1000回噛んでたどり着いた「令和版・味の向こう側」
私が味の向こう側に行くまでの時間。
19分8秒、咀嚼回数1055回。
ある昼下がり、私はフランスパンをひたすら噛み続けていた。
リビングの片隅で19分も!
19分もあれば、コーヒーを飲んだり、ヨガをしたり、犬の散歩だってできるのに。カップラーメンなら6回作れて、明日締切の原稿を500文字は進められる。でも、そんなこと全部、放棄して、ただ噛んでいた……。
スマホに目を落とすと、咀嚼回数を示す表示が1,000回を超えている!「あぁ、顎がもう限界かも……」。でも、ついにその瞬間が訪れた。
「あ、甘い!」
口の中にふわっと広がった独特の感覚に、思わず瞼を閉じた。
「すごい!これが味の向こう側なのか!」
未知との遭遇に脳内のドーパミンは炸裂し、私は躍り出していた。両手を上げて、身体を左右にプルプルと揺らす謎の踊りを。
「ヒャッホーイ!」
「味の向こう側」というのは、麒麟の田村裕さんが「ホームレス中学生」という本の中で使っていた言葉だ。当時、田村さんは空腹を紛らわせるために、白米をひたすら噛んでいたという。白米の味は噛むと甘みが増すもののやがて無くなる。それでもあきらめずに噛み続けていると、また味が現れるのだとか。田村さんはこれを「味の向こう側」と呼んでいたのだ。
たった一口をここまで噛んだのは、人生初だ!私も想像できなかったけど、他の人もきっと想像できない世界に違いない。そんなわけで、私が1000回噛んでたどり着いた「味の向こう側」について話してみたい。
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全ての始まりはシャープ公式note編集部からの一通のメールだった。神戸でライターをしている私のもとに「バイトスキャン(bitescan)を使った体験記をnoteに書いてみませんか」と依頼がきたのだ。
はて?
「バイト(噛む)をスキャン(詳しく調べる)」って?
なんでも、シャープが開発した咀嚼計で、耳にかけて食事をするだけで何回噛んだかアプリで確認できるという。咀嚼数かぁ!今まで気にしたこともなかった。というか、むしろ早食いであることを誇りにしてきたから、よく噛むこととは無縁だ。こんなポンコツの私が咀嚼のことについて書けるのか?でも、実際、私の咀嚼ってどんなもんなんだろう。ちょっと気になる……。
新しいもの好きで、知りたがり屋の私は、二つ返事で引き受けた。この時は、まさか1000回も噛んで人生変わっちゃうとは、夢にも思わなかったけど。
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ところで、現代人が1回の食事で噛む回数は、昔と比べてかなり減っているそうだ。卑弥呼の時代は約4,000回だったのが、今ではその約6分の1の600回になっているとか!(なんで卑弥呼の時代まで遡るねん!というツッコミはこの際おいておく)。
昔はもち米とか干物とか固い食べ物しかなかったから、噛まないと食べられなかったんだろう。でも今は、噛まなくてもなんでもおいしく食べられてしまうもんね。
で、噛まないことの何が問題か調べてみると、いろいろ厄介なことが起こるそうだ。
・満腹中枢が刺激されずに肥満のリスクが高まる(イヤだぁ)。
・唾液の分泌が少なくなって、口や歯の状態が悪くなり、入れ歯になってしまう(それは避けたい)。
・消化不良で胃腸にも負担がかかる(くるしいよぉ……)。
じゃあ、よく噛んだらどうなるかというと……、
・食欲を抑えられるので、肥満予防になって生活習慣病を防げる(それ、大事!)。
・歯の健康を保ち、自分の歯をより多く残して噛み続けられる(うん、歯は命!)。しかも、脳の働きや記憶力、認知機能にまで関係があるのだとか!(マジか!)。
なんだなんだ、すごいじゃないか、咀嚼力!!!見過ごせなくなってきた。「特技、早食いなんです」なんて、へらへら笑ってる場合じゃなさそうだ。
人生100年時代。「噛むことの大切さをもっと知ってもらって、健康に長生きしてほしい!」と開発されたのが、「バイトスキャン」なのだ。学校の食育プロジェクトにも導入され、噛む回数を測ることで、咀嚼への意識を高めることに貢献しているそうだ。
そういえば、最近はいろんなものがIT化している。私も歩数や睡眠スコアを、スマートウォッチで計測している。1日の歩数が1万歩に足りないとなれば、寝る前に自宅の階段を上り下りし、睡眠スコアが80点を切った日には、ストレッチをしたり、ビールを我慢したりする。ITのおかげで、そんな涙ぐましい努力の日々を送れるようになっているのだ。
この生活にバイトスキャンが加われば……。理想の咀嚼回数を目指して、深夜に噛みながらウオーキングしているかもしれないな、私……。(え? 不審者?)
