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🟩君死にたまふことなかれ 命を考える

あゝをとうとよ、君を泣く、
君死にたまふことなかれ、
末に生れし君なれば親のなさけはまさりしも、
親は刃(やいば)をにぎらせて人を殺せと
をしへしや、人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。

堺(さかひ)の街のあきびとの
旧家(きうか)をほこるあるじにて
親の名を継ぐ君なれば、
君死にたまふことなかれ、
旅順の城はほろぶとも、ほろびずとても、
何事ぞ、君は知らじな、
あきびとの家のおきてに無かりけり。

君死にたまふことなかれ、
すめらみことは、戦ひにおほみづからは
出でまさね、かたみに人の血を流し、
獣(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければもとよりいかで
思(おぼ)されむ。

あゝをとうとよ、戦ひに君死にたまふこと
なかれ、すぎにし秋を父ぎみにおくれたまへる
母ぎみは、なげきの中に、いたましく
わが子を召され、家を守(も)り、安(やす)しと
聞ける大御代も母のしら髪はまさりぬる。

暖簾(のれん)のかげに伏して泣く
あえかにわかき新妻(にひづま)を、
君わするるや、思へるや、
十月(とつき)も添はでわかれたる
少女ごころを思ひみよ、
この世ひとりの君ならで
あゝまた誰をたのむべき、
君死にたまふことなかれ。

『晶子詩篇全集(しへんぜんしゅう)』

誰でも1度は目にしたことがあるのでは
ないでしょうか。

今もまだ世界では戦争が続いています。
ニュースでは爆撃の結果多数の犠牲が出ている
と、報じられます。
それを見る私たちは平和の中にいて、
他人事として受け止めています。
でも、この日本でも以前は戦争が
行われていたのです。

与謝野晶子の時代とはまた違いますが、
私の祖父母は戦いの記憶を持っていました。
子供の頃平和学習の宿題で戦争の事を調べた時に、
何気なくその時の様子やどのような気持ちだったのかを祖母に尋ねたことがありました。

何を食べていたのか?町の様子はどうだったのか?
家族は無事だったのか?
戦争が終わった時どのような気持ちだったのか?

私からすればもはや歴史の勉強でしか
ありませんでしたが、祖母にすれば記憶も
生々しく残っていたはずで、話して聞かせるのも
辛かったのだろうと今になって思います。

「家族や友人を失うかもしれない、
その気持ちは恐怖でしかなかったよ」
「生きたくても生きられない人がいたんだよ」
「命を無駄にしてはいけないよ」
そう語る祖母は優しい顔をしていました。

家族が集まる機会があれば、
平和について、命の大切さについて、
話して見るのも良いかもしれませんね。

今ある日常は、奇跡的なのだから。

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