信じられていないということにすら気が付かなかったよ

私はどんな時も息子を、息子の気持ちを尊重する母になりたいと思ってきた。

私の母もいつも私の選択を尊重してくれたから。
それが私にとってとても幸福なことであったと親になった今、改めて痛感しているから。

前にもnoteにしたが、子を思う気持ちのあまり、親は子に余計な口出しをしてしまうことが今ならわかる。
自分の経験を踏まえ、
「良かれと思って」
私の選択に口を出したい時だって沢山あったはずなのに。

私は何もかも自分で決めてきた。
だから自分の人生に何一つだって後悔がなく、
そしてそこに母の深い愛を感じては自分が大切にされているのだと感じることができる。

だから私も息子をいつだって尊重するのだ、
そう誓ったはずだったのに!
それがあまりにも、あまりにも!綺麗事だったと実感する出来事があり、打ちのめされたのでnoteにした。

心臓の手術をした為、息子は現在毎日2度、
そして3ヶ月間、薬を飲み続けなくてはならない。
ただ息子は薬の味がどうであろうと薬を飲むのが苦手で、飲ませる際は毎回羽交締めにして無理やり飲ませてきた。絶対に飲まなくちゃいけない薬。
そうするしかなかったから。

夫には何度か言われた。
「普通に飲ませてみよう。」
と。

過去、風邪薬を飲ませる際にも夫に提案され、試したことがある。
しかしもちろん駄目だった。美味しくないのだから当たり前にべーっと、出されてしまう。

そして今日も夫から同じことを提案された。

今飲んでいる薬が特別クセの強い味であること、普段から薬が好きでないことを踏まえ絶対に無理だと思いつつ、それであなたの気が済むならどうぞ、なんて言って任せてみた。

夫はまず息子に、
「薬を普通に飲んでみようか?」
と聞いた。

まずここで予想外。
息子は
「ブロックやりながらにする!」
と返答した。

だが、実際飲ませようとしたら嫌がって手で跳ね除けて口から出すに違いない。承諾したのに拒否するなんて子供はよくあること。

そう思ったのも束の間、

「ちょびっとずつ、飲ませるよ。ブロックで遊んでていいからね。」

と一切息子を拘束することなく、
少しずつ薬を飲ませきったのだった。

この違いは、スキルの違いではないように思う。

夫は息子を信じていた。
そして気がついた。
私は息子を全く信じられていないどころか信じる気すらなかったことに。

あんなに息子を信じられる親でいたかったのにね。

この時にまた思った。

「こんな小さな選択でも、私は息子を信じられていないのに、
では例えば、
志望校の話だったら?就職先の話だったら?
そんな人生が大きく変わるような選択を息子に委ねられたのだろうか。」
と。

私の兄は浪人している。
ただ、現役で学習院、立教など名のある大学に受かっている。
しかし兄は、どうしても早稲田の理工に行きたいと母に言った。
でもうちは貧乏だった。
浪人でさらにもう一年予備校代を払うのは至難の業で、加えて年子の私とダブルで受験になる。
浪人したからと言って理工に受かる保証もない。

私だったら?
「受かったところでいいんじゃない?最終的にはあなたが決めたら良いけどね。」

こう声をかけたと思う。というかこう返答する。

でも母は?
「うん、応援しているよ。」

そう言っていたな。
そして兄は翌年早稲田の理工に受かりました。
その年、駿台御茶ノ水校の早稲田理工コースで受かったのは兄だけでした。
母が信じてくれたから、身を粉にしてお金を捻出してくれたから、兄の努力が二倍にも三倍にもなったのでしょう。そしてその選択が、その後の兄の自信になっています。


私は今のままでは息子を尊重することはできないのだろう。
夫はいつだって息子を尊重している。
疲れているだとか、余裕がないだとか、息子に対して自分の感情を言い訳にしない。
どんなに癇癪を起こされようと、怒られようと、
まず共感。肯定。

「そうだよね、〇〇したかったんだよね。」

私は?
立派に意識だけ高く、育児本を読んだりペアトレなど講座に参加し、
「叱らない育児をしたい、息子をいつだって尊重したい!」
口ばっかり。

余裕がなければ息子への初手の共感なんぞ飛ばし、
「全部が全部〇〇君の思う通りにはならないよ。」
なんて冷たく言い放つのだから。

薬を羽交締めにして飲ませるのも、その方が楽だから。さっさと終わらせられるし、薬を出されて服や床がベトベトになることもない。

あー、だめだな~!!!!!!

子どもの気持ちを尊重することは意図も容易いことではなかったんだな。口だけでは駄目だ。
小さな小さな一つ一つの出来事から、息子を信じ、尊重するんだ。

明日からまた私はより良い母を、目指します。

終わり。

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