母の弁当、おったまげ箱|日記
過去写真の保存は、Googleフォトを使っている。
プッシュ通知で「○年前の今日」というのが届くのだけど、たまたま開いたら高校時代に母が作ってくれていた弁当の写真だった。
この頃、母は急にメッセージ性のある弁当を作り始めたのだ。
発端というのが正しいのか分からないが、1番初めにその現象が起こったのがこの弁当。
いつも通り、ランチタイムに弁当箱を開けたらコヤツと目が合って吹き出した。
帰宅すると「初めてキャラ弁作っちゃった!びっくりした?」と言う母。
キャラ弁。いや、なんのキャラ!?
「え〜分かるでしょ?」と不満げな母。
あの特徴的な耳を思い出す。「もしかして…、チェブラーシカ?」
正解とのこと。
そうか!あれチェブラーシカか!!腹がよじれるほど笑った。
それから味をしめた母は、毎朝早く起きて力作を作ってくれた。
ある日お婆ちゃんから大量のカニが届いて、とにかくすごい量のカニが夕食に並んだ。
食べすぎてもうしばらくカニはいらんって思った。
それなのに母は翌日「今日はカニ弁当だよ」と言うので、あんなに食べたのにまだ残りあるんかいって受け取った。
そしてランチタイム。(今日もカニかあ…)と弁当を開けるとコレ。
吹き出した。もう要らん、母も同じ気持ちなんじゃん。
私は忘れ物が多かった。
学校に持ってくるように言われた持ち物を忘れるだけでなく、持ってきたものを家に持って帰るのすら忘れてしまうことが多々あった。
宿題で出されたプリントとか、使ったあとの体操服とか。
中でもよく忘れたのが「水筒」
ロッカーに入れっぱなしのままつい忘れてしまって、夕食の洗い物のときに「水筒出して」って言われて「あ…」って気付くのだ。
母はプリプリ怒りながら別の水筒を持たせてくれるのだけど、私はその別の水筒まで忘れてきてしまう。
「呆れて怒る気もせんわ」って言う母。(怒ってるやん…)と思う私。
その翌日の弁当。
おかげでこの日はちゃんと持って帰れました✌️
この頃になると私の弁当はクラスメイトの注目を集めていて、いつもお昼を一緒に食べていたタンポポやスイトピーは写真を撮ってtwitterにアップする始末。
自分のポンコツさが学年中に知れ渡ってしまった。
そのあとしばらくして、10代の多感な時期に突入した私は不眠と憂鬱により頻繁に学校を早退するようになった。母は私を心配して病院へ連れて行った。
病院の先生が「どうされましたか?」と言うので、眠れないんですと伝えようとしたら後ろから母が「食欲がなくて、弁当を食べてくれなくて」と涙声で話し始めた。
そっち!?と振り返ったら、すごく悲しい顔をしていて胸がギュッとなった。
本当にごめん。お母さんのことが嫌で食べないんじゃなくて大好きって言うのは分かってて欲しいと伝えた上で、「本当に食べられなくて申し訳ないし、ムダにしちゃっているのが私もツラいからしばらくカロリーメイトを持っていく」と2ヶ月ほど弁当をお休みしてもらった。
センター試験が終わり大学の合格通知が届いた頃、ほっとしたら食欲がモリモリ湧いて弁当を復活してもらった。
自分の勝手さと単純さで母をとても悩ませたことを悔やみながらも、久しぶりに味わう弁当はすっっごく美味しかった。
高校生ラストの弁当はいつも通りだった。
ただ1ついつもと違うのは、メッセージカードが入っていたこと。
「お弁当作るの楽しかった。ありがとう。」って書いてあった。
残り2週間で実家を離れて1人暮らしを控えている私は、寂しくなってぽろぽろ泣いた。
タンポポやスイトピーあと5人の一緒に食べていた友達が、「どうした!?」ってオロオロし始めて笑えた。「お母さんがくれた」ってメッセージカードを見せたらみんなも泣いてくれた。
父は今も毎日、母の弁当を食べているらしい。
もしまた母の弁当を毎日食べられようになったら、私は何を思うだろう。
毎昼心を打たれてランチどころではないかもしれない。
母の愛に鈍感だった子供時代のように、ただ「うま〜〜」では食べられない。
不可逆な時間が残酷で、恋しくて、愛しい。