「『気づき』のある暮らし」/《カメラゲーム》
自然の本当の姿を見たことはあるだろうか。
あなたが見ているものは本物だろうか。本当の色をしているだろうか。
あなたが見ているものは、本当の姿ではなく、あなたの心が見せているものなのかもしれない。
何も思い浮かんでいない心、裸の心になることは、難しい。と言うよりも心は、ころころと姿を変える。周りの自然もその度に違って見えている。心が忙しくコロコロと動いている時には、あなたは周りの自然に気づきもしない。自然はあなたの周りからその姿を消してしまう。
心は先入観となってあなたに自然を見せている。先入観を持たずに自然を見るということが、出来ない。やっかいなことに、その先入観は、自分の利益を優先してしまう心とつながっている。そして、自然と私がひとつになることの妨げになってしまう。
いつも心が先にあって、周りを見てしまう。
自然が先にあって「見る」ことが出来たとき、初めて心が直接、自然を感じることが出来る。
まるで禅問答のような前置き。
桜がたくさんのきれいな花をつけている。
「桜」が「たくさん」の「きれいな」「花」をつけている。
目の前にあるサクラを私の先入観が見ている。だから、花が散ってしばらくすると、「虫に喰われた葉が多い、虫がたくさんついていそうな」桜になる。自分の記憶が大方作り出した姿の桜になる。春には、あんなに特別だった木が、気にも留まらない木になる。そもそも、ろくに見もしないうちに「桜」という名前が頭に浮かび、その時点で先入観の固まりとしての「桜」が目の前にあることになる。
その木の幹に手も触れもせずに、その葉の香りも嗅ぎもせず、ましてやその木に一歩も近づいてもいないのに。
先入観を持たずにものを見ることなんて出来やしないじゃないか。そうかもしれない。でも、出来ていた頃もあるはずだ。知識なんてなかった頃に。経験なんて物がほとんどなかった頃に。生まれたばかりのあなたは、何も知らずに全てのものを見ていたはずだ。その頃、周囲の自然はどのように見えていたのだろう。
よちよちとやっと自分の足で歩き始めた頃に近い感じで自然を見ることが出来る。すでにたくさんの知識や経験を持ってしまっているあなただから、完全には同じようには出来ないかもしれないが。その方法は、あなたの知識が動き始めるまでの、ほんの一瞬だけだけれど、裸の心に自然の姿を見せてくれる。
想像してみてください。あなたは目を閉じている。
そして、隣りにいる人の肩に手を載せ、その人の案内で「何か」を見に行く。何を見せてくれるのかは、隣りにいる人だけが知っている。あなたは、何も知らない。
何を見せられるのか、あなたは、少しドキドキしている。
耳には、小鳥の声が聞こえている。
頬で感じるのは、朝の少し冷たい空気。
さあ、その「何か」の前に来たようだ。
案内してくれた人が、あなたの肩をポンと叩く。
その瞬間に、あなたは目を開ける・・・
緑だ!
なんて、緑だ!
尖っている!
薄い毛がたくさん生えている。
その上に、・・水玉!
なんて透き通っているんだ!
その中に、何かが映っているっ!
その時、また、ポンと肩を叩かれる。
あなたは、目を閉じる。目を開けていたのは、ほんの数秒。
心の中に、透き通った水玉が残る。
何かが映っていた・・青い・・青空だ!雲も、白い、雲も映ってた!
あれは葉っぱだ、あんなに毛が生えて、その絨毯の上に転がるように、水玉が・・・。
そんなことを考えているうちに、また次の「何か」のところに着いたようだ。
今度は、しゃがんで、地面に両手をつく。
ポン、と肩を叩かれる・・・目を開ける。
わあっ!
水玉が、いっぱい!
水玉の・・、固まりだっ!
水玉が、球になってる!
いっぱい、の水玉に、・・みんな何か映ってる・・
また、ポン、と肩を叩かれて目を閉じる。
あれは・・・
タンポポの綿毛だ!
綿毛の先に水玉がたくさん付いていたんだ。なんて、綺麗なんだ!
水玉のひとつひとつにみんな何か映っていた。
でも何が映っていたのか、たくさんありすぎてわからない。
あんなふうに足下にあったんだ。
水玉の、球。なんて。
また、立ち止まる。今度は、なんだ?
顔を上へ向けられる。
ポン、と肩を叩かれる・・・目を開ける。
青い!
白い!
オレンジ!
空だ!
雲だ!
朝陽に照らされている!
空が、青い!
ポン、と肩を叩かれる。
なんだかオレンジ色の雲が美味しそうだった。
白くふわふわで美味しそうだった。
・・・・・、!
水玉に映っていたのは、あの空だったんだ。
目を開けて、周りを見てみよう。
心の目を開けて。
周りは、一面に朝露が降りている。数限りない水玉に覆われている。
輝いている。
何もかも水玉を身につけてキラキラと輝いて、そしてそれぞれが、お互いを映して光っている。
きっとその中には、自分も映っている。まわりの自然と一緒に。
青い空にはオレンジ色の雲。
ありとあらゆるものが朝陽を受けている。そして、自分も朝陽を浴びている。
陽を温かく感じている。
自分も水玉を付けた周りと同じように光っているのだろうか。
私を案内してくれた隣の人が微笑んでいる。
私と同じ物を見て、微笑んでいる。
その人の頬にも、陽が当たっている。
その人も、暖かく輝いている。
いつでも裸の心で、見ることができたなら・・・。
目を開いた瞬間に、直接、心に飛び込んで来る自然。その姿は、色が鮮やかで、光をまぶしく感じる。先入観のフィルターを通さない自然、本当の自然は、色鮮やかで光にあふれている。そして、驚きに満ちている。