そうだ 京都、行こう。
1年半ほど前、京都によく来ていた。
県を跨いで恋愛していた私は、京都は彼に会いに行く場所。
京都駅ではなく、ローカル線の小さな、でも便利のいい駅が彼の最寄り駅だった。
仕事終わりに京都へ向かい、ヘトヘトな私を彼はいつも改札の向こうで飲み物を持って待っていてくれる。
私は駅で待つ彼が大好きで仕方がなかった。
休みの日には一緒によく鴨川へ行った。
近くのマクドをテイクアウトして鴨川の縁にふたり座りピクニック。
このまま時間が止まればいいのに、と私はいつも思っていた。
彼とはよくFrescoに買い物をしに行ってた。私の住む地域にはFrescoが無いから新鮮で、しかも彼とお買い物をしているというフィルターがかかり、私はその時間を愛でていた。
真夏の暑さでグワングワンと歪む彼のアパート近くの横断歩道。
買い物袋を持つ彼の、もう一つの手が私を引く。ずっとこのままで、手を離してほしくないと心の底から思っていた。
凍てつく寒さの京都では雪が降った。
嬉しくなって夜中に彼とふたりで外に出る。彼の大き過ぎるジャケットを私は肩に引っ掛けて、「雪やん!!」 ってはしゃいだ。
彼は雪がシンシンと降る京都の真ん中で、私にキスをした。
彼の誕生日。京都の予約が取りにくいお寿司屋さんに連れて行った。彼に喜んで欲しかった。
だけど、彼の誕生日なのに、美味しいお寿司を食べたのに、私達は京都のど真ん中で喧嘩をした。
小さいちいさい、どうでもいいようなことで喧嘩をした。
それからして間もなく、私達は終わった。
彼と最後の日。
彼の最寄り駅の改札でニコリともせずに手を振る彼。私がずっと持っていた合鍵は彼の手元に戻った。私は涙が止まらなかった。
さようなら。彼も京都も。
それからポッキリ、私は京都には寄り付かなくなった。
「京都」と聞くだけで、
あの鴨川が、彼の最寄り駅が、あのお寿司屋さんが、あの暑さで歪んだ横断歩道が、そして雪の中でキスした感覚が、
全部、鮮明に呼び起こされる。
まだ5月だと言うのに蒸し返す京都。
京都タワーと駅前に新しく出来たであろうホテルが私を出迎えた。
京都に来るのはおよそ1年半ぶり。たった1年半なのに、街は様子が違う。
360度見渡しても外国人だらけ。
あの時と様子が違うのは京都の街だけでなかった。
私の横にいる男性も違うのだ。
京都駅近辺を見渡すとトクントクンと首の太い脈が波打つ。
私の脳みそはまだ、あの時の京都をしっかり覚えている。
鴨川の水がこんなに清らかなんて思ったことがなかった。トロトロしているように見える。
私はまた鴨川の縁を歩いている。違う男性に手を引かれながら。
この世の中にはたくさん男の人がいて、それぞれ色んな所に住んでいるのに、なんで私はまた京都で男性と手を繋いでいるのだろうか。
私はそこら辺に落ちている京都での思い出を知らずのうちに勝手に拾っては、胸がいっぱいになっていた。
過去の京都のフラッシュバックが私の鼻先をツンとさせる。
「あの交差点」にでる。あまりにも詳しくなってしまった「あの交差点」だ。
私はよく交差点の角のカフェを見ていた。
海外の粋なカフェみたいな雰囲気で、私は入りたかったのに入りたいと言えなかった。「コンビニでコーヒー買えばいいじゃん」って言われると分かっていたから。前は。
でも、今回は言えた。
私はそこで美味しいアイスコーヒーを買ってもらった。嬉しかった。
私はずっと京都の繁華街にあるペットショップに入りたかった。だけど入りたいって言えなかった。「飼えないんだから見たって仕方ない」って言われるの分かってたから。前はね。
でも今回は言えた。
私は店内で大好きなティーカップ プードルを抱かせて貰った。すると彼も「かわいいね」ってプードルの頭をそっと撫でていた。嬉しかった。
帰る時間になると駅まで送ってくれた。
私はバイバイのキスが欲しかった。
だけど言えなかった。「人前でそんなのするわけないじゃん」って言われるの分かっていたから。前までは、だよ。
でも今回は言えた。「バイバイしたら寂しくなるやんっ」って。そしたら彼はそっと頬にキスしてくれた。嬉しかった。
「前の京都の人」と付き合っていた時はまだコロナ禍で、外国人は少なかった。
街も電車もバスも観光地も驚くほどに空いていた。今では観光客で大盛りあがりだ。
京都は変わってしまったと思ったけど、いや、実は京都は元に戻ったんじゃないかって。これを書きながらそう思った。
そして本当のところ変わったのは、私かもしれない。
彼のことが大好きだったから自分を殺して彼に嫌われないように、怒られないように我慢していた。
彼にとってずっとイイ女でいたかった。
彼にどうしたら私からの愛が伝わるのか、そればかり考えていた。
今の私じゃあダメだって、もっと彼のために頑張らなきゃって、頼まれてもいないのに勝手に自分を追い込んで苦しくなっていた。
京都を今まで避け続けていたのは、
そんな痛ましい自分を知っていたから。愛するのと同じ分量、涙したのを覚えているから。
なのかな。
今は、とてつもなく「自分」でいられる。
京都にいても、どこにいても、彼となら。
そうだ 京都、いこう。
私はまた「京都の男」に恋をした。
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