見出し画像

生かされている「わたし」からの体験①

こんにちは。

社会福祉士事務所「ひつじのお里」のひつじです。

きょうもご訪問くださりありがとうございます。

ご無沙汰してしまいましたが
きょうも少しのお時間お付き合いいただけたら嬉しいです。


最近のマイブームは、図書館で本を借りてきて読むことなんですね。
いまは小説に凝っています。

ある日 今まで知らなかった作家さんの本をふと手に取ったのがきっかけで
その作家さんの巧みな表現力と言葉の美しさに心惹かれ・・・
いまは3日に一冊くらいの勢いで読んでいます。

その作家さんは「子手鞠るい」さん

どうしても著名な方や賞を取られた方に目がいってしまうのですが
なぜかその日は (世間では名が知られた方であっても)
自分の中では「無名」なその方のエッセイに惹かれたんですね。

本を一冊読み終えて 子手鞠るいさんの世界に出会えた喜びがじんわり。
続きを読むのが楽しみな日々を過ごしています。

ということで

きょうから 少しずつ 
「人生は小説よりも奇なり」な人生体験を語っていきたいと思います。


すべては決まっていた


人生の節目が何度もあったのですが 

大きく分けて3回あったと思います。

一度目は 30代の終わり。
4年半に渡るカルフォルニアでの生活は
「離婚」という幕切れでした。

離婚にいたる経緯も その始まりには
「布石」と
「そうなることが決まっていた」と思われる出来事がありました。


当時南カルフォルニアに住んでいたのですが
時は1999年滞米中の夏休み 日本に一時帰国していたある夏の日に
本屋さんで一冊のセラピスト向け雑誌に出会います。

何気なく手に取ったその雑誌の中に見つけたある広告。

「エサレンマッサージ」

この言葉に惹かれ 氣がついたらネットで検索していました。
そしたら何と そのエサレン研究所は北カルフォルニアにあったんです。

「エサレンマッサージを学びたい」

できるかできないか ではなく 
そこに何か運命的なものを感じた自分がいました。

資格取得するための基礎コースは
150時間の泊りでのマッサージ合宿と50人のモニター施術
そして施術レポートが必要でした。

スケジュールを見ると
前年度から始まったJapanトレーニングは
エサレン研究所から先生を日本にお呼びして開催するのですが
3回ある合宿のうち2回は岩手県花巻市でした。

その2回の合宿の日程は
ちょうど子どもたちの夏休みの期間だったんです。

「参加できる!」

最後の8日間は 
北カルフォルニアにある「エサレン研究所」での合宿だったのですが
当時の夫の協力の元 参加できたんですね。

この「エサレン研究所」での出会いが
その後の人生の大きな分かれ道になるとは その時は全く思わず
新しい世界への希望に満ち溢れていました。

合宿日記は 2006年に別ブログで詳しく書いていますので
後日リンクを貼りたいと思います。


「エサレン研究所」での「ある日本人」との出会い


エサレンマッサージの基礎トレーニングを終え無事に資格を取得してからも

わたしはより深くマッサージを学ぶために 
一人でエサレン研究所に何度か行ったんですね。

わたし以外ほとんどアメリカ人やヨーロッパの人たちの中に混じって
寝袋一つで参加しました。

そんなある日 研究所の中にある露天風呂で 一人の日本人女性に出会います。

「どこから来たのですか?」

返ってきた答えは なんとご近所!(車で15分くらい)
エサレン研究所で日本人に会うというだけでも驚きなのに 
住んでいる所が まさかまさかの同じ地域とは。

自然に「帰ってから会いましょう」という流れになりました。

その彼女はいわゆるサイキック能力のあるセラピストでした。
わたしも一度だけ彼女のセラピーを受けましたが 何とも不思議な感じだったことを覚えています。

時は過ぎ 5年の任期の終わる最後の夏休み。
わたしは子ども二人を連れて一時帰国をしました。

その間に起こった出来事が 今までの結婚生活全てをひっくり返したんです。

そう 当時の夫は 彼女と会っていました。
しかも数回。

と ここまで話すと「浮気」という言葉が浮かぶかもしれませんが
そうではありませんでした。

彼女のセラピーを何度か受けていたんです。
そして 戻ってきてから出会った当時の夫は
「全くの別人」になっていました。

「離婚してほしい」

アメリカに戻ってきてからのわたしへの最初の一言は
離婚のお願いの言葉でした。

ただ泣き続けていたわたし。
ただ頑なにこころを閉ざし
わたしを「無視」し続ける元夫。

離婚宣言が8月の終わりで
日本への帰国は翌年3月だったので 
半年間 どこにも逃げ場がないこの辛い日々を過ごさなければいけないと思うと 生きる気力さえなくなっていきそうでした。

「自由にしてほしい。一人になりたい」
元夫のこころも壊れてしまい 彼もまた一人苦しんでいたのだと思います。
家族の誰とも口をきかず ヘッドフォーンをつけて一人の世界に籠ることで
何とか生活していた そんな感じでした。

あのエサレン研究所で出会った「彼女」が
元夫のパンドラの箱を開けてしまった・・・
でも一気に開いてしまったので 感情が制御不能になってしまったのです。


わたしは というと

「家出未遂」をして 日本人のカウンセラーさんに泊めてもらったこともありました。
そんなある日 気功の先生から日本人のセラピストの方を紹介していただき
子どもたちが学校へ行っている間
その先生の所へ週に一度通うことで 少しずつ落ち着いてきました。

その先生の住んでいる所は 
時速110キロくらいでフリーウエイを飛ばして1時間以上掛かる場所でした。
当時のわたしは アメリカのフリーウエイは怖くて運転したことがなかったんです。
にもかかわらず
自分が極限まで追い込まれた時に 車の恐怖よりも「生きる」ためのエネルギーの方が勝ったんですね。

方向音痴のわたしが ネットで地図を調べ ナビもない車で
ただ フリーウエイを降りる場所と道路の名前だけを頼りに
そこにたどり着いたことは 本当に「奇跡」でした。

ここでも 見えない何かに護られていたのだと思います。

年明け1月 日本への帰国が見えてきたタイミングで
セラピーは終了になりました。

2月に入ってからは ひたすら引っ越しの準備に日々を費やしました。
会社から船便を出してくれるので それに間に合うように。

迎えた2002年3月。
「家ない」「仕事ない」「お金ない」状態でしたが
子ども二人連れて日本に無事に帰国することができました。


ちなみに ですが
「アメリカ生活の思い出」は 記憶の中からほとんど消えています。
断片的に場面が思い出されるだけで 楽しい思い出すらも あまり鮮明には
思い出せません。

そういえば
エサレンマッサージ合宿の最後に「自分に必要なメッセージ」カードを受け取ったのですが

その言葉は「PRESENCE」
”存在”なんですね。

これも意味深い言葉だと いま改めて思っています。

最後までお付き合いくださり どうもありがとうございます。








いいなと思ったら応援しよう!