しかし、ついに、咀嚼回数まで自動で計測できちゃう時代が来るとは!すげぇ。
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さっそく、シャープ編集部からバイトスキャンを送ってもらい、箱から出してみた。
耳に掛けるシンプルなデザインだ。実際につけてみたら、軽いのにもびっくり!
スマホにアプリをダウンロードし、連携設定も完了。試しにテーブルの上にあったパンを噛んでみる。
「わぁ、楽しい!」
噛み始めると、リアルタイムで咀嚼回数がアプリに表示される。しかも、噛むたびに画面がピコピコとコミカルに動くから、まるで一緒に噛んでいるみたいで、気分が上がる。
最初は5、6回噛んでは、飲み込んでいた私(はやっ)。だけど、だんだんコツを掴んで、一口30回近くは噛めるようになってきた。よし、次は40回噛むぞ!次は50回だ!あ、飲み込んでしまった!ようし、今度こそは!これはゲームか!
どんどん噛みたくなる。
あれ、私、いつの間にかバイトスキャンの思うつぼ?
と、そんなとき、ふと思い出したのが、田村さんが言っていた「味の向こう側」だったのだ。味の向こう側って、いったいどんな味なんだ。何回噛んだらいけるんだろう。早食いの私でも行けるのかな。行ってみたいな。
そうだ!このバイトスキャンを使ったら、「味の向こう側」までの咀嚼回数が簡単にわかるのでは!
これぞ、新時代のIT技術に裏打ちされた「令和版・味の向こう側」だ。
思い立ったが吉日、私は図書館で「ホームレス中学生」を借りてきて、「味の向こう側」が語られている箇所を読み込んだ。ふむふむ。白米だけでなく、パンでも何度も味の向こう側に行ったそうだ。ならば、私も大好きなパンでチャレンジしてみよう。
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前置きが随分長くなってしまった。こうして私は、ある昼下がり、リビングでフランスパンを前にして座っている。耳にはバイトスキャンを掛け、準備は万端だ。
憧れるのはやめましょう。
「さあ、行こうぜ!味の向こう側へ!!」
方法はいたって簡単。一口分のパンをひたすら噛む。その回数をバイトスキャンで計測するだけ!
私はアプリの「いただきます」のボタンをタップした。
パクパク。うまい。大好きなパンがどうなっていくのか、ドキドキワクワクだ。
そんな気持ちを祝ってくれるかのようにパンの甘味と塩味が口の中でシンフォニーを奏でてくれている。そして、徐々に、塩味は減り、甘みが増してきた。
30回も噛むと、パンはもう柔らかく小さくなってくる。飲み込み頃だ。でも、もちろん、飲み込むまい。噛み続けるのだ。
今更だけど、「咀嚼」というのは、食べ物を噛み砕いて唾液と混ぜ合わせて飲み込みやすい塊にすることだ。
「一口30回以上は噛みましょう」って、学校で習ったけど、こうやって意識して噛んでみると、ちょうど30回前後で味わいが増して、「飲み込み頃」に仕上がってくるのだ。正直、「30回って、多すぎでしょ」って思っていたけど、結構妥当な数字だったんだと思う。ためになるなぁ。
73回、甘味も減ってくる。同時に、口の中にみるみる唾液があふれ出てきて、パンがトロトロのペースト状になってしまった。柔らかい団子の誕生だ。
「ごっくん」
あれ?うわぁ、しまった、思わず、一部を飲み込んでしまった!ばか、ばか、ばかっ、私のばか!でも、まだ残ってるし、大丈夫。気を取り直す。ちょっと油断したらすぐ飲みこんでしまうから注意しなければ。
149回、パンの液状化が進んでくる。もう、香ばしいおかゆといった感じだろうか。ところどころ、パンの小さな残骸が残っていて、時折、その残骸に舌が触れると、パンの甘味を感じる。ささいな変化がたまらなく嬉しい。こんなことで幸せを感じられるなんて、私はなんてできた人間になったんだ。
チャチャチャチャッチャチャ~♪
おなじみのRPGゲームのレベルアップ音が頭の中で響く。
213回、あぁ、完全にパンが液体と化した。味もほぼ無くなってしまう。おかゆじゃなくて、その上澄み、重湯だ。
しかし、咀嚼だけでパンをこんなにも別ものに変えてしまうなんて……。感動ものだ。
278回、まるで口の中で宇宙遊泳して遊んでるみたいな感覚だ。
‥‥と、こんな余裕ぶれたのも、ここまでだった。
360回、噛みたくても噛むものが無い。液体を噛むなんて初めての経験だ。ひたすら顎を動かしてみる。途中、思わず、飲んでしまいたくなる。喉をぎゅっと閉じて嚥下反射を制御する。重力にも逆らおうと、少し背中を猫背にしたり、顔を突き出したりする。そんなことを小刻みに繰り返し、1人噛み続ける私。
今、この姿を見られたら、薄気味悪くて誰も近寄ってこないだろう……。という自覚はまあまあある。
味はなんの変化もないまま、時間だけが過ぎていく。永遠ってこういうことなのか。いつ変化が起きるのか。本当に味は現れるのか。田村さん、まさかウソついたんじゃねぇだろうなぁ、疑いがむくむくわいてくる。こんなことやって、何になるんだ……。もう、やめてしまおうか……。
いや、ここで負けちゃけない。
噛め、噛むんだ、ジョー!!!噛め、噛め、カメハメハー!!!
