【勝手に解釈】東京ユヴェントスフィルのプログラムを完全に理解する
年明け2025年1月4日に東京ユヴェントス・フィルハーモニー(以下、ユヴェントス)の定期演奏会が開催されます。相変わらずおもしろいプログラミングをしているので、年末年始企画ということにして例によってクラオタ的目線でプログラムを勝手に解釈した演奏会直前プログラム解説記事を書きます。
※あくまで個人的解釈を基にした記事です。
本記事はユヴェントス非公認の記事であり、公式の見解ではありません。
演奏会概要
プログラムをどう理解すべきか?
今回のプログラムですが、個人的には非常に良いプログラムだと思っています。こんなに、おもしろくて、挑戦的で、ストーリーのあるプログラムはプロアマ問わずなかなかお目にかかれません。(個人的見解です。)
しかし、同時に大衆受けしにくく玄人向けなのも事実。クラオタは狂喜乱舞しドキドキワクワクが止まらない一方で、クラシック音楽をオタクレベルに好きでない人にとってはなかなかその魅力やおもしろさが伝わりにくい。
そこでこの記事である
そこで、プログラムを聴くにあたってのガイドとなる記事を目指します。演奏会でパンフレットを読むと、曲ごとの解説は書かかれていますがプログラム全体に言及されていることはまず無いです。しかし、「プログラムの組み方を考察する」癖のあるクラオタ的には、プログラムの根底に流れる意味やコンセプト、ストーリーをある程度理解しておくと演奏会をより楽しむことができると思っています。
グロテスク!エロティック!バイオレンス!…そしてロマンティック
それでは、早速今回のプログラムについて考えていきましょう。今回はどんなプログラムなのでしょうか。個人的には
いかがわしさ満点18禁プログラム
と呼んでいます。正直、このプログラムを正月三が日明け、年明け一発目の1月4日の演奏会からやろうとしているのが最高にクレイジーでおもしろい。曲の内容が全体的にいかがわしすぎて、見てはいけない18禁コンテンツを見ているかのようなドキドキ感があります。
デカダン的プログラム
今回のプログラムは「デカダン的」と言っても良いかと思います。デカダン的、つまりデカダンス的(退廃的)。全編を通してグロテスク・エロティック・バイオレンスなどの退廃的な要素が充満していながら、その中で時折仄かに甘美でロマンティックな瞬間が訪れる。曲中はもちろん、プログラム全体に視野を広げてもこの傾向は変わりません。この「デカダン的」というテーマは多かれ少なかれ意図してプログラミングされたと予想しています。
プログラム全体構成
今回のプログラムは、
前曲: バルトーク / 《中国の不思議な役人》(演奏会用組曲)
中曲: バーバー / ヴァイオリン協奏曲
メイン曲: ストラヴィンスキー / バレエ音楽《春の祭典》(1947年版)
プログラムの軸は、バルトークとストラヴィンスキーだと思われます。
作曲順は、
となっており、すべて20世紀の作品となっています。
《春の祭典》と《中国の不思議な役人》
プログラムの軸であるこの2曲を整理します。この2曲の特徴・共通項は
グロテスク・エロティック・バイオレンスな要素はこの2曲に集約
《中国の不思議な役人》は《春の祭典》に影響を受けている
バレエであって、バレエでない
それぞれのストーリー(あらすじ)
2曲のストーリー(あらすじ)を確認しましょう。
どちらもあまりに衝撃的な内容です。《春の祭典》は少女が神への生贄として死ぬまで踊り続け最終的に死を迎える話、《中国の不思議な役人》は少女が売春婦として誘惑した「不思議な役人」が少女の仲間の暴漢たちに暴行を受け、最終的に少女の腕の中で死を迎える話。テーマの違いはあれど、どちらも少女または若い女性が物語の媒介となり「生贄」や「売春婦」として最終的に凄絶な「死」に直面します。さらに、《春の祭典》は古代の異教社会における儀式が舞台で、一方《中国の不思議な役人》は金銭欲や暴力が渦巻く交配した大都市が舞台。古代と現代(大都市)という対極的な舞台で、「少女が犠牲になり死に直面する」というモチーフは共通している。それはグロテスクでエロティックでバイオレンスに彩られながらも、同時に甘美な美しさも持っている。まさに、デカダン的美しさと言えるのではないでしょうか。
《春の祭典》、《中国の不思議な役人》のストーリーはWikipediaでも確認できるので読んでおくことをおすすめします。特に《役人》はおもしろすぎます。
春の祭典 - wikipedia
中国の不思議な役人 - wikipedia
参考映像はこちら
バルトーク / 《中国の不思議な役人》
《中国の不思議な役人》が受けた《春の祭典》からの影響
《春の祭典》は後に続く様々な作曲家・曲に影響を与えた曲ですが、バルトークも例に漏れず影響を受けています。《春の祭典》初演直後にバルトークは、同曲のピアノ四手版の楽譜を取り寄せ、研究していたようです。その成果が《役人》の音楽にも反映されていると考えられます。実際、楽器の使い方やオーケストレーションにその影響が垣間見えます。
作曲家のアプローチの共通性
