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戻れないけど消せもしない/Base Ball Bear『天使だったじゃないか』【ディスクレビュー】

子どもが生まれてから生活は変わった。粉ミルクを溶かす時間がルーティーンに組み込まれ、泣き叫べばオムツを変え、それでも泣き続けるならば抱っこする。当たり前のことだが、妻とともに育児に向き合う日々は去年までの自分とは全く違う。しかし買い物に行ったり、出勤したりする時にはいつも1人。そんな時、慣れ親しんだ音楽を聴けば自分が我が子の親になったという事実と同時に、今までと変わらない自分もまたここに居続けているという事実に気付くのだ。

Base Ball Bearが2月28日にリリースした10年ぶり通算4枚目のミニアルバム『天使だったじゃないか』はそんな今の自分の心境にフィットしすぎてしばし冷静ではいられなかった。この6曲、この20分間を何度も噛み締める中で少しずつ浮かんできた言葉を整理し書いてみようと思う。


ノスタルジーに抗わない

1曲目「ランドリー」は冒頭から柔和な歌メロが降り注ぎ温かな印象で幕を開ける。しかし描かれる事象はややビター。"真夜中のコインランドリーでシロクマの動画を観ている"という時間の中で、膨らんでいく過去の記憶。アルバムタイトルである《天使だったじゃないか》とはこの曲の歌詞のフレーズであり、思いを寄せていた相手なのか、自分の心に向けてなのかは定かではないが、もう戻れない季節への溜息のように響く。ワンシーンの中でこんこんと感傷が募っていくのだ。

先行配信された5曲目「夕日、刺さる部屋」も質感は近い。夕日に照らされた部屋で《ぶっ壊れたタイムマシン》と形容される何か(思い出の品や写真だろうか)を見つめる1コマの中で、次々と過去がめくれ上がっていく1曲だ。4曲目「Late Show」も、"ひとり"と"ふたり"で歩く映画館の帰り道の情景を重ねながら、まさにイ・チャンドンの映画「ペパーミント・キャンディー」よろしく、記憶の奥底に眠っている決して忘れたくなかった景色が脳裏に去来する切なさを描いている。


常に数年先を想い、言葉においても音においても今と未来を生き続けている近年のベボベからすれば本作の分厚くキラキラとしたゼロ年代の幻のようなギターサウンドにしても、これほど明確に過去を眼差した歌詞にしてもかなり新鮮に思える。しかし、バンドが20周年を迎え、もうすぐ40代に差し掛かろうとする年齢において過去を想わずにいるというのも難しい話だ。特に前作『DIARY KEY』で""をテーマにしたことも影響しているように思う。人生を振り返る折が来たのだろう。

とはいえ、どの曲もノスタルジーに浸りきりなわけではない。「ランドリー」は《明日も世界がまわるから》と締めくくられ、「夕日、刺さる部屋」も《Never going back》と言い聞かせ終わる。そして「Late Show」は朝へと向かってゆく歌だ。生き続ければ、いつかノスタルジーは立ち現れる。切ないし悲しいが、拒みようのない感情とも言える。ならば抗わずにそれを見つめた上で今という時間を進める。その受容を描こうと決めた姿勢にこそ、バンドの成熟を感じるのだ。



過去の先にしか現在はない

3曲目「Thousand Chords Wonders」は青春の心象描写に徹する曲だ。前半は捻くれた目線が展開されるが、中盤でそれらの描写を《みたいなマインドも/全部声も背も骨格も全部/世界のデザインすべて嫌いで》と突如拒む。そして真っ直ぐに君を想う気持ちへシフトし、音楽を生み出す根源について歌う。今までの小出祐介ならば黒い気持ちを抱えたまま歌い切っていたと思うが、この曲では芽生えた本当の気持ちを晒け出して無防備な純心を吐き出す。かつてない境地と言える。

アルバムのラストを飾る「Power (Pop) Of Love」は本作で屈指のアッパーな楽曲であり高揚感に身を任せた激しいサウンドだが、歌っていることはコミュニケーションの愛おしさについてだ。SNSなどに載せることで希釈され、エンタメ化されて(して)しまいがちな大切な感情を自分の元に引き戻すためのヒントが散りばめられている。ロマンチックな形容詞で対象を崇めるのではなく小説の感想を共有するような丹念な交感によって紡がれた関係性がこの曲には描かれている。