だめだ、脳が完全にバグってる。アプリには600回の数字が見える。601、602、603,604、605……、数字を目で追い、お経のように心の中で唱える。611、612、613、614、615……、噛むことだけに神経を集中する。もはや修行だ。
ふと、ぼんやり窓の外を見た。「ああ、空ってこんなに青かったんだなあ」。目を閉じると、今度は目の前に金色の麦畑が広がってきた。辺り一面、パンの香ばしい香りに囲まれている。美しい……。私は小麦色のワンピースを着て、麦畑の中を優雅に歩いていた。ここは天国か。あはははは。うふふふふ。
「は!」
やばい、妄想していた。もはや、修行を通り越して、悟りの境地だ。
780回、よかった、ちゃんと噛み続けられていたみたいだ。噛むリズムはもうかなりゆっくりだけど。
942回、もうすぐ1000回だ、がんばれ、オレ!口の中はもう、パンのおもかげはいっさいない。ここはどこ、あなたは誰……。
と、その時だ。
「あ、甘い!」
口の中にふわっと広がった独特の感覚に、思わず瞼を閉じた。
「すごい!これが味の向こう側なのか!」
未知との遭遇に脳内のドーパミンは炸裂し、私は躍り出していた。「ヒャッホーイ!」
やったー、やったー!一瞬だけど、甘かった。パンであったことを思い出す香ばしさだった。普段なら絶対、見逃していたわずかな味の変化。でも確かにキャッチしたぞ!これだ、これだ!これが味の向こう側に違いない!
私は、ゆっくり全てを飲み込んだ。ふうぅー。達成感と幸福感。なんと言えばいんだ。えっとね、ほら、マッチ売り少女がマッチの灯りで最後に見た光景があったでしょ、アレアレ!切なくも温かい灯が私の心にもぽっと宿ったよ!
アプリの「ごちそうさま」ボタンをタップする。
「食事時間19分8秒、1055bite」。
計測結果が表示された。一人旅で異国の地を回って帰ってきたかのような、怒涛の体験だった。
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私は残りのパンも同じように咀嚼して頂くことにした。もう、だいぶと慣れたものだ。味や食感の変化を楽しむ余裕が生まれている。気分を良くした私は、続けて、白米とゆで卵でもチャレンジし、無事、味の向こう側に行くことに成功した。
まず、白米を口にしたときなのだが、あまりのおいしさに驚愕した。
「え!白米ってこんなに甘かったっけ!」。
パンをさんざん噛んだことで、味覚が敏感になったのか。20回ほどで、穀物特有の甘さが増してきて、それだけでも十分おいしいのだが、30回を過ぎた頃、その甘味がピークに達した。「おはぎか!」と疑うほどの甘さだった。う、うまい。
その後、味は無くなり、パンの時と同様に、無味の行程をひたすらたどった。そして味の向こう側が訪れた!一瞬だったが、上品な和菓子のような風味がした。甘さと塩味が絡み合う深みのある味わいだった(咀嚼回数412回)。
白米だけでこんなに味があったなんて!そんなこともつゆ知らずに、これまでさっさと飲み込んでいた。ふりかけがないときは焼肉のタレまでかけて食べていたよ。白米を台無しにしていたよ。いや、白米だけじゃない。世の中には、そのままでも味わい深い食材がきっと溢れているはずだ。
そうして手にとったゆで卵にも、また驚かされた。
ゆで卵は、最初は黄身の味が優勢なのだが、次第に白身の味に変化する(そんな選手交代にも今では軽やかに気づいてしまう)。そして、無味の領域に入っていったのは110回あたり(溢れ出る唾液の量はフランスパンに引けを取らない勢いだった)。
やや劣勢になりながらも、無味の長いトンネルを抜けた先に現れたのは、なんとチーズ味だったのだ。ポテトチップスの濃厚チーズ味を思わせるその味わいが顎の下の方にぎゅーと広がって、笑みがこぼれた。(咀嚼回数623回)
ふははははは!!!
