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「認知症介護の8つの奇跡①」一年前は八方塞がりで、家族崩壊しちゃいそうでした。

こんにちは!大髙夫妻の嫁のユキです。

自宅介護をはじめて1年がたちました。
1年前には考えられないような奇跡が、今は現実が起きて、母だけでなくわたしと夫も意識の変容が起き、昨年よりもイキイキとノビノビとして自分らしさを発揮した生き方へとなりました。
もちろん健康面では、母にはかなりの奇跡が起きました。母は糖尿病で10年以上続けてきたインスリン注射が、私達と一緒に住んでから一年がたった今年の9月にはインスリン注射をやめて服薬になりました!その他にも色々とありますが、一番驚いているのは母自身です。

まだ1年しかたっていない自宅介護の新米な私たち夫婦ですが、自宅介護があったから自分たちの人生が豊かになったと、よく話をして、母には感謝をしています。
もちろん今でも精神的にしんどく戸惑うことが多々ありますが、健康のためのリハビリとしてデイサービスやショートステイの利用、ヘルパーさんやケアマネさんの言葉に救われる日々、バスの運転手や色んな方が母に優しくしてくれるから、感謝と嬉しい気持ちでいっぱいになります。

自宅介護をはじめて1年がたって、1年前では目に見えない可能性の夢だったのが、今では現実になっていて、本当に驚いております。
奇跡ってあるんだ~~~、可能性を見てよかった~~~と実感している日々です。

うちの母がどんな状態であったのかを、今日は紹介しますね。
母は糖尿病が原因で認知症になりました。認知症が10年ぐらい(もしかしたら8年か9年かも)で、他の持病では高血圧と脳梗塞後遺症があります。おまけにアルコール依存症と診断されてました。
昨年まで血糖値は朝から350の数値を出すほどでしたから、毎年1回から2回は糖尿病の改善のために入院するという事が当たり前のようにあったのです。

入院中に脳梗塞を2度ほどやって、意識不明の状態が1週間ほど続いたりしました。そして上手く話せなくなり、再婚相手である継父にキツイ言葉を浴びせられる日々でした。
わたしは藁もつかむ思いで、母にヒーリングのDNAアクティベーションをしました。1時間のフルセッションを母にしたのです。やった直後は何も変化がなかったのですが、翌日はよく喋るようになりました。普通とまではいきませんが、ちゃんと喋れるようになっていたので、継父は母に優しく接することができるようになったのです。これには私の夫もビックリして、DNAアクティベーションの奇跡を夫婦で体験をしました。

それでも血糖値が下がらない。原因はアルコールでした。継父が飲ませていたのです。母が夜眠れないからという理由や美味しいお酒を飲ませないのは可哀想という理由でした。
医師からも合併症が起こる事を何度も注意喚起をされてもアルコールをたつことが出来ずに、数値が高いからまた入院を繰り返すという年月が経ちました。
その時でも、わたしに出来ることとして、毎月もしくは2か月ごとに東京から大阪に行き、母にDNAアクティベーションをやっていました。わたしに出来ることはヒーリングしかなかったから。


それから2020年にはコロナもあって行けなくなって、母の認知症はかなり進んでいる状態になっていました。そんなこんなで色んなことが起こり、2021年に母と一緒に住むことになったのです。

とにかく
「母の命を守るため」
という目的のために一緒に住む事にしました。この目的は一年たった今も同じです。


はじめは介護での仕事で経験がある妹の提案で、妹が住む横浜と私たち夫婦が住む東京で一か月ごとに介護を交代していこう、という提案だったのですが・・・。妹は2週間で母にブチ切れて、母の頬をビンタして怒鳴り、母がヒステリーを起こしたら精神病院に救急で呼ぼうとしても緊急入院がダメだと分かったら、大雨の中に母とわたしを追い出して、わたしと母はタクシーで横浜から東京八王子まで帰りました。あの頃の母は電車で立っている事が辛いほどの体力の無さでしたので、ラッシュの時間帯だったため電車での移動は無理だと判断しての事です。
その後も妹は口では偉そうにアドバイスを言ってくるのに、現実で母との問題やトラブルが起きると逃げるという癖があり、結局何もしてくれないという事が一年たってからわかりました。
だけど妹が横浜市のデイサービス、シヨートステイ、妹の家から近い横浜の病院などすべて見つけてくれました。これには感謝しています。やはり介護の仕事をやっていただけある!と今でも感謝です。