バルトークとストラヴィンスキーは作曲のアプローチにも共通性があり興味深いです。バルトークが東欧諸国を周り、土着の民俗音楽を採集しそれらを自作品に使ったり、採集で得た知識やサンプルを基に民俗音楽によく似た旋律を自作したことは広く知られています。ストラヴィンスキーもこれとほぼ同じアプローチを行っており、ロシア周辺の民俗音楽の旋律を自作品に取り入れたり、旋律の自作なども行っています。実際、《春の祭典》冒頭のファゴットによる高音域での旋律は、リトアニア民謡《Tu mano seserėle(私の妹よ)》をベースにしたものです。
バレエであって、バレエでない
この2曲は、バレエであってバレエでない、という点でも共通しています。《中国の不思議な役人》は、バレエというより正確にはパントマイムです。現代でも、バレエとして上演されることがあり、混同されることが多いですが、元々は『中国の不思議な役人―グロテスクなパントマイム』という原題の脚本を基にバルトークが音楽を作曲しました。そのため、バルトーク本人も原題に則り「音楽を伴うパントマイム」という呼称にこだわっています。また、作品の内容的にも通常のバレエではあり得ない、暴力的で官能的な退廃的なもので、発表直後に問題視され上演禁止にされるなど物議を醸しました。一方、《春の祭典》は最初からバレエ音楽として作曲されています。しかし、作品の内容や、変拍子主体の音楽、ニジンスキーによるバレエの定石を無視したステップや振り付けなど、すべてにおいて通常のバレエではあり得ない要素だらけであったため、初演ではこの曲の理解や受容について客席で殴り合いや暴動が起こるなど、こちらも物議を醸した作品です。これらの点から、両曲に対してバレエであってバレエでない、という共通項が見出だせます。
プログラムにおけるバーバー / ヴァイオリン協奏曲の意味・役割
ここまでで、プログラムの軸である2曲について整理をしました。ここからはプログラムにおけるバーバーのヴァイオリン協奏曲(以下、本作)の意味と役割を考えます。
キーワードは「ロマンティック」と「若さ」・「少女性」
今回のデカダンス的プログラムにおいて、甘美さは非常に重要な要素です。《春の祭典》と《中国の不思議な役人》にグロテスク・エロティック・バイオレンスな退廃的な要素が満たされている一方で、本作は非常に叙情的で美しい旋律を持っておりこのプログラムにおいて甘美でロマンティックな要素を担っていると言えます。デカダンス的美しさを感じるためには退廃的な中に甘美さがあって初めて全体の美しさが際立ちます。
また、このプログラムでは「若さ」・「少女性」も重要な要素となっています。《春の祭典》と《中国の不思議な役人》において「少女」が作品の重要な要素となっていることは既に書きました。今回のプログラムに限っては本作でもこの「若さ」・「少女性」 が重要な要素として機能しています。これは、曲そのものではなくソリストに見ることができます。今回ソリストを務める若尾 圭良さんはハーバード大学に入学されたばかりの、18歳の素晴らしいヴァイオリニスト。若さと少女性を併せ持つソリストを迎えて本作をこのプログラムに組み込むことで、プログラム全体に統一感が生まれプログラムが生きたものになっています。
現代音楽的要素
曲の内容を見ても本作は、《春の祭典》・《中国の不思議な役人》と相性が良いです。第1楽章・第2楽章が叙情的である一方で、第3楽章は一転して無窮動に展開し音楽的にも無調的な性格を持ちます。叙情性と無調性を併せ持つことで現代音楽的要素を持つこととなり、前衛的な側面を持つ他2曲との親和性が生まれ曲同士を繋げる役割を果たしています。
作曲家たちの共通項
今回のプログラムでは、作曲家全員にも共通項を見い出せます。
20世紀の作曲家
アメリカに関係する作曲家
この2点が共通項です。作曲家が生きた時代や国が揃うことで、プログラムに統一感が生まれることに役立っています。(これはよく見られる手法ですね。)
まとめ
1月4日の東京ユヴェントス・フィルの演奏会プログラムを勝手に解釈して解説をしました。退廃的な中に甘美さを見出だせるデカダン的プログラムであると同時に、「若さ」・「少女性」がキーワードのプログラムでもあることが見えてきました。世界に目を向けると今なお戦争や紛争でたくさんの犠牲が生まれ、まさに退廃的で混沌とした世界へとどんどん近づいているように感じます。個人的には、今この時期にこのプログラムを演奏することにとても大きな意味を感じます。少しスケールを大きく捉え過ぎでしょうか?でも、ただのいかがわしさ満点18禁プログラムなだけではありませんね。この解説で書いたことが実際どのくらい意識されてプログラムが組まれたのかはわかりませんが、色々な想像を掻き立てるプログラムというのは良いプログラムだと個人的には想います。
ところで、東京ユヴェントス・フィルの団体名にも冠している「ユヴェントス(Juventus)」はラテン語で「若者」を意味します。プログラムが演奏者へと繋がってくる、なんとも新年にふさわしい粋なプログラムではないでしょうか。1月4日、ミューザ川崎で皆さんとお会いできることを楽しみにしています。
参考情報(本・サイトなど)
ストラヴィンスキー・《春の祭典》
バルトーク・《中国の不思議な役人》
クラシック音楽解説GPTs
クラシック音楽の曲について解説してくれるGPTs です。
曲がどのような背景で書かれたか、曲が持つ音楽的特徴、音楽理論について、などいい感じに解説してくれます。自作のGPTsです。