「花束みたいな恋をした」を見て、感情移入ができなかった話【ネタバレ注意】
※こちら「花束みたいな恋をした」のネタバレ記事となっています。
お久しぶりです。fgo愛の強い人材育成担当です。
最近、ようやく気になっている映画を見に行きました。
「花束みたいな恋をした」です。
友人からの「とても泣いた!感動!」という強い強いおすすめも
あって、小さな映画館で観に行きました。
なかなかの雰囲気。エモい、とはこのためにある。
純愛ものの映画を見に行くのはひさびさ。正直、ちょっと泣くことを期待してしまった自分がいたのですが、涙が出ず...。
日頃のリモートワークで心が死んだのかと思いましたが、
共感できなかった部分を1つ1つ振り返ってみることにしました。
読者の皆様が少しでも共感できますと幸いです。
1.大学時代
麦君と絹ちゃんの特徴って下記かと思うんです。
(1)自分は大衆文化に迎合していない「特別」感
(2)唯一無二の存在でありたいけど努力は見られない「堕落」感
(3)お互いの世界に閉じこもる「閉塞」感
※多分、(2)(3)は日本語として怪しい...。
ゆとり教育の影響からか、自己肯定感の高い大学生を描いたのでしょうか...。少し回りのご友人を思い出してみてほしいのですが、
自分の趣味を開放して2人だけの世界をメインに描いたためか、
「そんな恋もしたけれど、ここまでハマらなかったなぁ...。」と。
ここで感動するかもというポイントは
・純粋に共感(共感性羞恥かもしれない)
・昔の恋を思い出して、もう同じ恋ができなくなったこと
・海辺のデートシーンを見て、終わりが見えてしまったこと
※私はここで、「あっ、別れる」と思いました。
一緒に海を見たい絹ちゃんと、しらす丼を買った麦君の息の
合わなさ、さわやかハンバーグを待つ姿の虚無感を
感じました。ディズニーも待ち時間で別れる恋人みたい...
2.麦君、絹ちゃんフリーター時代
絹ちゃんは度重なる圧迫面接で心を病み、麦君はイラスト稼業が軌道に乗ったため、2人で就職せずにフリーターになります。
新卒採用で就職された方にとっては理解に苦しむかもしれません。
※私は、将来や金銭でよく焦らずに同棲&フリーターになったなと思います。
ここで見えるのは、学生時代から残っている、
自分への特別感(陶酔といってもいい)と閉塞感から、周りが全く見えていないところです。
間違いなく当事者は「たのしい」のですが、周り(特にご両親)
から見るととても不安になる状態です。
友人関係があまり描かれなかったことから、外部環境からの刺激を 受けにくい状態だったのでしょう。
※冒頭に描かれた麦君のフレンズはヨッ友になってしまったのでしょうか。学生と社会人の境目になる卒業式のシーンが描かれていないあたりが、彼らの環境が二人が変わらないことを意味しているのかもしれないです。
3.絹ちゃん、麦君就職
今まで両親の仕送りに助けられていた二人ですが、仕送りがなくなるという外部要因が発生します。さすがに暮らせなくなって働くことを決意します。就職は2人ともでき、絹ちゃんは歯科医院の正社員(もしくは派遣?)、麦君はECサイトを運営する中小企業に就職します。
この就職から、二人の接する人が下記のように変わます。(お互いを除く)
・絹ちゃん:歯科医院で働く同期、
大学時代から親交のあった仲間(DVしていた
写真家のパートナーたち、など...)
→仕事はほどほど、プライベートやを大事にする
・麦君 :会社の上司(年代は40代くらい?)
→若いときはプライベートをないがしろにしても
働くことが当たり前
周りにいる人がどういった人たちかで、考え方って大きく変わるんだ、という事実をまざまざと感じます。なんて生々しい映画。
そして、絹ちゃん、麦君も考え方が変わっていきます。しかもゆとりのある大学生活と比べて、余裕がなくなった社会人生活。麦君は仕事第一に移っていき、絹ちゃんへ気遣いをしなくなっていきます。(まるで、がむしゃらに仕事するのが「当たり前」みたいな)
その証拠に、東海エリアの新規開拓をしてく上司の「あと●年は踏ん張れよ」「仕事っていうのは...。」という言葉を素直に聞き入れていきます。
大学生の時とは変わっていく麦君に気づいていく絹ちゃん。そうして心が離れていくんですね。まだこの時、絹ちゃんは約束を守らない麦君に怒っているフェーズです。巻き返せるとしたらここかと思うのですが、その機会も逸してしまいます。
4.絹ちゃん転職
ここで絹ちゃんに転機&仕事や生活への価値観の違いが明確になります。絹ちゃん転職です。
絹ちゃんは「今の仕事(歯科医院)が楽しくない。転職先では、給料は下がるけど、アートや音楽など、自分の好きなことができる」というもの。ただ、ここで麦君は転職を反対します。「今の仕事を投げ出すのは無責任、仕事は責任で、楽しい/楽しくないの次元ではない」感じのことを言っていた記憶があります。(ちょっとあやふやですみません...)しかもこの後に「絹ちゃんが好きなことしていいから、俺が稼ぐから、結婚しよう」という、絹ちゃん視点からは「そうじゃない」感のあるプロポーズをします。
ちょっと説明がしにくいので、プロポーズの前後で切り分けて考えていきます。
(1)プロポーズ前:二人の仕事観の違い
