アジカン精神分析的レビュー『ホームタウン』/当たり前を更新する
9thアルバム『ホームタウン』(2018.12.05)
ベストアルバム『BEST HIT AKG 2』など、メジャーデビュー15周年アイテムを経てリリースされた本作。元々は先行シングルのバリエーションの多さもあり、様々なジャンルの楽曲を揃えたその名も『プレイリスト』というタイトルでアルバム制作が行われていた。しかし、シングル「荒野を歩け」や憧れのリヴァース・クオモ(Weezer)からの提供曲を受けて気持ちが変化し、アジカンが得意とする"パワーポップ"へ傾倒し、本作は完成へと至った。
アジカンがバンド初期から持ち味としてきた、パワフルなギターサウンドにポップなメロディが特徴的なパワーポップ。『サーフ ブンガク カマクラ』以来にこのジャンルと向き合い、原点回帰を彷彿とさせる『ホームタウン』という題をつけてはいるが、サウンドメイクは斬新であり、新たなアジカンを提示するものになっている。当たり前のようにアジカンであると同時に、その当たり前を更新する気概を持った本作。充実の1枚を紐解いていく。
他者を通して自分を知る
このアルバムは10曲入りの『ホームタウン』と5曲入りの『Can't Sleep EP』で構成され、それぞれ多くの提供曲が収録されている。先述の通り、Weezerのリヴァースをはじめ、盟友であるストレイテナーのホリエアツシ、後輩にあたるTHE CHARM PARKなどとても幅広い。メンバーが作ったわけではない楽曲たちをアジカンで演奏することによって、むしろアジカンらしさが浮かび上がるという、逆説的な手法がこのアルバムに新たな風を吹かせている。
リヴァースによる提供曲「クロックワーク」は『ホームタウン』の1曲目を飾る。惜しみないリスペクトを捧げてきたWeezerと混ざり合った楽曲がオープニングトラックに選んだ点が興味深い。バンドに多大なる影響を与え、憧れを寄せてきた存在と混ざり合うのは、これが結成初期であれば単純な同一化欲求や“親の七光”を具現化したものとみなされたはず。しかしこの時期、アジカンは憧れた他者を通し、アジカンという自己を誇ろうとしている。
精神分析家コフートは人間の一生を自己愛の成熟の過程と考えた。そして健全な自己愛の成熟で重要なのは自分の一部として感じられるような他者(「自己─対象」と呼ばれる)との関係であると考えた。アジカンが同胞意識を抱く「自己ー対象」たちのメロディを自分たちのアルバムに取り込んだ姿勢はアジカンが歩んできた歴史を肯定する自己愛の現れだ。『Wonder Future』で"父なるロック"と接続したのとはまた違う形で大義を果たすアルバムだ。
慣習へ挑戦を突きつける
このアルバムで特に後藤正文(Vo/Gt)がこだわったのはその音のクオリティである。国内のバンドミュージックでは例を見ないほどに低音が強調されており、その豊潤な音像はずっしりとした聴きごたえを与えている。自身のプライベートスタジオにて研究を重ねた末に手にしたこの斬新なサウンドメイクは、"普通だったらここまではやらない"というレベルで常識を覆していくアプローチだったと言える。慣習へと挑戦を突きつけるような録音なのだ。
さて歌詞はというと、こちらも"慣習へ挑戦を突きつける"と形容するに相応しい内容だ。『Wonder Future』にあった警鐘のような言葉遣いは控え目だが、視野は広く時代を切り取る言葉が並ぶ。そのどれもが世に当たり前のようにまかり通っている諦念や息苦しさを看破し、"常識"だと思い込まされていることに対して疑義を呈するような、豊かな視座が一貫してそこにある。
新自由主義の台頭以降、"伝統だから伝統である"というような、何も説明が成立していない伝統主義を根拠としたシステムが横行するのが現代社会だ。樫村愛子は「伝統的同一性」という言葉を用いて、理由なき原理主義への疑問を呈していた(※1)。そちらのほうが都合よくシステムが揺るがない、という無意識の幻想によって生き辛さを抱える人が多い現代社会の閉塞感を『ホームタウン』は静かに解体する。慣習的なサウンドを壊し新たなサウンドを手に入れた『ホームタウン』だからこそ導かれたメッセージかもしれない。
アジカンを誇るということ
後藤は"アジカンという病"という言葉を用いて、『ホームタウン』のサウンドを形容する。ここまでの記載からも分かることだが、当然この言い回しにネガティブな要素はない。アジカンであることから脱せない、ということが足枷のように感じてきた瞬間があったことはその歴史を振り返れば明らかだ。しかし『ソルファ(2016)』でその歩みを肯定した後、このアルバムにおいて遂に"アジカンであり続けること"を誇るようになったと言えるだろう。
精神科医/批評家の斎藤環は著書『自傷的自己愛の精神分析』内で「成熟した自己愛を構成する要素には(中略)自己肯定感のみならず、自己批判、自己嫌悪、プライド、自己処罰といったさまざまな要素が含まれます。」と述べている。その意味で、アジカンが達したこの境地はまさに成熟した自己愛そのものと言える。《この世のエッジ》であっても、《荒野に独りで立って》いても、決して消費されたり、侵されたりせず、どこまでも歩いていけるようなアジカンのありのままがこの『ホームタウン』で完成したと言える。
そしてこのアルバムにはエンパワメントが満ちている。同じ時代、同じ社会に生きている多くの人を包み込んでいく言葉たちだ。そしてそんなメッセージは同時に、アジカン自身を鼓舞しているように思う。これも成熟した自己愛の先にある姿勢だ。アルバムの最後を飾る「ボーイズ&ガールズ」はその結晶だ。何もない、だからこそいつだって何かを始めることができる。これだけの楽曲を作り届けてくれたバンドが今一度まっさらな状態で始まろうとしていること。アジカンが、アジカンであることを誇る境地がここにある。
アジカンがアジカンらしさを愛しながら、故郷のようなサウンドへと進化しながら回帰した場所。そして我々にとっても安心できる場所として『ホームタウン』という名前が与えられた。アジカンの精神的な健康はもはや揺るぎないものになった。しかし、そんな折に世界を襲った伝染病。変わり果てた世界でアジカンは何を表現したのか。次回、アルバムレビュー最終回。
次回→10thアルバム『プラネットフォークス』(12月半ば更新予定)
(※1)樫村愛子「ネオリベラリズムの精神分析」
【これまでのアジカン精神分析レビュー】
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