マハーバーラタ/6-29.ビーシュマ~全てを焼き尽くす炎~

6-29.ビーシュマ~全てを焼き尽くす炎~

九日目の朝がやってきた。

ドゥルヨーダナは祖父ビーシュマが全力で戦うと約束したことを思い出し、興奮して弟ドゥッシャーサナに話しかけた。
「ドゥッシャーサナ。
今日私達は勝利する。間違いない。ずっと願っていたことをビーシュマが叶えてくれるんだ。
その為に私達がすべきこと、今日の最も重要な仕事はビーシュマを守ることだ。
常にビーシュマを取り囲んで守るように我が軍の英雄たちに指示しなさい。
彼はシカンディーとだけは戦いたくないと言っていた。
敵軍の隊列を見たところ、アルジュナがシカンディーを守っているようだ。
あの二人の動きには特に注意するんだ」

一方、パーンダヴァ軍の陣ではアルジュナが総司令官ドゥリシュタデュムナに話しかけていた。
「シカンディーがビーシュマに向かって進むよう指示してくれ。私が彼を守る」

ビーシュマがこの日指示したのはサルヴァトーバッドラヴューハ(全方位安全の陣形)であった。
ビーシュマ自身はこれまで通り前方に位置し、クリパクリタヴァルマーシャクニジャヤドラタ、カンボージャ、ドゥリタラーシュトラの息子達によって守られた。そして膨大な数のトリガルタ軍が陣形を形作った。

パーンダヴァ軍もまた同じように強固な陣形を敷いた。
前線にはユディシュティラビーマナクラサハデーヴァドラウパディーの息子達が配置され、その背後にはアビマンニュドゥルパダ、ケーカヤ兄弟が配置された。

戦いが始まった。
最初に敵軍に切り込んでいったのがアルジュナの息子アビマンニュであった。
彗星のごとく敵陣を破って入り込み、ドゥルヨーダナの軍を全滅させる勢いで攻撃した。彼の黄金色の弓は常に円形に曲げられ絶え間なく矢が放たれた。彼の腕と胸は金の宝石で輝き、顔の周りに光輪を作っていた。
ドローナアシュヴァッターマー、クリパ、ジャヤドラタでさえも彼の攻撃を食い止めることができなかった。
まるでアルジュナがもう一人いるかのようであった。

劣勢となっている様子を見たドゥルヨーダナはアランブシャを呼んだ。
「あそこにアルジュナの息子アビマンニュが見えるだろう。
お前の得意技であいつと戦ってこい!」

その頃、ドラウパディーの息子達がアビマンニュに追いついていた。
彼ら六人は向かってくるラークシャサ、アランブシャと戦い始めた。

正攻法では勝てないと悟ったアランブシャはマーヤーの術を使った。
突如戦場を暗闇が覆った。

アビマンニュはそれに対抗してスーリヤアストラを放った。そのアストラは戦場を太陽のごとく照らし、暗闇を追い払った。
パーンダヴァ軍の戦士たちはアルジュナの若き息子の武勇に歓声を上げた。
戦意を喪失したアランブシャは戦闘馬車を捨てて逃げ出した。

アビマンニュが次に戦ったのはビーシュマであった。
ビーシュマの猛攻撃に対して全く怯むことなく戦い続けた。

アビマンニュにはアルジュナが加勢し、ビーシュマの周りにはドゥルヨーダナの息子達が取り囲んで守った。
さらに他の戦士達も加勢しようと向かって行った。

サーテャキがクリパに決闘を挑んだ。
クリパはサーテャキの力に耐えることができずに戦闘馬車の中で倒れた。

それを見たクリパの甥アシュヴァッターマーが救出にやってきた。
サーテャキは彼とも戦い、弓を折ることに成功した。
アシュヴァッターマーは弓を替え、山をも切り裂く力強い矢を放った。
その矢によってサーテャキは一度気を失ったが、再び勢いよく戦い始めた。
彼の勢いはすさまじく、アシュヴァッターマーは劣勢になった。

今度はアシュヴァッターマーの父ドローナが助けにやってきて、サーテャキと決闘を始めた。
この二人の戦いはまるで水星と金星が衝突したかのようであった。

サーテャキに協力する為にアルジュナが駆け付けた。
アルジュナにとってドローナは父親よりも愛しい先生であったが、その思いを振り払って激しく戦った。
ドローナの目には弟子を思う涙が浮かんでいた。
アルジュナが自らの選んだ役割とクシャットリヤのダルマを心の中で呪った。
彼はヴァーヤッヴャアストラを放ち、強風でカウラヴァ軍に恐怖を与えた。
ドローナはシャイラアストラを放ってその強風を静めた。
彼は弟子アルジュナに微笑んで言った。
「アルジュナよ。私はこうしなければならないのだ」
アルジュナは微笑み返した。
「はい、分かります。あなたはそうしなければならないのだと、私は分かっています」

