オリエント美術の世界 〜イスラームとは何なのか?〜
イスラエルの唯一神が遣わした使徒ムハンマドにより、7世紀に創始されたイスラーム。彼らは伝統的に偶像崇拝を忌み、芸術の上にもその思想が強く表れている。だが、アラベスク文様や機能性を代わりに発展させ、多文化には見られない独創的で魅力的な工芸品を数多く遺した。
緑釉がかけられた土製オイルランプ。深い緑が落ち着いていて美しい。12世紀頃のもので、型で生産されたタイプ。アフガニスタン出土。電気がまだない当時、ランプは生活必需品だった。燃料となる油には、胡麻、椰子、オリーブなどが用いられた。土製ランプは安価だったが、油が染み出す欠点があった。
オリーブ調の釉薬がかけられた土製ランプ。アフガニスタンで出土したもので、年代は12世紀頃。把手の部分に菱形のアラベスク文様が装飾されている。さりげない装飾に制作者のセンスが光る。ランプは今から約5000年前に地中海世界で誕生したが、実はその形状・仕組み自体は現在もさほど変わっていない。
ガラス製容器の底面。10〜11世紀頃のイスラームグラスである。表面は銀化により輝きを放っている。これは500年以上、地中に埋まっていると起こる化学現象。だが、土の成分が重要でどの地域でも起こるわけではない。とりわけ、アフガニスタン、イラン、イスラエルなどの地域で美しい銀化が発生する。
銀化により虹色の光沢を放つイスラームグラス。アフガニスタン出土。10〜11世紀頃のガラス製容器の断片。銀化は人工的につくり出すことが難しく、輝きが美しいものは高く評価される。まさか制作した当時の人々も、このような綺麗な輝きを放って後世の人間に愛でられているとは思いもしなかっただろう。
ガラス製オイノコエ。オイノコエとは古代ギリシアの酒器で、三葉形口と呼ばれる口縁が特徴的な器。この独特な形状はイスラームでも好まれ利用された。アフガニスタンから出土したもので、年代は10〜11世紀頃。器面の銀化が美しいが、不自然なパティナから察するに後世の人間が意図的に貼り付けている。
ガラス製オイノコエ 。器面に入った流線形の模様が美しい。複数割れた箇所があり補修されているが、パーツ自体はオリジナルものが用いられている。把手の部分の緑が元のガラスの色で、その他の部分は地中に埋まっていた影響で変色している。口縁部に張り付いた土が埋もれていたことを証明している。
706年にイスラーム帝国のイラク・ワーシトで製造されたディルハム銀貨。ウマイヤ朝のワリード1世の治世に発行された。ディルハム銀貨は信用度が高く、ヨーロッパ圏でも流通していた。薄く伸ばしたつくりが特徴で、表裏共にアラビア文字が刻まれている。彼らの聖典あるクルアーンの一節が記されている。
809〜810年にイスラーム帝国のイラク・バグダードで製造されたディルハム銀貨。アッバース朝のハールーン・アッ=ラシードの治世に発行された。彼はアラビアンナイト(千夜一夜物語)に登場し、名君として語り継がれている。表裏にはクーフィー体という装飾的書体で、クルアーンの一節が刻まれている。
9世紀頃のイスラーム支配下のエジプトで生産されたコプト織。エジプトは長らくビザンツ帝国の属領だったが、イスラームが奪い、その統治下に置いた。コプト織とはコプト教徒が死装束として編んだ織物。人物像が表された初期のコプト織とは異なり、イスラームの影響でアラベスク文様が用いられている。
イスラームの考古遺物を紹介した。およそ1000年前の品々はいかがだっただろうか。当時の人々は何を思い、何を考えながら、こうしたものをつくっていたのだろうか?私は眺めながら、そんな悠久の歴史を想像する。彼がどんな生活をしていたのか、どんなことを大切にしていたのか。今はまだ、わからないことだらけかもしれない。けれど必ず、謎がわかる日が来る。そんな日を待ち望んで……。
Shelk 詩瑠久