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“ 目で見るラジオ”の話

ここは奈良県天理市。
東大寺山古墳を目の前に静かにたたずシャープミュージアム

 
国内外から来訪くださる様々なゲストを110年の時間旅行へとご案内するのが私の日常である。
今回お連れするのは、遡ること、今から約70年前。
 
 
 
 
「目で見るラジオだ!!!」

そんな驚嘆の声が、日本の駅前広場や商店の前などであちこちから、上がった。

高いスタンドに設置された、スケッチブックほどの小さい四角の箱。
その前に集まる、たくさんの人々。

令和に生きるみなさんには、情景が想像できますか?

シャープ100年史より



そう、その正体は「街頭テレビ」
画面に映る、ニュース番組やボクシングの中継を興味津々にみんなで見つめる。
 



 
「街頭テレビ」って何?
 
現代では聞き慣れないこの言葉が気になって、ここから先の話が入ってこない人の方が多いかもしれない。
 
 
今でいうと、さながら「パブリックビューイング」
オリンピック・パラリンピック、サッカーワールドカップなど、会場の外側に大きなスクリーンが設置され、知らない人たち同士でも“勝利”を願う想いをひとつに集まって盛り上がるシーン。
 
(そのシーンを自宅のリビングで観ている私も盛り上がる)
 
 
 
テレビ放送が始まった頃、日本のあちらこちらで、「街頭テレビ」が設置された。
第二次世界大戦敗戦から8年後の日本…。
人々には想像を絶する絶望や、時には少しの安堵や、もしかすると遠慮がちな希望があったことだろう。
 
しかし、いよいよ街頭テレビに映る映像を目にした時には、それぞれに明るい未来を予感されたに違いない。
 
 
この時を20年以上前から夢見て、信じて、走り続けたひとりが、シャープ創業者、早川徳次である。
 
 
創業者のドラマチックな生き様を一人でも多くの人に伝えたくて、今日も私はここにいる。
 
 
今回お伝えするのは、前回登場した小学生たちとの物語の続きだ。
 
…………………………………..
 
「日本の工業について学ぼう」という社会見学で来てくれた小学生たちに聞いてみる。
 
 
“さて皆さん、早川徳次さんがやっとテレビをつくることに成功した後、テレビ放送が始まるまでには2年間の期間がありました。早川さんは何をしたと思いますか?”


こんな唐突な質問に、小学生たちは、それぞれに真剣な表情を見せる。


目の前の展示パネルに答えは無いかと目を凝らして探索している子。

視線は遥か遠く、自分の頭の中で答えを探索中の子。

周囲の子と互いに目を合わせている子たち。「どう思う?」と無言の対話中かな・・・


不意に、私に視線を合わせて微笑んでくれる子を発見!

なにかひらめいたかな?


「・・・えっとー・・・ヒントありますか?」

(みんなを代表して尋ねてくれたんだね。ありがとう。)

「ヒントはね・・・早川さんはとっても心配だったんです。」

・・・?

「あ、わかった! 足りなくなるといけないから、もっとたくさん作った?」

「うんうん、良い考えですね。さっき見たように、早川さんは自分でコンベアー方式の設計もしましたもんね。実際に、できるだけたくさん生産しましたよ。早川さんと同じ考えですね。拍手―!」


パチパチ パチパチ パチパチ  ・・・・

誘導役の私が全力で拍手すると、みんな一斉に拍手してくれる。
つられて素直に拍手してくれる子どもたちは愛おしい。
このまま大人になってくれたらいいな。

唐突な質問に、今ここで吸収した情報を駆使してトップバッターとして考えを披露してくれる子を全員で精いっぱい称える。


「ほかの考えがひらめいた人はいますか?」

・・・ ・・・

「むずかしいなー」

「早川さんと同じでなくてもいいですよ。
例えば皆さんがテレビを開発した人だとしましょう。せっかく成功したのに、放送が始まるのが2年先だとわかったら、安心してテレビを買ってもらうために皆さんなら2年間で何をしますか?」