アルジュナはトリガルタ達に挑まれた。
その挑戦を拒むことはできず、アルジュナはトリガルタの大軍と戦うことを余儀なくされた。

アルジュナ以外のパーンダヴァ兄弟はビーシュマに立ち向かっていた。
ビーシュマはユディシュティラを狙って攻撃していた。
ビーマが鎚矛を持ってビーシュマに打ち付けようと近づいた。

その時ビーマの目の前に半狂乱の象たちが割って入った。
それはドゥルヨーダナの作戦であった。
ビーマは象を見ると攻撃したくなる癖があった。
ドゥルヨーダナの象はビーマを惹きつけ、ビーシュマの近くから離れていった。

ビーシュマはまるで何かに取り付かれたかのように敵軍を片っ端から破壊していった。
パーンダヴァ達は一体になって防ごうとしたが食い止めることはできなかった。
ビーマとサーテャキが加勢したが、それでも無駄であった。
ただただ死体の山が大きくなるだけであった。
恐ろしい恐怖がパーンダヴァ軍を襲った。
ビーシュマのこの日の決意は完全にパーンダヴァ軍を飲み込んでいた。

ユディシュティラはビーシュマの猛攻を止めることはできなかったが、ナクラとサハデーヴァと共にドゥルヨーダナ直属の軍を壊滅させることには成功した。

ドゥルヨーダナはナクラとサハデーヴァの伯父にあたるシャルヤに話しかけた。
「今のユディシュティラはビーマやアルジュナに匹敵する。あなたなら彼らの怒りを止められるだろう。行って戦ってくれ」

シャルヤは肩をすくめて自らの運命を悲しんだ。
自らの愚かさのせいで、死んだ妹の息子達と戦わなければならなかった。
ユディシュティラ、ビーマ、ナクラ、サハデーヴァの四人はシャルヤの軍と戦った。

ビーシュマは相変わらずまるで太陽の熱のごとくパーンダヴァ軍を燃やしていった。さらにその熱は増していくようであった。
恐ろしい速さでパーンダヴァ軍は破壊されていった。

クリシュナはアルジュナに話しかけた。
「あの男はパーンドゥの息子以外は全員殺すつもりだ。
あなたが軍を救わなければならない。行きましょう。あなたがビーシュマを殺す時だ」
「クリシュナ、分かった。地獄へ行こう。こんな戦いをする人生なんて。地獄の方がましさ。あなたの言う通りにします」
その言葉にクリシュナは怒りを覚えたが戦闘馬車を進めた。

アルジュナが帰ってきたのを見て兄弟達や他の戦士たちは胸をなでおろした。アルジュナだけがビーシュマから救ってくれる筏であった。

アルジュナはビーシュマを攻撃した。
最初の矢でビーシュマの旗を落とし、さらにビーシュマの弓を破壊した。
ビーシュマが弓を替えると、その弓もまたアルジュナによって破壊された。
「アルジュナ、素晴らしい。さあ戦おうじゃないか。もっとその腕前を見せてくれ」

ビーシュマの放つ矢は一本一本がそれぞれ一人以上の命を奪ったが、
一方で、アルジュナの矢はまるでビーシュマに花びらを掛けるかのような優しさが感じられた。

クリシュナはアルジュナの穏やかさに怒りを感じていた。
パーンダヴァ軍はビーシュマの矢によって壊滅に向かっていた。

その様子をしばらく見守っていたクリシュナが動いた。
突然左手に握っていた手綱を投げ出し、戦闘馬車から飛び降りた。
ビーシュマに向かって進んでいく彼の手には彼の武器チャックラが現れていた。
怒りの表情でビーシュマの前に立った。

周りの者達が叫んだ。
「ビーシュマが殺される! ビーシュマがクリシュナに殺される!!」

しかし、ビーシュマは全く静かであった。
それどころかクリシュナに向かって微笑んだ。
「おお、我が神よ! どうぞ来てください。あなたに会えて光栄です。私はあなたの手による死を望みます。
もう私の前から逃げないでください。偉大なナーラーヤナがこの痛みの世界から私を解放してくれるなら、私はこの地上で最も幸運な者です。
どうぞ来てください。あなたを待っています!」

その瞬間アルジュナが動いた。
戦闘馬車から降り、クリシュナの足元にひれ伏した。
喉は恐れで渇き、まともな言葉は口から出なかった。
ただただクリシュナの足にしがみつき、目に涙を浮かべてクリシュナを見上げた。
しかし、クリシュナは全くアルジュナを見ようとはせず、足にまとわりつくアルジュナの手を蹴飛ばして進もうとした。
まるで蛇のような息を吐いていた。