・絹ちゃんは「好きなことを仕事にしたい」という考え方の持ち主です。周りから「そんな甘い考えじゃできないよ」「むしろ好きなことが嫌いになるから辞めたほうがいい」という声が方々から聞こえます。
個人的には、絹ちゃんの職業を選ぶ優先度に「好きなこと(サブカル系の音楽、アート)」が高かったので、理想の働き方を追い求めたのだと思います。20代後半を迎える私も、この考えを持って、ありがたいことに仕事ができているのでとても良く分かります。ただ、この考え方を持っていると仕事がつらくなってくる、理想と現実のギャップに苦しむこともあります。ちょっと危ない飲み会以外への参加以外に、どう乗り越えていくのかはもう少し見たかったですです。
・麦君の仕事のきっかけを振り返ってみると、実家からの仕送りとイラストの仕事が無くなり、お金に困ったから働いています。彼の就職のきっかけは「2人で現状維持するための収入の確保」。絹ちゃんと違うところは、仕事に割く時間が増え、そのきっかけを戻す機会と余裕が無く、純真さ故に上司を含めた会社の働き方に染まったところかと思っています。また、収入さえ確保できれば2人の生活は確保できます。好き/嫌いという選り好みをせず責任感で働けているのは「生活を守る責任感を(知らないうちに1人で)背負った」からです
だからこそ、同年代のドライバーが仕事を放棄しても、職場の後輩に価値観を否定されても、責任感で働けているのです。
(2)プロポーズ後:二人の結婚・生活観の違い
麦君のプロポーズの言葉(曖昧にしか覚えていないけど)、もう一度振り返ってみましょう。
「絹ちゃんが好きなことしていいから、俺が稼ぐから、結婚しよう」
ここでの麦君の考え方に、二人で同じ趣味を共有して楽しく暮らす、という初期の同棲時代にはなかった考えになっています。
男性が稼いで女性は家庭を守る、といった昔ながらの夫婦の関係性、女性を下に見る上下関係を感じます。田舎からお父さんだけ出てきたあたり(女性は家を守るって考え方もあったはず)、元々そういった家庭で育ってきたから、女性は守る対象というのが当たり前だったのかもしれません。同棲を決めたときは、絹ちゃんにとってポジティブな発現をしていましたが、このシーンでは完全にネガティブに発現してしまいましたね。
対して絹ちゃんは、夫婦共働きは当たり前で、お母さんが強い家庭で生まれ育っています。夫婦が対等関係で、守られるのは本来求めていないんです。(就職活動期は、度重なる圧迫面接で優しい麦君に守ってもらう必要があったのだと思います。)
しかし、2人で暮らせるお金もある、精神も安定している中、麦君のプロポーズは絹ちゃんにとってありえない内容です。生活面で守ってもらうことを求めていません。ここで、お互いの地域性、家庭の関係性が浮き彫りになったように感じます。
5.そしてクライマックスへ:お別れ
プロポーズもままならず、今までと同様にお互いに距離を保ったまま生活を続ける2人ですが、結婚式の後に、出会ったころと同じ初々しい大学生を見て、とうとうお別れを決意します。
このシーンで友人は「もともとは絹ちゃんと同じ考えだったのに、気づいたら麦君になっているのに気づいてボロボロに泣いた」とのこと。このシーンで、ご自身の変化に気づいた方は感じるものがあったのではないでしょうか。
このシーンでは、絹ちゃん、麦君の共通の友人が結婚します。そして、結婚式の後に「別れよう」とお互いに決意します。しかし、観覧車やカラオケで恋人としての時間を過ごしています。麦君はここで「まだ戻れる」と考えますが、絹ちゃんは「これで最後だ」と感じます。絹ちゃんの覚悟を感じます。
そして最後、某Sグループのレストランに入り、別れ話をします。
麦君からは、楽しい時間を過ごせたうえでやり直せると感じたのでしょうか。再度改めて結婚しようといいます。プロポーズの言葉は一緒。麦君が稼いで、絹ちゃんが好きなことをしてよい、恋人ではなく夫婦ならうまくいく、そういった夫婦も多い、という言葉。
でも、絹ちゃんは上記の暮らしを求めていないんですよね。結婚しても、趣味や些細な日常を共有・共感する対等な関係。この麦君のプロポーズの言葉に揺れながらも、ブレずに別れました。えらい。
6.結局なぜ泣けなかったのか
泣けなかった理由は、「もうすでに泣いたから」に尽きます。
いると思うんです、大学時代から付き合っていたパートナーと別れた方。私ももれなくそうです。結婚と恋愛は違うと分かったから、価値観が違うから、理由は様々かと思います。年数を重ねれば重ねるほど、別れる前に情が沸き、惰性で付き合ってしまう。その時の別れは慣れ親しんだ環境との決別でもあるので、相当なストレスがかかります。泣かずにはいられなくなります。
だからすれ違いのシーンを見るたびに「あきらめたほうがいい、修復困難だ」、別れるシーンを見ると「大丈夫、今が勝負だよ」と応援したくなります。過去に後悔なくなるまで泣ききると、昔の自分を見守るような感じです。あ、自分はもう大丈夫だ、と改めて清算した過去を振り返れます。
もし泣けなかった人、泣かなかった人は、過去から今へうまく進めていると自信をもっていいのではないかと思いました。
以上です!!
長文でしたが、ここまでお読みいただきありがとうございました。