妹が介護を放棄してしまったために、八王子で一緒に住むことになった母は、環境の変化から夜中にはヒステリーで叫び壁を叩きモノを投げる、昼の母は泣く日々です。
わたしの夫がいると、母は迷惑をかけてはいけないと思い泣きません。でも娘の私と二人きりになるお昼ご飯の時は、泣きながらご飯を食べるのです。それを見ていて本当に辛く、一緒に住むことは正しかったのか・・・と自問自答する日々でした。

そんな母のヒステリーから、夫は自分の部屋にこもることが増え、車での移動は協力してくれるけど、何かに理由をつけてビジネスホテルに泊まることが多くなりました。そして夫も妹と同じように、口ではアドバイスするけど、いざ母と二人きりで夫が一人で母の介護を頑張ったのに、母が突然不機嫌になり、それで夫は凹み、より一層自分の部屋にこもるようになりました。母が突然不機嫌になることは、わたしは数えきれないほどあったので、夫も妹と同じだわーーと絶望しました。

わたしは認知症がどういう病気か分からないし、介護の知識もない。
介護職での経験がある妹からの情報と本やネットとテレビの情報しかなかったのです。ネットと妹からの情報は、わたしに恐怖を与えるしかありませんでしたから、わたしはどんどんとやつれていき、白髪も増えていきました。
妹の介護情報は「母そのものを見ているのではなく、認知症の枠で見ているだけ」だと感じて違和感がありました。妹はすぐに特別養護老人ホームに入れる準備を勧めてきました。
でも引っかかることが一つありました。

妹が「お母さんには可哀そうやけど」と何度も言うのです。その言葉に引っかりと違和感を感じたのです。

可哀想とわかっていて、何もせずに入れるとはどういう事だ?!もしかしたら妹は介護で家庭崩壊をみてきたかもしれないが、何も自分で努力も検証もしないで、それはないだろう!!という疑念しかありませんでした。

なぜなら母には、何か分からないけど可能性があると感じていて、その可能性を見たいし、可能性を実現させたい!それは一緒に住む目的の「母の命を守る」ことで、それは「命の可能性を活かす生き方」じゃないか!という自分の答えになり、自宅介護をしていく決意をきめました。


特別養護老人ホームが悪いわけではなく、妹の考え方に問題があるということです。仕事でも同じで、枠で人や物事をみると、結局変革は起こせませんし、衰退していく現実になります。


とにかく
母を認知症の枠でみるのを
やめることにしたのです。


母はまだ元気で、可能性がまだある母を活かしていくためにデイサービスがあるわけだから、デイサービスの存在意義の意識を変えていくことにしました。デイサービスは、リハビリするいう意識にしたのです。
でもはじめの半年のデイサービスは、母に合わなくて、ますますヒステリーがひどくなり、3ヶ月ぐらいししたら少し慣れてきたようでしたが、たまにしか楽しいと言わないのです。母にとってそこのデイサービスは、基本的に楽しくないのがわかりました。
それでもわたしは諦めないでネットで他のデイサービスを探して、ケアマネさんにお願いしてきいてもらっても、すべてダメでした。
デイサービスがそこしかダメな理由は、母の住民票が妹が住む横浜だったからです。
ショートステイは横浜のを使わせてもらっていて、そこはショートステイ専門なのですが母がとにかく「楽しかった!」と毎回言うので、そこを使うために横浜に住民票にしていました。でも半年たったころに、住民票が東京でもショートステイが使えることがわかったら、すぐに移しました。
それからデイサービスをまた探したら母に合うデイサービスに出会うことになり、今は利用させてもらっています。ショートステイは今でも横浜で利用させてもらっています。


