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好きなもの思い出す日記①

それは朗読だった。
小学校の国語の時間、朗読をする係は私だった。先生が私を指名すると、みんなが真剣に耳を傾けて、ほうっと聴き入ってくれていたこと今も覚えている。からかったりする子もいなかった。いつもはバカ男子の子たちも聴き入っていた。そんな力のようなものが静かにあったこと。
いくちゃんのバーで呑んでいた時も隣に座った気前のいいおじさんがワイン奢ってくれてそして私の声をいたく褒めてくれた。君は声がいい、声がいいよ。何度も。
そうなのかもしれない。確かに私も自分の声は好きだ。少し低めで柔らかなようですんなりもしているような。説得力があるわよねと言われたこともある。それも声が関係している気もする。プレゼンテーションで偉そうに聴こえない気もする。誠意があって謙虚な気もする。声っていうか態度なのかそれは。

声と朗読。
でも私は喉が弱い。扁桃腺が大きくてよく腫らした。言いたいことが言えないと腫れることを後日知ってからは不思議と昔ほど、腫れることはなくなった。でもその後、甲状腺に腫瘍ができた。やっぱり首と喉はちょっと弱点な感じなのだなと思った。声は良いけど喉が弱いから、仕事を選ぶ時も声の仕事を選ぼうとはしなかった。でも私は物語に命を吹き込むように、声に読んで朗読することが好きだった。お芝居も、好きだった。何か感情、情感、それを表現すること、体ひとつで。それが好きだった。ダンスだって好きだった。リズム感も、良いと思う。私は感情を表現するのが好きだった。本当に小さな頃の、素の私は積極的に出て行ける子どもじゃなかったから、感情の動きに何か形を与えること、お人形遊びや朗読や、踊り。それが好きだったのかな。

役者だって向いていたのかもしれないな。体力無いからとか思っていたけど、大人になってからの私の体力気力はどうだ。結局、やりたいことはやるのだ。それが見つからなかったから、体力が無かったのだ。

私が今でも朗読を好きか今は分からない。子がこれが嫌だあと私を呼ぶ。それでまた考えもこの文章も中断する。スタッカート。昨日降りてきた言葉はぶつ切りという意味だった。反対語はレガート。ゆっくり繋がるようにする弾き方、ピアノの。私の日々はスタッカートだな。ぶつ切りの日々。そのぶつ切りを繋げないと私がばらばらになってしまうのかもしれない。何かに流されて何も見えなくなってしまうかもしれない。
でも今まだそれを繋ぐ大事なことがあるからそれを見ないと、と思ってる。好きなことをずっと続けることだけが人生って坂口恭平が言っていた。そうだったのかって。それを、教えてくれる人が私の周りにあの時いたらなって思ったけどそれは今なのだ、私には。だからスタッカートの日々のぶつ切りを繋ぐ私の好きなことを思い出す日記を書く。書いていたらきっと何か立ち上がってくるとなんとなくそう直観する。直観が大事って、福田タカノリ先生も言っていた。いい受け売りがいっぱいで、だから私は書こうと思う。

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