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空海と景教(ネストリウス派. アッシリア東方教会)

空海と景教(ネストリウス派. アッシリア東方教会)


今年は空海イヤーなのか、日本各地で空海にまつわる展覧会が開催されているようで、私も日本にいたらぜひ訪ねたかったです。


実は、空海は唐の都. 西安で景教に触れていたのではないか、という説があります。


その話がこの司馬遼太郎の「空海の風景」でも触れられているらしく、早速Kindleで買い求めました。読むのが楽しみです😊


ネストリウス派キリスト教は431年に「エフェソスの公会議」で異端とされてから、東の方へ逃れていき、バグダッドを通って中国まで伝わっていきました。ネストリウス派は「三位一体論」を取らなかったため、異端とされてしまったのでした。


そして後に、ネストリウス派は中国では「景教」と呼ばれるようになりました。西安の街は景教徒やペルシア人などが行き交う、インターナショナルな都だったようです。


ネストリウス派はその後アッシリア東方教会と呼ばれるようになり、現在まで続いています。彼らもシリア正教会やマロナイト教会と同じく、アラム語を典礼の言葉としています。(アッシリア東方教会はいわゆる"正教会"ではないので、エルサレムには教会がありません)


空海は後に真言宗の開祖となり、その卓越した才能で曼荼羅や書などを生み出していったのですが、その中に「真言声明」という声の芸術があります。


私はこの真言声明を、大学生の時にアルバイトをしていた千代田区番町にあった国立劇場の大劇場で初めて聴いたのですが、居並ぶお坊さんたちが声を合わせて唱えるお経が圧倒的過ぎて 、レセプショニストの立場も忘れてw思わず泣きそうになりながら聴き入ってしまいました。

日本のものなはずなのにどこか異国情緒が漂う感じで、それでいてグレゴリオ聖歌とも違う力強い響きで、不思議な音体験だったのでした。


もしかしたら真言声明は、景教. ネストリウス派の聖歌などから影響を受けていたりしたらおもしろいし、逆にすごく納得します。エフェソス公会議の頃はキリスト教はまだそれほど分化されていなかったので、ビザンティン聖歌の要素もシリア聖歌の要素も一緒になったようなもので、それこそユダヤ教の祈りのような要素も大いに残っていたかもしれません。


実際エルサレムでビザンティン聖歌やシリア聖歌などを歌ってきて、その旋律からなにか真言声明に通じていく音の世界を非常に感じさせられたりします。


さらに「護摩焚き」の儀式では、お経とともに祭壇の火がどんどん天井まで燃え盛っていって火柱になっていきますが、あの光景を見てペルシアのゾロアスター教の拝火壇を連想してしまうのは私だけでしょうか?
真言宗は実は、インターナショナルな宗教的要素があるのでは?と思わずにはいられません。


ユダヤ教では、世界は「水を上と下に分けて、空と海ができた(מים ושמים)」という教えがありますが、まさに「空海」です。真言宗の中にネストリウス派の中に残されたユダヤ的な要素があったとしたら...と考えるとかなりワクワクしてしまいます😆💕

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