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私たちは、ご先祖さまのことをどれだけ知っているだろうか。
「君たちは、我が〇〇(名字)家の3代目なんだよ」
ある日のこと、父方のじいちゃんは私たち孫にそんな話をした。
3代目?何それかっこいい!
つまり、じいちゃんが徳川家康(初代)なら、私たちは徳川家光(3代)なんだね!
当時はまだ小学生とかで、まるでこれから歴史を創り出すに欠かせない大きな役割でも与えられたかのように、謎に喜んでいた。
しかし、小学校高学年〜中学生頃に差し掛かると、少しずつ色んな疑問が沸いてきた。
「いや、うちの家系図、短過ぎやん」
「よく7代前まで似るって言うけど、ご先祖さまはどんな人たちだったんだろう」
自分のルーツが気になるタイミングは、誰にでも一度は訪れるものなのかもしれない。
その問いについて一番多くの答えを持っているのは、恐らくは身近な長老、祖父母だ。
自身の好奇心を満たすため、といえるスタートだが、それから、じいちゃんの歴史を辿る旅が始まった。
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私のじいちゃんは、大家族の末っ子だ。
末っ子なだけに、名前には「末」がつく。
「名前の由来なんてあったもんじゃない」、そう言いながらもいつも上機嫌に笑う祖父。
そして、兄弟が何人いるのかはよく分かっていない。
これまで何度も聞いたのだが、8~12人の間で大体ぶれる。
じいちゃん曰く、生まれる前に亡くなった兄弟や、戦死したお兄さんもいるとのことで、仕方ない部分もあるのであろう。
そんなじいちゃんは、5歳のときに母親を亡くしている。
具合が悪いので病院へ連れて行こうと、人力車乗り場かに向かって急ぐ途中の砂利道で、じいちゃんの母は、その場に苦しそうにうずくまり、動けなくなってしまったそう。
そして、帰らぬ人となった。
まもなくしてじいちゃんの父(私のひいじいちゃん)が家に招き入れたのは、娘たちとさほど年齢の変わらない継母。
後にじいちゃんの人生に大きな影響を与える、「ひいばあちゃん」だ。
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当時わんぱく少年だったじいちゃんは、しばらくの間、継母であるひいばあちゃんには懐かなかったようで。
むしろ、継母が意地悪する!、と姉夫婦が営む旅館によく泣きつきに行っては、美味しい饅頭をたらふく食べさせてもらったんだと、目を細めて嬉しそうに話すじいちゃん。
なぜひいじいちゃんとひいばあちゃんが再婚したのか、私には分からないが、子どもがこれだけいれば、片親では無理だと考えたのだろうか。まだ幼かったじいちゃんの為でもあったのかもしれない。
しかし、娘とそれほど年齢差の無いひいばあちゃんの肩身は狭いものだったようで、苦労しただろうな、とじいちゃんはこぼしてもいた。
そんなじいちゃんが21歳になり、ばあちゃんと出会って恋に落ち、結婚の許しをひいばあちゃんに乞うた時のお話。
ひいばあちゃんは見合いをさせたかったようだが、じいちゃんが「人生のパートナーは自分で選ばせてくれ」と言い張るもんだから、ひいばあちゃんも最終的には折れた。
その代わり、一つだけ願いを聞いて欲しいと、じいちゃんに言った。
それは、とある名字を継いでほしい、というもの。
その名字とは、じいちゃんの生家のものではなかった。
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継母として現れたひいばあちゃんは、実は捨て子だった。
親も、生年月日も、自分の名前すらも分からない。
明治の終わりか大正時代のお話である。
その頃、運良く拾って育ててくれた夫婦がいた。
それが、〇〇さん、なのである。
その夫婦には、子どもがいなかった。
ひいばあちゃんは名前を与えられ、生まれ年を定められ、実の娘のように大切に育ててもらったそう。
出逢ったときには既に高齢であったらしいその夫婦との時間は、残念なことに長くは続かなかったようだが、ひいばあちゃんにとっては幸せな時間だったのだろう。
「自分を生かして育ててくれた〇〇さんには恩がある。〇〇さんには子どもがいないから名前を継ぐ者もいない。どうか〇〇さんの名前を継いではくれないか」
兄弟の中でこの願いを叶えられるのは、一番多くの時間を共に過ごした自分しかいない。そう考えたじいちゃん。
じいちゃんは、ひいばあちゃんの想いを汲み、ばあちゃんとの結婚を機に改姓した。
そして、初代となったのだった。
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「私たちが3代目なのは、そんな事情があったのか」
我々一族は皆、顔も知らない〇〇さんの名字を名乗っているのだと考えると、最初は妙な気分になった。
一方で、人の心やご縁などの巡り合わせがきっかけで人生が大きく変わることもあると、私はこのとき初めて実感したのであった。
ひいばあちゃんの人生には少しだけ触れることが出来たが、まだまだ知らないご先祖はたくさんいる。
祖父母は質問されたことが嬉しかったのか、ひいひいおじいちゃん(祖父の祖父)くらいまで、知っていることを教えてくれた。
何代前なのかはわからないが、祖母の実家には、江戸時代に、当時では珍しい恋愛結婚をしたというご先祖の写真も残されていた。
こういう物語は、歴史に名を残した家でもない限り、後世に生まれた我々が時々思い出さなければ、どこかで自然と途切れてしまうんだろうな、と思う。
先代に思いを馳せる時にふと思い出すのがこの映画。
リメンバー・ミー。
誰からも忘れられてしまえば本当の意味で存在することができなくなる。
初めて見たとき、心を打たれた。
ひいばあちゃんが亡くなったのは、私が1歳のとき。
亡くなって30年以上が経った今でも、ひいばあちゃんの仏壇とお墓を丁寧に手入れする祖父母。
その姿を目にすると、なんだか私は、日々忙しいことを言い訳に大切なことを忘れて生きていたな。そんな気持ちになる。
段々と後世に伝える側へと変わってゆく今。
私たちにできるのは、その存在を忘れないでいることくらいなのだろう。
それでも、ひとつでもふたつでも、先祖が生きた証を、自分なりに心に留めておきたいと思うようになった。
彼らがいたから今の自分がいる。そんな感謝の心を忘れずに生きていける気がするし、いつか後世の人間が自分のルーツを知りたいと思った時に、私の記憶が役に立つ日が来るかもしれない、とも思うから。
じいちゃんの歴史を紐解いてみたら、温かなヒューマンドラマがそこにはあった。