マハーバーラタ/7-3.チャクラヴューハを突破するアビマンニュ
7-3.チャクラヴューハを突破するアビマンニュ
13日目の朝がやってきた。
ドローナがカウラヴァ軍の総指揮を執る三日目であった。
昨日と同様にスシャルマーがアルジュナに戦いを挑み、
この日もアルジュナはトリガルタ軍と戦う為に戦場の南側へ向かわなければならなかった。
ドローナは難攻不落のチャクラヴューハの形に軍を整え始めた。
その陣形は別名パドマヴューハ(蓮の陣形)とも呼ばれていた。
花の中心にはドゥルヨーダナ王が留まり、
花びらの一層目はラーデーヤ、ドゥッシャーサナ、クリパなどが形作った。
花びらの二層目はジャヤドラタの大軍が形作り、
さらにアシュヴァッターマー、ドゥルヨーダナの弟達、シャクニ、クリタヴァルマー、シャルヤ、ブーリシュラヴァスなどが外側を固めた。
全員が赤いシルクをまとい、花冠をかぶっていたので
まるで朝の太陽を浴びた地上に咲いた巨大な蓮の花のようであった。
ドローナ自身はヴューハに入らず、前方に立った。
パーンダヴァ軍の攻撃が始まった。
ビーマを先頭にして一丸となって敵軍に押し寄せた。
しかし、ヴューハの前方に立っていたドローナは、
押し寄せる海を切り裂く半島のようにパーンダヴァ軍を払いのけた。
ただただパーンダヴァ軍の戦士が消えていくだけであった。
誰一人としてカウラヴァ軍のヴューハの中に入り込むことはできなかった。
攻めれば攻めるほど一方的に軍が飲み込まれていった。
あまりの無力さにユディシュティラは途方に暮れた。
このままでは夕方には全滅してしまうのではないかとまで考え始めた。
「アルジュナさえいれば」
しかしスシャルマーが最後の1人まで戦い抜くことを決意していたので、
アルジュナがいつ戻ってくるかは全く予想がつかなかった。
彼らの残された希望はアルジュナの息子アビマンニュであった。
ユディシュティラはアビマンニュに話しかけた。
「アビマンニュ。頼みがある。
この難局をくぐり抜ける為にはあなたの力が必要だ。
このままではあなたの父アルジュナが帰ってくるまでに我が軍は全滅してしまう。
あのヴューハは難攻不落だ。
私が知る限り、あのヴューハを突破して中に入ることができるのはこの世界に四人しかいない。
それはクリシュナと彼の息子プラデュムナ、アルジュナ、そしてあなただ。
つまり、この場にいる者の中であのヴューハを突破できるのはあなたしかいないんだ。
頼む。あなただけが唯一の希望だ」
アビマンニュはしばらく考え込んだ。
「もちろんです。私がやりましょう!
私なら簡単にあのヴューハに入ることができます。
その方法を父から教わっています。
しかし、教わったのはその方法の半分だけなのです。
・・・つまり、入り方だけです。
脱出の仕方はまだ教わっていないのです。
私があの巨大な蓮の中に入った時、
もし敵軍の猛攻撃を受けたなら脱出することはできないでしょう。
それだけが心配です」
「アビマンニュ、それなら大丈夫。心配無用だ。
私達があなたから決して離れることなく後に続く。
あなたがいったんあのヴューハの口を開けたなら、
すぐに私達が後に続いて一緒に入り、陣形を打ち破るでしょう」
ビーマが話した。
「大丈夫だ。私がぴったりと離れずについて行く。
私の後にはドゥリシュタデュムナやサーテャキ、たくさんの英雄達が続く。
口さえ開けばいいんだ。後は任せろ」
アビマンニュはそのような大役を任されて喜んだ。
そのハンサムな顔の目は輝いていた。
まるで美しさと輝きをいっぱいに満たした満月のようであった。
「この大仕事を達成してみせましょう。
私は今日、クル一族とヴリシニ一族両方で永遠に続く名声を得るでしょう。
父アルジュナと伯父クリシュナ。二人が私を誇りに思うことでしょう。
カウラヴァ軍に私の姿を見せてやりましょう」
アビマンニュはユディシュティラに挨拶をして、危険な任務に向かった。
彼はチャクラヴューハを破る方法を教えてもらった時の父の言葉を思い出していた。
『このヴューハは誰かが入るとすぐに閉じるという特徴があるから気を付けるんだぞ』
しかし、彼には勇敢な伯父達やたくさんの英雄達が付いていた。
蜜を取りに来た蜂を蓮が捕えないように助けてくれるはずだ。
大丈夫、入るだけでいい。
あとは皆がヴューハを破壊してくれる。
そう信じ、心配を振り払った。
アビマンニュが戦闘馬車に乗り込むと
他の者達がこの若き英雄に道を開けた。
アビマンニュを先頭にして壮大な行進が始まった。
「速く! もっと速く!!」
アビマンニュは御者に叫んだ。
「私があのドローナのヴューハを破ってやるんだ!」
御者は冷静に、重々しく声をかけた。
「アビマンニュ様。
私はあなたをあの場に連れて行くのは好みません。
あなたのその若い肩に乗せるにはあまりに重すぎる役目だと思うのです。
敵軍を指揮しているのはあの罪深いブラーフマナのドローナなのです。アストラの名人です。
あなたはまだ子供で、彼は熟練の戦士です。
私の心配は晴れません」
「心配はいらない。私はあの偉大なドローナとの対戦を待ち望んでいたんだ。彼が自信過剰であったことを今から思い知ることになる。
私はアルジュナの息子だ。
私はクリシュナの甥だ。
天界のインドラにだって立ち向かうことができる。
このアルジュナの息子に恐れが近寄ってくることはない!