噛めば噛むほど、味に敏感になり、未知の味との遭遇に、もう感動しかない!!
どうしちゃったの私。味覚スイッチが完全に入って、センサーがフル稼働している感じ。今まで感じられなかった味の存在に、小躍りしてしまう。
最近は、白米を見るだけで早く噛みたくてうずうずしてくる。今日はどんな味になるんだろう?日によって微妙に違うから、想像するだけで楽しいのだ。
パンも今まではバターかジャムをお供にしていたけど、この頃は全然つけていない。「あ、味なら噛んで出せますから、結構っす。間に合ってます!」って心の中で丁重に断ってる。
買い物の時なんか、「これは噛めそうだ」とか、「これはちょっと歯ごたえが足りないかも」って選んでる自分に、びっくりする。
私はついつい思うつぼにはまっちゃうタイプだけど、今回の変化は間違いなく「味の向こう側」という極限を体験したからこそだと思う。そこで、同じようにチャレンジしたくなった人のために私なりの工夫や気づきをまとめてみたよ。
<味の向こう側に行くポイント>
・一口の量を見極める
少なすぎるとすぐ消えてしまうし、多すぎると飲み込んでしまう。バイトスキャンを使ってほどよい量を何度か試して見つけてみてね。
・バイトスキャンを使う
液化してから忍耐強く噛み続けられるかが、到達の分かれ道。そんな時に、咀嚼回数が目で確認できたのはものすごくモチベーションアップになった。カウントをバイトスキャンに任せることで、味の変化にも集中できるし、相棒がいるみたいで心強い(というか、バイトスキャンがなければ、とっくにやる気をなくしていたに違いない)。
ちなみに、バイトスキャンは家電レンタルサービス「レンティオ」で借りられる。2週間プランだと、味の向こう側に挑戦するのにちょうどよい期間だし、毎日装着すれば自分の咀嚼傾向もつかめてよいと思うよ。
・硬めの食材でチャレンジする
普段あまり噛んでいない早食いさんは、硬めのものからチャレンジしてみて。フランスパンは味がシンプルで噛み応えがあるのでおすすめ。白米もいいけど、結構柔らかいので、慣れるまでコツがいるかも。まずは、パンか白米で到達して、その後他の食材と比較するとより楽しめそう。
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実は、味の向こう側を何度も体験したあの日、胃のあたりがすごく軽かった。これまで胃に負担をかけていたことにさえ無自覚だったなんて、ごめんよ、私の胃。大腸も妙に活発に活動していたようで、翌日までプスプス、プスプス、ガスもよく出た。まさか、噛んだら便秘まで解消してくれるのだろうか。なんだか体にとってもよいことをしてあげられた気がして、優しい気持ちになった。
いい意味で、食欲もわいてこなかった。たくさんの変化を経てきた口の中は、「もう十分だから、何もいれるなよ」って牽制してくるし、頭の中は、「たくさん食べたね、お疲れさまでした」と、食事終了のアナウンスを流してくるのだ。
そんなもんだから、この日は腹八分目の食事で十分で、間食する気も全く起こらず、瞬間的だけど1キロ減量した。
ダイエットしたかったら、四の五の言わず、噛め。これはきっと真理だ。お腹がすいて食べたくなったら、とにかく、噛めばいい!
こうして、私の味覚の新たな扉が開かれ、胃の負担は軽減するわ、体重コントロールはできるわで、咀嚼するたびに、ニヤニヤが止まらなくなっている。
ああ、みんなにも体験してもらいたい。
令和版・味の向こう側。
※体験した方がいたら、ぜひ感想を教えてください!
(語り合いたい)
書いた人:薫
・レンタルはこちらから