可能性は目に見えない。
可能性を感じたら諦めずに、
母の命のために貫くことをしました。


可能性が目に見え現実になったときは、人は手のひらを返す。これは介護でも同じように経験し、ビジネスでは20代の頃から毎度のことのように手のひら返しを経験していました。だから枠でしか物事をみれない人と話をしても通じないから、自分が今できる小さな一歩をみつけたら、とにかくやる!行動していく!と、とにかく複合的にやっていき、母の命を守るという筋を通していくしかなかった日々を過ごしていました。

わたしはコンサルティングという仕事がらでもあるのか、【人の可能性と繁栄のプロセス】がわかる感性を持っています。
それを医師やケアマネさんに、今の状態がなぜこうなのか?母の可能性を叶えていくプロセスを話をしても、まったく理解されませんでした。

「お母さんは認知症で病気なんです。」と必ず言われました。

でもわたしは母の可能性が感じていて、それが時代の流れにもあっているし、私達夫婦が世の中と共に繁栄する課題にも合っていると確信をしていたのです。

なので、どんなに医師やケアマネさんに言われても、結果を出せば手のひらを返すから、目の前のことをやっていこう、感じた可能性を実現させていこう、そのためにヒーリングもやっていきながら、糖尿病の医師の指導はしっかりと守っていこう!ということだけ決めたのでした。

奇跡が起こる前までは、本当に疲れはていて、人生がこれで終わってしまうのか・・・とも思ったこともあります。
とにかく自宅介護を決めた目的を思い出して、目の前のことをやっていったら、8個の奇跡がおきました。おまけに夫婦関係もより深い絆になり、夫は多様性で仕事をする在り方になりました。これも母との自宅介護で「命を守る」という目的のもとで毎日生きていきたら。
8個の奇跡は、また今度!

●介護で疲れている方にお知らせ●
介護でいっぱいいっぱいになっている方のためのイベントをします。

11月20日日曜日 11時~15時
場所は、八王子市北野の自宅サロン。

わたしの母もお手伝いしてもらいますし、介護で疲れたことを吐き出してもらい、わたしたち夫婦が自分の可能性を見いだせたDNAアクティベーションを体験版20分を選んで受けてもらいます。

イベントには、認知症介護をしているご夫妻の先輩ヒーラーの田中夫妻も参加いたします。田中夫妻は介護をしているのに、全国を飛び回り、自分のやりたいことをやり通す生き方をされています。わたしたち夫婦は自宅介護をするときに、精神的に追い詰められて田中夫妻に相談しました。
介護でも先輩の田中夫妻もヒーラーとして参加してくれますので、介護を通して自分らしく生きられるヒントがあるかもしれませんよ。

11月20日日曜日
11時からスタートして、15時にイベントが終わります。
体験版DNAアクティベーション20分がついて、ワンプレートの軽食とお菓子とお茶を楽しみながら、みんなで介護の悩みを打ち明けたりするイベントです。

料金は5000円
場所は、八王子市北野の自宅サロンです。
お申し込みの方に、場所の詳細をメールでお伝えいたします。
お申し込みはこちらに。


イベントお申し込みページ


●脳梗塞の母に行ったヒーリング●
脳梗塞で喋りにくくなった母に行ったヒーリングは、DNAアクティベーションです。
母には合っていたようで、翌日は喋れるようになりました。DNAアクティベーションをあなたが親にやってあげると、家族の絆が深まりますよ。まずは、あなたがDNAアクティベーションを体験されることをオススメいたします。
DNAアクティベーションは60分15000円です。


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