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『ただ話を聴いてもらう』ことにお金を払ってもいいと思ったワケ

昨年からコーチングを学んでいる。

なぜここに行き着いたかについては紆余曲折あるけれど、今では、自分メンテナンスのための大事なツールになっている。

安心安全が確保された空間で、日々様々なモヤモヤを取り扱うことで「聞いてもらいたい」欲が減り、日常では割とご機嫌に過ごせるようになったわたしがいたり。

何か感情が動いたときは、「次はこれをセッションで扱ってみようかな」。そうやって些細な気づきを言葉に出してみることを繰り返していたら、段々と自分に対する理解が深まってきたとも感じている。

しかしこれって、コーチングとは無縁の生活をしている人からしたら、「そんな、話を聞いてもらうためだけにお金を払うなんて正気じゃない」と思うかもしれない。

今日は、わたしがコーチングを活用するようになった理由を書いてみたい。



きっかけは、親しい人たちからの拒絶

もうかれこれ10年も前のトラブルになるのだが、大切にしていた人たちと、色んなことが重なってうまくいかなくなる出来事があった。

詳細を書くことはしないが、自分ではキャパオーバーと感じた出来事だった。これまでいろんな山や谷を超えてきたと思ったけど、この件は、ずっとずっと引きづっていた。

しばらくの間、親友に話を聞いてもらっていたのだが、それでもなかなかその傷を癒すことはできず。そのうちに久々に会う友人などにまで「こんなことがあってね…」と話し出す始末。

しかし、はじめてとある友人に共感してもらえなかった日を境に、もう人に話すのはやめようと思った。
そして、感情に蓋をした。話さなければ、思い出さなくなるし、そのうち時間が解決してくれる。そう思ったから。


5年後。

たまたま当事者たちのSNSを目にしてしまい、更にショッキングな事実に直面した。いや、正確にいえばもう既に終わったことで、全く傷つかなくて良い内容だったはずなのに、当時の感情がみるみる蘇ってきてしまったのだ。

それからは毎日あの頃の情景がフラッシュバックしては涙を流す日々だった。

そうか、私の中では、まだ終わっていなかったんだ…。

そしてこのままの自分ではダメだと、オンラインカウンセリングを受けようと思い立つ。
はじめてのサービスは、5,000円/時間。
5,000円で解決できるなら安いもんだ。そう思って申し込んだ。


話したくなるとお金を払う、がデフォルトに

正直いうと、たった一回、話を聞いてもらうだけでは解決しなかった。

しかしそれは、「あなたはあなたのままで良い」と肯定される、不思議な体験だった。

目の前にいる初対面の方が、私の話に真摯に耳を傾け、受け止めてくれる。

正直、自分のことすら受け止めきれていなかった私は、あまりに肯定されることにむずがゆさも感じたけれど。

はじめて、第三者に話を聞いてもらうことの価値を感じた。私を知らない第三者だからこそ、裁くことなく聞いてくれるし、私も話しやすい。そんな心境。

いつでも話を聞いてくれる人がいる
その存在は、私に大きな安心感を与えた。


それから何年かかけて、色々なサービスを試してみた。
カウンセリング、キャリアコーチング、ライフコーチング…。
自分には何が合っているのだろう、そんな感じで。

そしてなかでも、人間関係、キャリア、個人のありたい姿、日常のモヤモヤなど、幅広いテーマを大切に取り扱ってくれるライフコーチングにアンテナが立つ。


ライフイベントが大きな転機に

結婚、不妊治療、単身で海外駐在、休職して駐在帯同、妊娠出産。5年の間に色々な事があった。

どの経験が一番大変だったかなんて簡単に比較できやしないけれど、私の中でコーチングが一番力を発揮したのは、休職して夫の駐在に帯同した頃。
この期間、何に取り組んでもいいはずなのに、膨大な時間を前に足がすくんでしまったのだ。自分自身にとってのベストな過ごし方を考えすぎて、訳が分からなくなった。そんなとき、藁にも縋る思いでコーチングを受け、指針が決まり、少しずつ前を向いて歩めるようになった。

それからもう一つ、自分を励まし続けてくれている言葉がある。
それは、休職前に上司がくれたもの。

ーーこの休職期間を有意義なものにするにはどうしたらいいんだろう。
駐在について行くことを決めたはいいが先が全く見えずに不安だらけの私に対し、これを勉強したらとか、そんなアドバイスはなかった。ただ一言。

「きっとその痛みを糧にして、何か共感を得るような活動に繋げていくんだろうなあ」

細かい言葉尻は少し違ったかもしれない。
でも、多くの人が『ただのブランク』と捉えるなか、『帯同経験も何かの糧になる』と上司が伝えてくれたことは、ものすごく有難いことと感じた。
上司の奥さんも2回駐在帯同を経験しており、「有能な彼女にキャリアの中断を経験させてしまった」という一種の負い目に近い感情を抱いている上司だからこそだったかもしれない。

この言葉がずっと頭の片隅に残っていて、
「同じように助けを必要とする方の力になりたい」という願いが出てきたのも、コーチングを受けて、学んで、提供する、という今の想いあるのも、全て繋がっていると思う。


私とコーチングの今

コーチングスクールに通って、早1年が経過(年明け修了予定)。一年以上ずっと伴走してくれているコーチもいて、いつの間にかコーチングは私の大事な日常の一部となっている。無いとなんだか妙な気分になるというか、今では大切な自分メンテナンスの時間でもある。

思考の整理をしたいのであれば、家族や親しい友人ともできるけど、コーチをつける良さは感情まで取り扱ってくれること。もっともらしい答えで満足するのではなく、私が本当はどうしたいのか、本当にそれを願っているのか、それを一緒にじっくり味わう場があること。コーチングを受ける意義はそこにあると思う。

実は、前途の拒絶体験は、コーチングセッションで何度も扱ってみている。そうしたらどこかで、「もういいかな…」と思う瞬間が訪れた。完全に忘れ去ったわけではないけれど、時々心が痛んだって、それもいいじゃない。そんな自分のことも丸ごと受け入れよう。セッション中にくすぶっていた感情を出し切ったことで、やっと、普通のテンションでそう思える自分にたどり着いた。

ただ話を聴いてもらうだけでこんなにも癒されるなんて、不思議だなあと。


私たちは日々、相手の話を聴くよりも自分が何を話すかに注意を向ける傾向があり、「聴いてもらう機会」は想像以上に少ない。そういわれている。

普段、家族や友人、職場でも、完全なる対等な関係で、ジャッジされることなく聴いてもらえる機会はそうそうない。日々やるべきことに追われながらでの会話になることもままあるため、仕方のないことかもしれない。

しかし、ただ傾聴してもらう場があるだけで、人は不思議と整う。
そのことが興味深くて、もっと知りたくて、これからの自分にどんな変化が起こるか、そんなプロセスも楽しみながら、今日もコーチングと向き合っている。




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