私がカウラヴァの全軍を焼き尽くし、追い払ってやるんだ!
父アルジュナの名に懸けて!」
御者はそれ以上何も言わず、静かになるしかなかった。
気は進まなかったが、ドローナ率いるヴューハに向かって戦闘馬車を進めた。
アビマンニュは閃光のごとく敵軍へ向かって行った。
その姿はまるで父アルジュナの生き写しであった。
アビマンニュを先頭にして両軍が激突した。
誰もこじ開けることができなかったヴューハは若きアビマンニュによって切り崩された。
カウラヴァ軍の陣形が乱れていった。
アビマンニュがヴューハの内部に入り込んだ瞬間、たくさんの戦闘馬車と戦士達から一斉攻撃を受けた。
しかしまるで死神のように敵を寄せ付けず、死体の山を築いていった。
アビマンニュは蓮の花の中心に向かって入り込んでいった。
彼は蓮の中心であるドゥルヨーダナに接近しつつあった。
ドローナ、アシュヴァッターマー、クリパ、クリタヴァルマー、ラーデーヤ、シャクニ、ブーリシュラヴァス、ドゥルヨーダナの弟達が次々とアビマンニュを攻撃したが、この若き獅子を食い止めることができなかった。
ラーデーヤは矢を受けて傷つき、戦闘馬車から落とされた。
シャルヤは彼の圧倒的なパワーに押されていた。
敵軍の英雄達と戦いながらもアビマンニュの顔には笑みが浮かんでいた。
この時の彼は父アルジュナよりも、伯父クリシュナよりも輝いていた。
アストラを使いこなし、数千もの敵兵を殺して進んだ。
ドローナはクリパに話しかけた。
「なんという若者だ。彼は我が軍を全滅させるだけの力を秘めていた。
これまでその力を見せてこなかったことがまさに驚きだ」
その褒め言葉はドゥルヨーダナの耳には聞こえていた。
ドローナがお気に入りの弟子アルジュナの息子を絶賛しているのは気に入らなかった。
「なあ、ラーデーヤ。
ドローナ先生は手を抜いているんだろう?
彼が本気になればインドラだって、ヤマだって相手にできるのに、なぜあんな小僧を殺そうとしないんだ?
まあ、お気に入りのアルジュナの息子だからだろうな。
アビマンニュが我が軍の中を厚かましく走り回る理由なんてそれしかないだろう」
そこへドゥッシャーサナが声をかけてきた。
「そうそう。兄の言う通りだ。
先生に頼るのは止めよう。私が行って彼を殺してみせよう。
アビマンニュが死んだと聞けばクリシュナとアルジュナは傲慢さを無くして、後を追って死ぬだろう。そうすれば他のパーンダヴァ達も自ら死んでいくだろう。
一人の人間の死が我が軍の勝利をもたらすはずだ。私が行こう」
そう言ってドゥッシャーサナはアビマンニュに挑んだ。
しかし、その戦いはすぐに終わった。
ドゥッシャーサナは命を惜しんで逃げ出した。
ラーデーヤが次に戦いを挑んだ。
先ほどよりも長く戦うことができたが、結果は同じであった。
アビマンニュが敵軍のヴューハに突入する直前、
一方のパーンダヴァ軍は、先頭を進むアビマンニュに続いて
ユディシュティラ、ビーマ、サーテャキ、ドゥルパダ、ドゥリシュタデュムナ、ヴィラータ、ナクラ、サハデーヴァ、ケーカヤ兄弟、ドゥリシュタケートゥが後を追っていた。
彼がヴューハに穴を開けるまではついて行くことができていた。
ちょうどヴューハに入る瞬間、アビマンニュは戦闘馬車の中で振り返り、顔を輝かせて美しい微笑みを見せた。
彼らがアビマンニュの姿を見たのはそれが最後であった。
微笑みを浮かべて挨拶をした彼の戦闘馬車を追ったが、突然ジャヤドラタに行く手を阻まれた。
ユディシュティラとサーテャキがジャヤドラタを突破しようとしたが、この時のジャヤドラタは一歩も引くことなくパーンダヴァの英雄達を食い止めることができた。髪の毛一本分たりとも進むことができなくなった。
「なぜだ? あのジャヤドラタがなぜこんな力を発揮できるんだ?
だが、考えている暇はない。急げ!! アビマンニュを一人にしてはならない!!」
ユディシュティラは必死にジャヤドラタに挑み、弓を破壊した。
しかし、ジャヤドラタは弓を持ち替えてパーンダヴァ達を食い止め続けた。
ビーマが弓と旗を折った。
しかし、ジャヤドラタはまた他の弓を持ち替え、ビーマの馬を殺し、弓も破壊した。
この時ジャヤドラタにはシャンカラの恩恵が働いていた。
その恩恵とはアルジュナとクリシュナがいない場においてはパーンダヴァ達に一人で対抗できるというものであった。
ユディシュティラはアビマンニュが心配していたことを思い出し、恐ろしくなった。
そしてアルジュナの希望である子供を失ってしまうかもしれないという自らの浅はかな判断を後悔した。
全力を振り絞ってジャヤドラタを突破しようとしたが、
次第にアビマンニュの背中は遠のいていき、見えなくなった。