例えそれがほんの一瞬だったとしても、ものすごく価値があることだと感じる。


心揺さぶられた、音楽のちから

先月、プロの方の演奏を聴く機会があった。
そこには世界各国から多くのゲストが参加していた。

若い頃の私が見たら、多様な国々の方と話ができる、まさに理想の場で羨ましく思うかもしれない。
実際には、お互いの共通言語がなくて意思疎通が図れなかったり、世界情勢上、距離感が微妙な国同士もあった。
確かに同じ空間にはいるんだけれど、意図的か意図せずしてか、基本的には顔見知り同士でかたまる空間…。

しかし、ひとたび音楽が鳴り始めると。
なんとなくいくつもの分断があった会場が一つになっていくのを感じた。
その場にいる全員が同じ方向に感覚を研ぎ澄ませ、じっと聴き入っている。それぞれが思い思いの感覚で、音に浸っている。
様々な思いが交錯する会場で、こんなにも多様な人たちが共通の対象に没頭する様子を見て、私の中で熱く湧き上がるものがあった。

美しい音色は、人を惹きつける力がある。
その場をひとつにつなぐ力がある。
「素敵な演奏だったね」と微笑み合いひとつの会話が生まれる。

本当に、たったそれだけのことなのだけど、
どうしてこんなにも感動したんだろう。
ただわたしにとってそれは絶景に近いものだった。
わたしはずっと、音色のようなものを探していたのかな。


人災に心を痛めてきた「これまで」

今からちょうど10年前の2014年12月16日。
ポーランドのアウシュビッツ強制収容所を訪れた。
なぜ当時、世界の模範的な民主主義国家であったドイツからこのような悲劇が生まれたのか知りたかった。
この日のことは今でも鮮明に覚えている。

ガイドさんが「アウシュビッツ日和」というくらいに
霧の濃い日だった

そこで見たものすべてに通ずること。
人間はその気になればこんなにもおぞましいことが出来てしまうのか。
人間の本質が怖い、と思った。

なかでも私のなかに残された大きな問い。それは、
「人間は、ないものを求めて裕福になることを望むよりも、あるものをなくすことのストレスからおかしくなってしまうのかもしれない」。

ベルサイユ条約と世界恐慌。当時のドイツは二つの経済難に直面していた。それでも周辺国に比べたらまだ裕福なほうだったが、「なくしたもののストレス」の方が大きかったと考えられている。ドイツ人の富裕層が二つの要因を経て、金や財産を失っていく。それが耐えがたかった。そして支持率わずか35%程度ながらナチス政権が第1党に選ばれ台頭する。

(ウォール街はユダヤ人が牛耳っているとの考えから)
「自分達を苦しめたユダヤ人から自分達ドイツ人を守ろう」

そんなスローガンで、支持者を惹きつけていったといわれる。これは決して今も例外の話ではなくて、大国であればあるほどきっと、外敵(もっともこれは特定の民族だが…)を作って国をひとつにまとめようとする力学は存在する。

しかしそれって、本当の意味でひとつになったといえるのだろうか。

その後、居住した国々では、私自身もテロや暴動に直面した。
その度に、いいようのない無力感に襲われた。
これらはすべて、人が起こしたこと。
なぜ?予防はできなかったのか?
今必要なのは何?教育?経済支援?心のケア?
知れば知るほど問題は複雑に絡み合っていて、対象も自分からは程遠く、何もできないんだけど消すこともできない未完了のテーマとして、ずっと心の奥底に残り続けた。


「顔の見えない」対象から「目の前の」対象へ

人災を防ぐには、加害者にアプローチする必要がきっとある。いや、誰もが加害者にならないよう、未然に防ぐ必要がある。分断されていく社会を見るのは嫌だ…。

そんな気持ちから、色んなことにトライしてきたけれど。
理想だけが一丁前すぎて、いつまで経っても当時の自分の問題意識に近づけている気がしなかった。

時間だけが経って埒があかなくて、「まず目の前の人を癒したという経験を積む」ことを置いてみたのが2022年の暮れ。

そこからヨガインストラクター資格を取り、コーチングも学び始めた。どちらもやってみたかったことで、ありがたいことに今では小規模ながら、ヨガを教えたりコーチングセッションをする場を持てている。

そして今年の8月、THE COACH ICPのインテグレーションコースを受講しながら、社会起業家プログラムに参加した。このテーマはソーシャルビジネスと相性が良いのでは?と思ったことと、単純に社会起業家に憧れていたから。

しかしそこで、愕然とした。
誰が困っているのか、誰に届けたいのか、私にはその対象が、その人たちの顔が、全く見えていなかったからだ…。

なんとなく困っている人全員、みたいな考えでは当然、ビジネスプランは作れない。

10年間、いやもっと長い間温めてきた想いは、ただの自己満で、事実に根ざしたものとはいえなかった。ここへ来てようやく、自身の浅はかさに気がついた。



そこからはすんなりと対象が変わった。
「とりあえず」目の前の人から始める、とか言いつつ、ゴールを「顔の見えないどこかきっと他国にいる人」としていたのをやめた。「とりあえず目の前の人から」ではなくて、「目の前の人に届ける」ことが自分のやること、それでいいじゃん。そう思えるようになった。


つながりを感じる瞬間を探究していきたい

話は音楽に戻るが、最近ふと目にした成田悠輔さん×YOASOBIの対談で、こんな話があった。

人類の歴史を見てみると、基本貧しいしお腹空いてるしすぐ死ぬし…(略)
人間はその不条理な世界で一旦その世界を忘れて別の世界に飛びたいという欲望をずっと持ってるんじゃないかな
そのためにお祭りやってひたすら踊ったり歌ったり…
それを今凝縮しているのが音楽なのかな
実はライブの音楽みたいに、一見不要不急の極地にも見えるようなものが実は人間の何か一番の救いを提供しているものなんじゃないかな

「なんでこんなに音楽家は人の心を掴むのか」について

以前の私なら、音楽やアートでは現実は変わらない、と関心すらなかった。でも今は、こんなにも近くにあって手軽に非現実を味わえるのは音楽の力であり、そのようなものの力を信じてみたい私がいる。

思えば中高時代の合唱の時間も。
当時はやらされ感が強かったけど、たった数分間で会場がひとつになるって、大人になるともうなかなか経験できないこと。今ならその価値がわかる。

実は「みんなで一つに」というような事業が世の中たくさんあることにも気がついた。教育現場には多そうだし、スポーツやフィットネス、ヨガだってそう。We move as one、を大事にしている流派もあるし、KirtanやChantingも近いものがある気がしている。

英語、スペイン語、中国語…と語学をずっと学んできたけど、まだ言葉を知らない0歳の我が子が音にのってゆらゆら身体を動かしている姿も見ると、「言語を知らなくても音で繋がることはできるんだ」、そんな想いも芽生えている。

むろん、私は音楽家でもなんでもないのだが。
ふと降りてきた「音色」の存在を、なんとなく抱きながらこれからを過ごしてみたいと思っている。

目の前にいる人を大切に、関わってくれる人みんなに愛を持って接しながら、あったかいつながりを作っていきたい。

別に何かすごいことをする訳ではなくて、日々当たり前のことを丁寧にやった先に私の見たい景色がある。そんな風に今は感じている。



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