「自分で放送するっ!」

「おおー、放送局をつくってくれる人、出ましたよ。ほかの考えの人いますか?」


「ポスターとか作って宣伝するー!」
「ラジオで宣伝するー!」

「宣伝部隊が出てきましたねー。」


「・・えっと、外国に売る?」

「すごい!海外進出を考えてくれた人もいますよー!」


「お店をつくるかも」
「見た目とか、もっと工夫する!」

正解のタガを外してみたら、子どもたちの自由な発想が次々と飛び出してきた。


ひとりの自由な発想が周囲の自由な発想へと連鎖する。
ワクワクする空間を、子どもたちが意図せず展開してくれている。

アイデアが出るたびに何度も頷いて後ろの方で笑顔で見守っておられる先生も、このワクワクを共有くださっているのかな。



「みんなすごいですね。アイデアがいっぱい!このクラスのみんなで協力したら、新しい会社をつくれるかもしれませんよ。やってみたいひとー?」

「はーい!」

間髪入れず、まっすぐに手を挙げてくれる子が、1,2,3,4,・・・
遠慮がちに手を半分だけ挙げてくれる子も・・・


全員ではないけれど、ここで自由に発想してくれた子たちの中から将来の企業家が生まれたら嬉しいなー。 
(などと、この国が発展していく未来を願う。)


「ちなみに早川徳次さんはどうしたかというと、『心配ごとを解決しよう!』とがんばりました。
どんな心配事かというと、早川さんにとって、テレビの技術はとてもむずかしかったんです。
ちょっと復習してみましょう。
早川さんが18歳で発明したのはベルトを締める金具、バックルでしたね。
その次に発明したのは?」


「シャーペン!」
「シャーペン!」
「シャーペン!」

「はい、シャーペン、シャープペンシルですね。そのあと、大きな地震でシャープペンシルの工場を失った後につくったのは?」


「ラジオー!」

「はい正解。ラジオでした。関東大震災という大きな地震のあと、研究を始めてわずか1年でラジオをつくることに成功しました。」
ラジオを作るまでの物語をしっかり覚えてくれていて、思わず心の中でガッツポーズ)


「でもテレビの開発は、研究を始めてから20年もかかりました。早川さんは心配でした。
『こんなに難しい機械を買ってくださった人がもしも困るようなことになったらどうする・・』と。
そこで、テレビ放送が始まるまでの2年間で、社員やお店の方々にテレビ技術を知ってもらう勉強会を行って、テレビのしくみに詳しい人をたくさん育てました。


「昔の人たちが、新しいものを開発して、安心して使ってもらうためにはどうしたらよいか考えて、周りの人たちと協力しながら私たちの暮らしを便利に、楽しくしてきたのですね。」


「これが、最初のテレビです。」

「うわー。」

「木の箱みたい」

「17万5千円だってー」

「そう、今から70年前の価格は17万5千円でした。この頃1か月のお給料が8千7百円と書いてありますね。ということは、お給料の20倍くらい。2年くらい働いて、やっと買えるかなーという高価なものでした。」


「そこで考えたのがこちらです。」


「うわー、小っちゃいテレビ?」


「と思ったら、実はテレビの形をしたラジオなんです。」


「えーー!?」


“スーパーシネマラジオ” という、当時のテレビと見間違うほど見た目がテレビなラジオだ。


テレビでいうと画面の部分には、イラストが描かれている。
野球界で“打撃の神様”と言われた川上選手のバッティングフォームや、プロレス界のヒーロー“力道山りきどうざんの空手チョップ”のシーンらしい。
「力道山は短パンじゃなかったよ。」と証言する人もあるが。。


電源を入れると画面の部分に明かりが灯り、ここに浮き出たように見えるヒーロー(のイラスト)を眺めながら、ラジオの音を聴いていた。

これこそ、真の「目で見るラジオ」なのかもしれない。


スーパーシネマラジオを初めて見る人の多くは、出会った瞬間にまず時間が止まるようだ。

「どーゆーこと?」という暗黙の吹き出しが頭上に浮かんでいるように見える。
一瞬困惑して、一呼吸後に正体がわかると安堵して笑いがこみ上げる。


英語が通じる海外からの来場者には 
“Watch radio” と伝えるのが笑いへの近道だ。


しかし、素直な小学生には(俗語でいえば)ウケない。
ここは笑う場面ではなく、むしろ「なぜこのようなラジオをつくったのだろう?」という疑問が先に来るらしい。

きっと、小学生の脳内は「なぜ?」「どうして?」「なるほど!」「そういうことか」「じゃあこの場合は?」の繰り返しでシナプスがどんどんつながって発達している毎日なのだろう。


