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布石のはなし
こんにちは。
「ひつじのお里」のひつじです。
感情の渦に巻き込まれ、日々の暮らしに追われ、明日のことを考える余裕もなかったあの頃。
そんな時代も人生の折り返し地点も過ぎ・・・
自分の歩んできた道を振り返り、やっとこうして言葉に想いを乗せて
綴ることのできる「じぶん」に出会っています。
きょうは、わたしが福祉の道を歩み始めたきっかけをお話しますね。
「ボランティアサークル」
学生時代は、いわゆる、いまでいう所の「ヤングケアラー」でした。
三世代同居の家庭の多い田舎で暮らしていたので、家族の世話をするのは
ある意味「あたりまえ」の環境だったんですね。
介護保険ができる前だったので、福祉もそんなに充実していなかったこともあり、家族同士の助け合いは自然なことでした。
そんな家庭が嫌ではなかったけれど、母親が入退院を繰り返していたので、
必然的に、家事はわたしの役割に。
なので、部活も中学の1年間だけで、それから高校卒業するまでは帰宅部でした。
祖母が高校1年生の時に癌で亡くなり、大学4回生の時に、自宅で介護していた祖父が老衰で亡くなりました。自宅で祖父の死を看取った経験は、いま思えばとっても貴重な経験だったと感じています。
そんな家庭の寂しさを埋めるために、中学から大学卒業するまで10年間、ボランティアサークルに入っていました。
自己肯定感が低かった当時の私は、ボランティアをすることで、必死に自分を慰めていたんですね。
その一方で、ボランティアをしていても、そのことでは決して満たされることのない自分と向き合った10年間でした。
「衝撃のひとこと」が・・・
「福祉を仕事にしよう」
大学受験は、ボランティアからの流れで、社会学部社会福祉学科を受験しようと思ったんですね。
ところが現実は、高校3年生の時に、母親がほとんど入院していたのを理由に、勉強から逃げていました。
夜もふけて静寂が部屋を包むころになると、途端に勉学意欲がなくなり、
日記を書いたり出さない手紙を書いたりしていました。
受験の結果はご想像の通りです。
第一志望の社会福祉学科は落ちて、滑り止めで受けた女子大だけが通ったんですね。
浪人も下宿ももちろんできなかったので、そのまま女子大に進学しました。
そして他大学のボランティアサークルに入部し、また満たされない4年間を過ごしたんです。
負のループに入っていた学生時代。
でもそれに気がつかず、現実から逃げることばかり考えていました。
時は過ぎ、30代に入ってから急に勉学意欲が沸いてきたんです。
当時二人の子どもの子育て中でしたが、福祉の勉強をちゃんとしたい!
そうこころから思う自分がいました。
そして、通信教育学部社会福祉学科を調べて、迷わず申し込みました。
勉強が楽しくて楽しくて、こんなに真面目に?一生懸命勉強をしたのは、
もしかしたら初めてかも、と思うほどに充実した日々でした。
現場実習では、福祉事務所と児童相談所にいきました。
実習最終日、社会福祉事務所のアドバイザーの方がわたしに向かって一言。
「”いまの”あなたには相談したくない」
・・・・・・・・・
あまりの衝撃に言葉を失いました・・・
理由は教えてもらえませんでした。
(ただ、実習の評価は全てAだったことは付け加えておきます)
それからなんですね、いわゆる「福祉の当事者」としての経験が始まったのは。
自分がいろんな立場のクライエントになるという経験を、積み重ねれば積み重ねるほどに、すこしずつ人のこころの痛みや苦しみが理解でき、目の前の方に共感し寄り添えるようになってきたんですね。
この嬉しい実感が、今までの体験に対する意識を変えました。
そこには以前の被害者意識を持った「わたし」はもう、いなかったんです。
そして、あの時にアドバイザーから言われた一言が、その後の人生の大きな大きな「布石」だったことを知ったのです。
そう、わたしが福祉の道を歩むためには「実体験」が必要だったんですね。
多くの出会いに助けられて「いまの自分」が存在しています。
これからの社会を担う大切な子どもたちに
ご縁あり出会った人たちに
目の前の”あなた”に
「恩送り」をするべく、これからも活動を続けていきたいと思っています。
最後までお読みくださりありがとうございます。