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好きなもの思い出す日記②

好きなもの思い出そうと決めたら色々なことがバババと出てきた。私もわりと酔狂な人生だった部分もあるよなと。結構、冒険家。そう、紙の日記に、芸術的な事業家で退屈しない冒険家であるとあった。いいこと書いてある。私の日記は私を救ってる。私は自分を救うために書いているのかも。そうだ、日記は読むのも書くのも好き。そして書いて出版している人には嫉妬心がわく。フン。私だって。そんな気持ち。野球選手にはそうは思わない。だから、自分にひっかかりのあることは心が教えてくれている。観じ、というものだ。観じる心。心は指針。そして私信。そういうことを書きとめておくのが好きだった。流れてしまわないようにする。料理本が好きなのだけどレシピそのものよりも料理家の哲学を感じるのが好きなのだと思った。心に何があるのか。それに触れると私は幸福なのだった。いちばん幸福なのは私の心に触れて文字で心のかたちを確かめること、あとから忘れてしまっていたような心の機微を見返して励まされたり感動したり馬鹿だなと思ったりすること、そういう軌跡の振り返りみたいなことが好きなのだった。

だから私は書くのが好きなのだと思う。小学校の時、塾で、お母さんこの子の国語力はちょっと目を見張るものがありますよと先生に言われたこと、覚えている。忘れっぽい私が覚えていることだって、心からの私信で指針だ。大事なことだけ覚えている。それが心はすごいと思う。心を大事にすることが、私は好きなのだきっと。神様から預かっている心と体なんだってどこかで芯で観じている。先生の何気ない言葉だったかもしれない。でも本心だった可能性だって十分にある。お母さんに、そうだこの子の国語力はすごいんだわって見つけて気づいて欲しかったな。どうせできない、大したことない、それは私への視線じゃなくてお母さんの自分自身への気持ちだったのだと今は頭では分かる。でも心では、わたしのこと見てほしかった、見つけてほしかったって今でも思っている。親だって精一杯、でも私は子に私がしてほしかったことをしようと思ってる。写真家のあの人も言っていたよな。ああ、坂口恭平も写真家のあの人も本の装丁を先生にしてもらっていたな。あまり良い思い出じゃなくなってしまったけど、私に必要な何かを見せてくれたのだったな。本。本を通じて価値観を共有することって人を救うよな。そこには文字が書かれているんだよ。マクトゥーブってアルケミストは言っていたね。そこに書かれているっていう意味。ユーミンもすべてのことはメッセージって言っている。全部書かれている。ブループリントというやつかな。ブループリントはあるけれど、心からの指令で歩む道は変わる。私は冒険家でいたいってことが日記に書いてあった。それはびっくりした。でもそれは私がこの数年で見出したことでもあった。

20年かけて達成した形に私は死にたくなってしまったんだった。20才ちょっとの頃から目指していた仕事を持ちながら子どもを育てる女性の姿。それに私はなった。稼ぎも十分と言えると思う。坂口恭平が32才の時に描いた額と同じくらい。日本の今の社会で女でこれを達成するのは結構難しいと思うから、自分はよくやったんだと思う。でも、私は死にたかった。その実感はすごかった。あ、死にたいってこういう観じのことを言うのか。知らなかった。初めての経験だった。そうしたら悪性腫瘍もできていた。神様はすごいと思う。心と体の精巧なつくりよ。私のやり方はたぶん間違っていた。条件を達成することでなく中身が大事だったんだと思った。こんな重要なことを誰も教えてくれなかったから学校に先生はいないんだと思う。学びと勉強は違うのだった。私は勉強はして、学びもちょこっとしたけどでも圧倒的に足りないのだと思った。

生きる中身に何が必要なのか私は知る必要があった。だから好きなものを思い出そうとしている。これは私のための日記だから他者の評価は必要ない。私はいつも他者の評価を軸に生きてきた、他人軸、それが本当に初めてわかった。他人軸で生きると死にたくなることもわかった。私は私のために生きることが必要だ。じゃあそのためにどうするかを、毎日ちょっとずつ見つけたいんだった。

書くのが好きだ。人の生活を読むのも見るのも好きだ。私の毎日はドラマのようだねって夫には言われる。ドラマっていうか漫画。そうだ、出会った人の中で好きな人たちも私の好きなものだ。愛する人たちがいる。ああもっと、助け合って暮らせたらなあ。愛する人たちと寄り添って助け合って暮らしていきたいな。そんな人たちとの出会いだって書きたい。

働いて、子と夫と暮らし、美味しいごはんを食べて、部屋を整えて、散らかって、好きな洋服を眺めたり、本を読んでお茶を飲んで、好きな人とお喋りしたり。単純に書くとふつうだけど、私にしかない何かを生きてる。それだって書きたい。

10年後は53才で私はどうしていたい?とにかく朝から決められたスケジュールをこなしていくのが苦手だ。管理されるのも苦手だ。自由きままに、仕事をしたい。その仕事は表現に関わることをしていたい。戦略を考えて、人に喜んでもらえるような取り組み、企画をみんなで考えるのは好きだなと思う。余計な仕事はせず、戦略とビジュアルづくり、ものづくりに集中していきたい。それをやる専門家でいたい。仕事の内容はもうそうなっている。あとは自由度がもっと高まったらいい。それから尊敬できる仲間。これもいるよね既に。
それから理解者。今の会社に自分を認めてくれる人がたくさんいるんだなと、今朝のミーティングで感じた。自分の話に耳を傾けてくれる。それは信頼感と信頼関係。それらを自分は築いたのだなと思う。死ななくてよかった。中身もあったんだ。でも学んだのは条件を満たすような生き方は死にたくなるってこと。条件ではないことをちゃんと可視化するってこと。数字や期間で。ああそうか、順番が違うだけだったのか。惜しかったよ、自分。この20年の自分は惜しかった、知らなかっただけなんだったよ。よくやったね。

だからやり方を変える。頼まれなくてもできること。それをやっていると楽しいこと。成果が出ようと出まいと関係ないこと。あ、インスピレーションちょっと来たよ。今のサラリーマンの仕事だってアソビなんだ。だから、数字だけじゃなくって、チームの皆でなりたい未来を描こう。こう在りたいよねって姿。若い皆に理想を描いてもらい、私はそれを手助けする世界。知恵と経験をシェアして、そうして自分個人だけでは思いつかない世界を描く。そういうやり方に変えて、そしてそれを将来の私の事業にするのはどうだろう?
自分個人の発想起点だと事業会社に所属していないと難しいかったりするけど、人を助けることだったらどうやったって働ける。それがアジアマーケットまで網羅していたらすごく強いし楽しいんじゃないかな。え、楽しそう。自分の事業よりも、与えられたお題に応えて行く方が得意なのでは?あのリップメイクを作った時だって実はそうだった。会社のお題に応えたらああなった。

そうして今、10年ともにしている仕事のチームがある。それが、嬉しいなと思う。好きな人たちとの仕事。それが好きだなと思うから、もう少しここでがんばれそうって思ったよ。今に在ろう。どんな境遇だって在り方は決められるし、恵まれた環境ではある。でも美しい景色を見て働きたいなあ…

だから10年後は毎日目の前の景色を美しくしたい。会社が汚すぎるけどそれもメッセージなのかもと思う。いつかここを出るというモチベーションの一つ。そして独立して働くか、もっと色々な仕事をできるように、そういう環境と自分をつくっておけるようにしよう。そのための事務を、やっていくぞ。生きのびるための事務。


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