この曲は終盤にまるで小沢健二「愛し愛されて生きるのさ」のような関根史織(Ba/Cho)によるポエトリーリーディングが差し込まれる。その後で、初期から用いられてきた《夏い》という表現も登場する。過去の表現をリブートした上で、新たな表現も導入するこのスタンス。かつてベボベが描いてきた刹那的なときめきの先で、言葉、工夫、思慮を尽くすことでさらに激しく真摯な想いを歌う。年を重ねて熱を失うどころか更に燃え上がるハートがあることを教えてくれる1曲だ。


時に人は過去を黒歴史と呼び、封じ込めてしまう。今の姿を立派で見事なものとして見せるにはその方が都合良いからだ。しかしベボベはこの2曲でそれをしなかった。過去のねじれを巻き戻し、過去の表現を今の感情へと引き寄せる。どれほど大人になってもかつてあった自分は消えず、過去の延長上にしか今はない。私自身、これからもっと生活が変わっていく中でも、きっと消えない(消せない)私があると伝えてくれたような気がしたし、ずっと貪欲に生きられるはずと思えた。


天使は最適化させない

全6曲のうち2曲目「_FREE_」はやや趣向の異なる楽曲に思う。SNSへの愛憎を描いたという点では「「それって、for 誰?」part.3」的な意匠を持ちつつ、言葉を扱うことや想像/創造を行う表現活動そのものを歌った楽曲にも聴こえる。《君の心を創造できるのは君だけ》、《「心を想像できるのは自分だけ」》というメッセージは他者の目線や評価を気にせざるを得ない現代人、そして同じく表現者として活動している同時代のクリエイターたちにも深く刺さり得ることだろう。


ライター南場一海と行っているポッドキャスト「こんプロラジオ」の上記回にて“「分かりやすい」を疑っていかないとロック的なものは廃れる。“と語っていた小出だが、彼のスタンスは本作で強く提示されている。現在のシーンにおいて機動力の高い音楽がヒットを飛ばし、クリエイターもトレンドに向けた明快な楽曲を作り続けている状況はここ最近で更に加速している。他者のニーズに最適化した、余白のない分かりやすい解を持った作品が多い現状が蔓延っていると言える。


上記「こんプロラジオ」内で語っている通り、本作では音像を揃えてルーツたるギターポップを向き合い、シーン内で誰もやっていないサウンドを志向した。情報過多の時代に逆行するシンプルさと、説明過剰でない豊かな詩情。音楽が本来持っていたはずの未知なる衝撃や得も言われぬ感動を呼び覚ます、“最適化”などされないロックバンドらしい“揺らぎ”を持った作品だ。人間の想像力を刺激し、思考する喜びに導けるのが音楽であると信じるバンドだからこそ作ることができた。


至上の喜びや感動という聖なるフィーリングと、自らを繋げてくれる音楽(および優れた表現物)は、神と人を繋ぐ天使のような存在だろう。ならば本作の題である『天使だったじゃないか』は、現代における“最適化”されたポップカルチャーへの憤りを吐き出した言葉のようにも思える。音楽が天使にしか見えなかったかつてのシーンへのリスペクトと、現代において面白いと思える歪なアプローチを交差し音楽への信仰を取り戻す。そんなテーマが見え隠れするタイトルに思うのだ。



私は今、自分の太ももで娘を寝かせながらスマホでこの記事を書き終わろうとしている。内容の半分ほどは娘を抱っこしながら考え、娘が寝ている隙や仕事の休憩時間に打ち込んだ文章だ。私にとってこれからの生活に必要なポップカルチャーとは、そうまでして感想を書き残し、その素晴らしさを伝えたいと思える歪で美しいものだけだ。ベボベは懐かしさの中に新しい世界を、最新形の中にかつて自分を見つけ出せるこの時代のクォーター~ミドルエイジに沁み渡る新作を届けてくれた。今年出会うあらゆる表現の基準になり得る、自分にとって特別で大切な愛しさが溢れている。


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