ハイバイ「て」「夫婦」(2018)
岩井秀人が主宰する劇団・ハイバイの作品がインターネット上で期間限定で配信されている。6月は「て」と「夫婦」という2作品が6/30まで配信中。どちらも、岩井氏本人の体験した実話をベースとした家族の物語である。
岩井氏の経歴、wikipediaをちら見するだけでも胃痛がしてきて深く知ろうとしてこなかったのだけど、この2作品を観ると否応なしに彼の置かれてきた環境を知ることが出来るし、私演劇と称される岩井氏の戯曲、およびハイバイの作品群の入り口に立つうえで必須な2作品であることは間違いない。
「て」は2008年の初演以来、何度も再演されている劇団の代表作。祖母の認知症を機にして一堂に会した家族たちのお話。家族構成や関係性など、岩井氏の実際の家族(祖母、父、母、姉、兄、妹)と完全に一致にしており、物語中に出てくる教会やぶっ飛んだ神父なども実在するとのこと。ある仕掛けを通して、2つの角度から家族の姿を描き出していく1時間45分の作品。
猪股俊明演じる"父"、この登場人物がまぁ、凄くて。観てる側は眉間に皺を寄せ、そしてなんか笑っちゃう。笑わないと、息が詰まる。こういう理不尽さ、こういうヤバさ、っていう風に分かりやすく書ければいいのだけど、そうはさせてくれない複雑で入り組んだ思考回路を持っている人物から、こうやって1本の演劇が出来上がってしまう。ここまで時間を掛けないと伝えられない父、そしてここまで時間を掛けて父を伝えたい岩井秀人。その苦痛は想像することしかできないが、結果としてその父を描いた作品がハイバイの名を広めたのだから、、と更に唸ってしまう。あまりにも、抗えない存在。
圧倒的に個人の話だし、こういうどぎついシチュエーションって結構好きなので正直だいぶ笑いながら観た(しっかりと喜劇としても観れる台詞回しもしてあるし)のだけど、時折ズキっとなったり、不意にウゲってなったりするの、この話に普遍性があるという話ではなく、絶対に自分の話として捉えさせてくる作品の強烈なインパクトと説得力ゆえだと思う。自分には姉なんていないのに、劇中で姉が「みんなでカラオケを歌うこと」に執着する姿は見ていられないくらい痛々しく思えた。自分も、家族でカラオケに行こうとするのを異様に拒絶したのを思い出す。ここまでの家族の業はまるでないはずなのに、なぜだろう、と思い返してしまった。行けば良かったのかなとか。
「て」は終わり方がとても好きだった。もどかしさ、やりきれなさ、どっちらけながらも、1つのメロディを口ずさみ暴れる。無茶苦茶で美しかった。
「夫婦」は2016年に初演された、岩井氏の父が死去したことを契機に作られた作品。大学病院の消化器外科医だった岩井氏の父が、肺を患い亡くなる、その周辺感情と家族の歴史が入り乱れながら紡がれる2時間。本作は家族の役名がそのまま岩井氏の家族となっており、ノンフィクション度は高い。
こちらは「て」を凌ぐリアルな触感を持った物語で。父が死に、その医療体制に疑問を呈して家族が一丸となっていくパートと、父が家族に振るっていた暴力を描くパートを、混ぜ合わせながら進んでいくわけだから感情の置き場が不明になりそうになる。主治医を糾弾するシーンと、父親を殺そうとしていた幼少期の回想が1つの舞台上で同じ時間にある、この入り組んだ感情が、無秩序な舞台装置の上で蠢いている。私小説ならぬ私演劇と称される岩井氏の作品群だが、事実だけを書き連ねるわけではなく、こうした舞台上でしか出来ない表現を突き詰め、未体験の感覚へと引っ張って行ってくれる。
本作では岩井氏自身が"父"を演じている。父のようになるまいと強く思い生活を送りながらも、自分と父を重ねるような手法で作品を完成させたのだ。自身で「自傷行為」と称したこともあるこの作劇手法、「何をやっているんだろう」と思いながら父を演じる営み。対象化することによって客観視することなく、その渦中へと飛び込んで、あの苦しみ、あの痛みを確かめ直すような。これは治療?いやむしろ抉ってる。それとも逃避?いや向き合ってるよ。一般的な考えだと逆だとされることを岩井氏は自分のライフワークとして受容している。本当に凄まじい精神の表現者だし、サバイバーだと思う。
自分も外科医ではないけど医者の端くれなので、シチュエーションとして実感するリアリティも存分にあって。そして自分も襟を正し直すというか、ピリッとする場面も多かった。本当に、丁寧に細部まで描かれている物語だ。
精神科の分野で重要視されるのが家族歴や生育環境であり、その時点で決定づけられる人格や本質というのがある。それをどうにかこうにかやって社会に馴染ませていく人もいれば、どうにもできずに爆発してしまう人もいるというのが現実である。岩井氏の場合はその2つを両立させていると言えるのではなかろうか。岩井氏の素の立ち振る舞いを見る限り、そんな人生の背景は見えてこないので最初は戸惑いもあるのだが、人とはつまりそういうものなのだろう。誰もが誰にも言えずに抱える物語がある。それを可視化し、優れた芸術に昇華する岩井氏の生き様はただ生き延びるだけで精一杯な今の時代の1つの解答なのかもしれない。誰もが真似できることではないけれど。