アルジュナがやっとまともに話し始めた。
「お願いです。それは止めてください。
あなたの誓いを破らせるという罪から私を救ってください。
もしそんなことをしたら世界の人々はあなたを嘘つきと呼ぶでしょう。
あなたの純粋な名に傷を負わせたくありません。
私は夢から覚めました。
戦争の始まりの時にあなたが私に教えてくれたことを全て思い出しました!
私は自分の言葉を守り、誓った通りのことをします!
私がビーシュマを倒します。
真実の名の下に、友情の名の下に誓います!」

クリシュナはアルジュナの考えが晴れたことが分かったが、表情を崩さなかった。
一言も話さずに静かに戦闘馬車に戻り、手綱を握った。

アルジュナはビーシュマを目の前にして決意を固め、集中を高めた。

しかし、間もなく夕日は沈み、戦いを終えなければならなかった。

この日のパーンダヴァ軍のキャンプは静まり返っていた。
ほら貝は吹かれず、トランペットの喜びの音色も聞かれなかった。
ビーシュマの猛威の前になすすべがなかった彼らは失意のどん底に沈んでいた。

ユディシュティラもまた悲しみに沈んで話すことができずにいた。
彼もまたビーシュマの前では無力であった。
「クリシュナ、この戦争に勝つことはできないようだ。
この九日間ビーシュマを止めることができなかった。ただただ戦士たちが消えていっただけだった。我々はまるで火に飛び込む蛾のようだった。彼と戦うことはやはり無理だったんだ。私は無力なんだ。
もう敗北を認めて森に帰るべきなのかもしれない。
私の愚かさのせいで皆が祖父の矢を受けているんだ。
一体どうすればあの無敵のビーシュマから我が軍を守れるんだろうか?
どうか方法を教えてください」

クリシュナは優しく答えた。
「ユディシュティラよ、どうか失望に身を委ねないでください。
あなたには力強い弟達がいます。
たとえ彼らがビーシュマへの愛情を断ち切ることができずにいたとしても、私がいます。
パーンダヴァの敵はクリシュナの敵です。
私はなんの躊躇もしません。たった一人でビーシュマを殺してみせましょう。私がビーシュマの死神となります。
我が最愛の友アルジュナは以前ドゥルヨーダナに伝言しました。
ビーシュマがこの戦争の最初の犠牲者になるであろうと。
私は彼の誓いを偽りにさせることはできません。
彼の代わりにビーシュマを殺す者として私に許可をください。
あるいはアルジュナ自身が決心するなら、誰も彼を止められないでしょう。
しかし、彼一人がその重責を担うことになるのです。
アルジュナはこの責任を負うにはあまりに繊細過ぎるのです。
ここにいる皆は正義の殺人者となるにはあまりに良い人過ぎるのです。
地上の束縛を超えている者であり、喜びと悲しみ、善と悪、痛みと快楽を同じものとして扱うことを身に着けている者が必要なのです。
私がその人です。
あなたの為にそうしましょう」
クリシュナはそう言って静かに座った。

ユディシュティラは目に涙を溢れさせてクリシュナの手を取った。
「あなたこそが世界の始まりの人で、世界の終わりの人です。あなたが世界の源です。あなた無しには何も存在しません。太陽も、月も、星も存在しません。あなたこそ永遠の人です。
パーンダヴァの命はあなたの手の内にあります。
あなたはアルジュナの御者ではありません。
あなたはパーンダヴァの御者です。私達全員を正義の道に進めさせる人です。あなたは私達の為ならどんなことだってできるでしょう。
しかし、私はあなたの名を汚すことを許可しません。
世界があなたを嘘つき呼ばわりするのは許しません。
あなたはこの戦争で戦いわないことを約束したのです。どうか約束を守ってください。
あなたのその雪のような白い手を血で汚してはなりません。
私はそれを望みません。他の方法を考えます」

ユディシュティラは話し続けた。
「戦争の最初の日、私がビーシュマの元へ戦いの許しをもらいに行った時、彼はドゥルヨーダナの為に戦わなければならないと言っていました。
本心では私達のことを今でも愛しく思っているはずです。
決めました。
私は今から彼の所へもう一度行きます。
どうすれば彼を殺せるのかを尋ねます。
クリシュナ、どう思いますか?」

「それがよいでしょう。あなたが尋ねるなら、ビーシュマはどのように自分が殺されるべきか答えてくれるでしょう。私も行きましょう」

五兄弟とクリシュナは夜遅くにカウラヴァ軍のキャンプに向かって出発した。鎧も身に着けず、裸足で歩いて行った。

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