「不平等」に価値がある。
今日はマッチングアプリで出会ったマチ子さんと宇治デートでした。
宇治と言えば「抹茶」。
そして10円玉にも描かれる「平等院鳳凰堂」です。
私はこの「平等院」が好きです。
何かと出掛ける際には候補に入れるので、今回で5回目ぐらいの参拝になりますでしょうか。
「平等院」と言う名前だけあって、左右に均衡のとれた美しい建物の造形美には、何度訪れても言葉を失わせる、ハッキリと輪郭を持った「威力」があります。
藤原氏の最盛期を築いた藤原頼通は畏れ多くも「この世に極楽浄土を作る」と平等院を建立したそうですが、その超ビッグマウスなコンセプトはダテじゃありません。平等院が好き。
しかし、「抹茶」は大嫌いです。
シンプルに味が解せない。
臭くて不味い。
なぜ宇治には抹茶が存在してしまうのか。
全部亀岡にでも押しやって巨大な抹茶プラントを作って、空港で「抹茶蛇口」や「抹茶プール」「人をダメにする抹茶」なんかにして、インバウンドに高値で売り捌いてしまった方がいい。とにかく宇治から出て行ってほしい。
私は宇治へ行く度にそう思います。でもそんな夢は儚なく散るだけなので、「ほうじ茶スイーツ」など、非抹茶が食べられる店をリサーチして、観光疲れの身体を労わるのです。
でもどうやらこんな思想を抱いている人間はごくごく少数だそうで、今回のマチ子さん然り、他の友人たちは口を揃えて「じゃあ宇治来んなよ!」と罵ります。
それが悔しい。
なぜ私だけがこんな惨めで肩身の狭い思いを…。
そんな私は今日も、例の如く平等院を拝観し、スイーツの店を探していました。すると「上林(かんばやし)」という聞き慣れた名前のお店が。
「ここは有名なところだ」
素敵な出会いを感じた私は、とにかく中を覗いてみることに。
するとイートインがあるではありませんか。
しかも空いてる。
他のカフェ的なお店は長蛇の列になっているのですが、この上林は奥まった部分にイートインがあるため「穴場」になっているのです。
その証拠に食べログの評価は★3.52です。
一切の迷いなくマチ子さんに「ここにしましょう!」と半ば強引に上林へ入店しました。
それが運の尽きでした。
渡されたメニューの中には「抹茶」とつくものしかなく、「緑茶」も「ほうじ茶」もありません。全てのスイーツに緑の粉末が蛾の鱗粉のようにこびり付き、そのおぞましい風味を思い起こさせます。
「お茶だけでいいです」
なんて恥ずかしい事も出来ず、泣く泣く一番マシそう(唯一「抹茶」とメニューに無い)な「元祖宇治金時」を注文しました。
「ここ抹茶しかない…」と呟くと。
「宇治ですから…」とマチ子さんに諭されました。
そうです。
宇治なんです。
しかも「上林」って今考えたら綾鷹の監修してるところでしょ?
天下のコカコーラでしょ?
そんな抹茶の魔窟「抹窟(まっくつ)」の総本山みたいな場所で抹茶から逃げられるワケがありません。
歩いてもポケモンに出会わない草むらがないように。お茶の話してるのに「草むら」は例えとしてややこしいか。
とにかく、私は東西南北どこを向いても抹茶抹茶抹茶抹茶な四面楚歌メニューを前に為すすべもなかったのです。
そしてやってきた元祖宇治金時。
予想通りに不味い緑色の氷。
見兼ねたマチ子さんが優しさで「あんこだけでも手伝いましょうか?」と提案してくださいましたが、「いや、あんこがライフラインやねん!」とややギレしてしまう始末。
なんで、私だけがこんな目に。
上林に落ち度があるとするなら、抹茶が苦手な人のために1つでもほうじ茶スイーツを用意しておくべきという点です。
しかし、そんなこと強要できません。
上林春松本店の価値は「抹茶しか出さない」という点にあるのですから。
もし他の店よろしくほうじ茶スイーツなんかを用意していたら、その分在庫は増えるし、キッチンオペレーションも複雑になるし、ホールスタッフの対応難易度も上がる。単なるコストなんです。
その証拠に、上林の店内には大きな自動回転式の臼がありましたが、そこからひかれるお茶はどれも真緑色の抹茶でした。ほうじ茶でも煎茶でもなく。
だからこそ、上林にはコアな抹茶ファンが集う。
ザコシショウが媚びた動画をアップしないように、誰かを対象から切り捨てることでしか得られない価値があるのです。
上林春松本店よ、突き進め。
ほうじ茶にも、煎茶にも手を出すな。
抹茶一筋で抹茶激戦区の宇治を戦い抜け。
安心せよ。
私はもう二度と行かないから。
宇治で一番の「不平等」であれ。