瞑想って何?/11.瞑想する人におけるクリシュナ
バガヴァッドギーターに登場するクリシュナが
瞑想について語っています。
マハーバーラタの中では
ヴィシュヌ神の化身と見なされているのがクリシュナ。
そのクリシュナが語る瞑想とはどんなものでしょう。
「吸気と呼気を一定のリズムに落ち着かせた後、
外側にあるものを外側に置いたまま瞑想することができますように」
外側にあるものを外側に置いたまま、とは?
何か意味深な感じですね。
日常的に親しく接している人たちは、知らないうちに密航者のように頭の中に入ってきます。
(外側にあるものが内側に入ってくる、とはこういうこと)
瞑想する前に、
まず頭の中からその人たちを降ろさなければならないのです。
その人があなたの頭の中に入り込んでくるのは、
その人が実際とは違う人物であってほしいからです。
その人自身が変わりたいと願わない限り、
人を変えることは不可能です。
マハーバーラタの中でそれが証明されるエピソードがあります。
国を騙し取られた五兄弟に味方することになったクリシュナは
戦争を避ける為の和平交渉を行います。
国を五兄弟から奪ったドゥルヨーダナは返還の約束を破り、
針の先ほどの土地も渡さない、との回答。
私は悪い人なので悪い道を進みます。
そして、あなた達は良い人なので良い人でいてください。
決して暴力に訴えて私から国を奪おうなんて考えないでください。それは悪い道です。あなた達は良い人なのだから、悪い道を進んではいけない。しかもこちら側には一族の長老であり、最強の戦士であるビーシュマも、皆の先生ドローナもいます。祖父や先生に弓を向けるのは悪いことですし、どうせ私達には勝てませんよ。
最後の頼みの綱であったクリシュナは敵陣にて神の姿を解放して見せます。
クリシュナが本気を出せば、五兄弟を勝たせるなんて簡単な仕事。
全知全能の力、神々しい神の力を見せつけ、その場の全員が感動して平伏する中、ドゥルヨーダナだけは「あいつ(クリシュナ)を捕えろ」と言い出す始末。
クリシュナでさえドゥルヨーダナを変えることはできなかったのです。
誰も誰かを変えることはできないが、
誰かが変わりたいと望めば、誰もそれを止めることはできません。
そして、自分が変わると決めなければ、周りの助けは全く役に立ちません。
人を変えたいという願望を捨てるだけで、内側の人々を降ろした時、
あなたは瞑想する人となります。
あなたの認識では、その人はこういう人なのだと認識します。
自分の認識が誤っているかもしれないと理解したとき、
あなたは真実を受け入れたことになります。
真実を受け入れることが客観性なのです。
外側の世界に対してあなたは客観的であり、
あなたの体に対してあなたは客観的であり、
あなたの呼吸に対してあなたは客観的であり、
あなたの考えに対してあなたは客観的です。
この客観性を得ることができれば、
瞑想する人、つまりイーシュワラと関わるベーシックパーソンにたどり着きます。
(次回に続く)