そうやって、素直にどんどん吸収していく子どもたちは愛おしい。

今この瞬間も、将来を担ってくれる子どもたちの脳内成長に、いくらか参加させてもらっているのだろうか・・・と身が引きしまる。


「今は皆さんのおうちにもテレビがあるかもしれませんが、この頃はまだまだ高価でなかなか買えませんでした。そこで、せめて人々の憧れだったテレビの雰囲気だけでも味わいながらラジオの音を楽しんでもらいたい、と考えてテレビの形をしたラジオをつくりました。」


昔の人々が憧れたもの、それを日常的に使うことができる現代。
私たちが当たり前だと思っている便利なくらしを築いてくれた、昔の人々の想いに気づいて大人になってくれたらいいな・・・と思う。


このあと子どもたちと一緒に、カラー放送が始まった1960年(昭和35年)当時のブラウン管テレビと、40年後の液晶テレビを比べてみる。


3年生の社会科で、「昔のくらし・今のくらし」を学んだ小学生は昔と今の道具を比べて違いを発見することが得意だ。


「これテレビ? でっかーい!」

重量78㎏のブラウン管テレビは、子どもたちにとって圧倒的な存在感だ。



「うわー薄くなった」
重量7.8㎏。液晶テレビAQUOSの1号機だ。


「なんか、画面がまるい?」

ブラウン管テレビ画面の正体は大きな真空管。シルエットは大きな電球のイメージ。
奥から電子を飛ばし、磁気を使って電子が進む角度を細かく変えて、真空管の内側に上の行から下の行まで打点していくイメージ。電子が当たった点が光る。


側面から見た図で、自己流のパントマイムを交えながら全身を使ってしくみを伝える。


ブラウン管の専門家でない私が説明しようとするのだから大雑把なイメージに過ぎず、
子どもたちにしくみの理解を期待することはできない。


ただ、何ゆえこんな巨大な箱型なのか、どうして画面が曲面なのか、の疑問をちょっとでも解いて「わからない」を「なんか面白い」に変えるお手伝いをしてさしあげたい。


「では、液晶テレビはどうしてこんなに薄いのか、それは、あとで一緒に観察しましょう」


このミュージアムには2つのセクションがある。
ひとつは、先人たちが研究して夢を叶えてきた道具やくらしの変遷をたどる「歴史館」。

もうひとつが「技術館」。


「技術館」では、「光の性質」を利用した技術、「生き物の形状や動き」を研究して家電のパーツに応用する省エネ、高効率化の技術、「水」は地球上で安定するという摂理を利用した技術、
「資源」をテーマとしたリサイクル技術など・・生産の流れの紹介や映像等のデモンストレーション、原理のCG解説、応用事例を通して理解を深めていただく。

実際にこの見学コースを体験された塾の先生が、生徒たちに液晶技術を熱く語ってくださったことで、この技術に興味を持った先生の教え子がこの会社に入社した、という事例もある。


「液晶テレビはどうして薄いのか」
そのしくみに興味を持ってもらうシナリオは、この「技術館」の側に用意されている。

特に液晶ディスプレイの生産工場は極めて高いクリーン度を保つ必要があるため、一般公開はしていないので、その工程について、技術館では詳しく解説している。


光の3原色の実験、薄膜トランジスタが規則正しく形成されたミクロの世界を拡大して観察、液晶物質の観察、完成画面の実際の動作はどうなっているのかCCDカメラで覗いてみることで、ここまでの意味が腑に落ちると同時に、とても不思議な感覚になる・・・


これは文字や写真だけではうまく表現できず、体験してこその感覚なので、ごめんなさい。


テレビモニタが今のように薄型になるまでの間の試行錯誤も面白い。


どんな試行錯誤があったのか、あなたをミュージアムにお連れしてご紹介したい。
そんな想いで、ついに動画を作ってしまった。

これまでnoteのミュージアムシリーズで、みなさまのご案内役をしていた私(藤原)が、実際にミュージアムの中をご案内する。

こちらの動画をご覧いただけると…これほど幸せなことはない。


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▼シャープミュージアムってどんなところ?

動画で内部をチョイ見せしていますので是非、ご覧ください。

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▼シャープミュージアムに関する記事


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